ロンリー・プラネットによると宮殿と書いてあるのだが、
ヒンディー語ではダルバールとある。
ダルバールとは、安食堂の事である。
求める者には無料で食事を提供しているからであろうか
(インド人に確認したら、議会の事もダルバールと言うらしく、
また、墓標の事を指すかも?・・・しれないとの事。
またしても、何でもありのインドなのであった。)
しかもこれ・・・・宮殿でも何でもなく、
なんとスィク教の7代目のグルであったハル・ラーイの息子、
ラーム・ライの墓標である。
ラーム・ライは放蕩がたたって父親から破門されてしまい、
ウダーシ派と言う宗派を設立したのであった。
ラーム・ライは1687年に亡くなったのだが、
その後援者であったムガル帝国の第6代皇帝、
アウラングゼーブが建設を命じた。
スィク教だと言うのにイスラム様式の4本の塔を持つのは、
アウラングゼーブがイスラム教徒だったためか。
白い墓標の前には庭園があり、
このあたりも普通のスィク寺院とは形が異なっている。
そこには4人の妻たちの墓があるのだが・・・
イスラム教徒でもないのに、
しかもスィク教の偉い人なのに・・・奥さん4人って
ラーム・ライ・ダルバールと言っても通じなかったので、
グルドワーラ(スィク教寺院)と言ったら通じた。
駅を出て左へ進むと、プリンス・チョウクと言う交差点へたどり着く。
ここを右に曲がると、寺院へ続く商店街である。
進んでいくと右手に飾り付けられた高い柱が見えてくる。
入口の門の所には鮮やかな壁画が残っている。
寺院の手前には沐浴のためと思われる池があったが、
雨季だと言うのに水は無かった。
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またしても、何でもありのインドなのであった。)
しかもこれ・・・・宮殿でも何でもなく、
なんとスィク教の7代目のグルであったハル・ラーイの息子、
ラーム・ライの墓標である。
ラーム・ライは放蕩がたたって父親から破門されてしまい、
ウダーシ派と言う宗派を設立したのであった。
ラーム・ライは1687年に亡くなったのだが、
その後援者であったムガル帝国の第6代皇帝、
アウラングゼーブが建設を命じた。
スィク教だと言うのにイスラム様式の4本の塔を持つのは、
アウラングゼーブがイスラム教徒だったためか。
白い墓標の前には庭園があり、
このあたりも普通のスィク寺院とは形が異なっている。
そこには4人の妻たちの墓があるのだが・・・
イスラム教徒でもないのに、
しかもスィク教の偉い人なのに・・・奥さん4人って
ラーム・ライ・ダルバールと言っても通じなかったので、
グルドワーラ(スィク教寺院)と言ったら通じた。
駅を出て左へ進むと、プリンス・チョウクと言う交差点へたどり着く。
ここを右に曲がると、寺院へ続く商店街である。
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