ちょっと前の事になるが、
8月25日のニュースについて書こうと思う。
それは、作家の吉村昭氏の記事だった。
その内容は、かなりショッキングだった。
自らの手で点滴の管を抜き、
次いで首の静脈に埋め込まれたカテーテルポートも引き抜き、
その直後、看病していた長女に「死ぬよ」と告げ、
看護師にも「もういいです」と告げたという。
そして家族の見守る中・・・・・。
吉村氏は2005年の春、舌癌と宣告され、
2006年2月には膵臓全摘の手術を受けた。
退院後も短篇の推敲を続けた。
今年7月30日夜、東京都三鷹市の自宅で療養中、尊厳死を選んだ。
数時間後の7月31日午前2時38分に逝去、享年79歳。
この記事を読んで、凄いと思った。
自分の最期を自分で決めた、そしてその通り行動に移した。
考え方次第では、自殺・・・とも言えるが。
連休を利用して新潟へ帰ってきた。
実は・・8月頃から週末には、たびたび帰郷していた。
それは、母の具合が良くなかったからだ。
現在、入院中で、もう1ヶ月以上も点滴だけで生きている。
これ以上、苦痛が大きくなれば、
「モルヒネの投与も考えてください。」
と医師からは告げられている。
高熱が出ると意識が朦朧としているが、
ハッキリとしている時もある。
自分から話をする事は少ないが、
周囲からの呼びかけには、
短く答える事ができる状態である。
先日、叔母と私と母の3人の時に、
叔母が母にこう聞いた。
「姉さん、痛かったり苦しかったりしたら、
痛み止めを使ってもらおうか?」
母はハッキリと答えた。
「いらん。」
それを聞いて私も覚悟を決めた。
本人の意思を尊重して、
よけいな事をしないで看取ってあげようと・・・・。
本人の意思に反した事は、
してはいけないのではないか?
もし、見るに見かねてモルヒネを投与し、
それにより苦痛と共に生命の灯が消えてしまったら・・。
私は自分の人生の中で「それで良かったのか?」を
自問自答し続けるだろう。
現在、母は最後の戦いに挑んでいる。
あれほど神様に愛されいる母だから、
きっと神様は最善の状態で、お導きくださるだろう。
その場面では、家族であっても手を下してはならない。
かなり重たい内容になってしまったが、
私が思っている事を包み隠さずに書いた。
もう既に経験した方もいらっしゃると思うが、
いつかは誰でも状況は違えど、直面する事だと思う。
8月25日のニュースについて書こうと思う。
それは、作家の吉村昭氏の記事だった。
その内容は、かなりショッキングだった。
自らの手で点滴の管を抜き、
次いで首の静脈に埋め込まれたカテーテルポートも引き抜き、
その直後、看病していた長女に「死ぬよ」と告げ、
看護師にも「もういいです」と告げたという。
そして家族の見守る中・・・・・。
吉村氏は2005年の春、舌癌と宣告され、
2006年2月には膵臓全摘の手術を受けた。
退院後も短篇の推敲を続けた。
今年7月30日夜、東京都三鷹市の自宅で療養中、尊厳死を選んだ。
数時間後の7月31日午前2時38分に逝去、享年79歳。
この記事を読んで、凄いと思った。
自分の最期を自分で決めた、そしてその通り行動に移した。
考え方次第では、自殺・・・とも言えるが。
連休を利用して新潟へ帰ってきた。
実は・・8月頃から週末には、たびたび帰郷していた。
それは、母の具合が良くなかったからだ。
現在、入院中で、もう1ヶ月以上も点滴だけで生きている。
これ以上、苦痛が大きくなれば、
「モルヒネの投与も考えてください。」
と医師からは告げられている。
高熱が出ると意識が朦朧としているが、
ハッキリとしている時もある。
自分から話をする事は少ないが、
周囲からの呼びかけには、
短く答える事ができる状態である。
先日、叔母と私と母の3人の時に、
叔母が母にこう聞いた。
「姉さん、痛かったり苦しかったりしたら、
痛み止めを使ってもらおうか?」
母はハッキリと答えた。
「いらん。」
それを聞いて私も覚悟を決めた。
本人の意思を尊重して、
よけいな事をしないで看取ってあげようと・・・・。
本人の意思に反した事は、
してはいけないのではないか?
もし、見るに見かねてモルヒネを投与し、
それにより苦痛と共に生命の灯が消えてしまったら・・。
私は自分の人生の中で「それで良かったのか?」を
自問自答し続けるだろう。
現在、母は最後の戦いに挑んでいる。
あれほど神様に愛されいる母だから、
きっと神様は最善の状態で、お導きくださるだろう。
その場面では、家族であっても手を下してはならない。
かなり重たい内容になってしまったが、
私が思っている事を包み隠さずに書いた。
もう既に経験した方もいらっしゃると思うが、
いつかは誰でも状況は違えど、直面する事だと思う。