カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

ラーム・ライ宮殿

2011年09月06日 23時45分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA
ロンリー・プラネットによると宮殿と書いてあるのだが、
ヒンディー語ではダルバールとある。
ダルバールとは、安食堂の事である。
求める者には無料で食事を提供しているからであろうか

 (インド人に確認したら、議会の事もダルバールと言うらしく、
 また、墓標の事を指すかも?・・・しれないとの事。
 またしても、何でもありのインドなのであった。)

しかもこれ・・・・宮殿でも何でもなく、
なんとスィク教の7代目のグルであったハル・ラーイの息子、
ラーム・ライの墓標である。

ラーム・ライは放蕩がたたって父親から破門されてしまい、
ウダーシ派と言う宗派を設立したのであった。
            


ラーム・ライは1687年に亡くなったのだが、
その後援者であったムガル帝国の第6代皇帝、
アウラングゼーブが建設を命じた。

スィク教だと言うのにイスラム様式の4本の塔を持つのは、
アウラングゼーブがイスラム教徒だったためか。

白い墓標の前には庭園があり、
このあたりも普通のスィク寺院とは形が異なっている。
そこには4人の妻たちの墓があるのだが・・・
イスラム教徒でもないのに、
しかもスィク教の偉い人なのに・・・奥さん4人って

ラーム・ライ・ダルバールと言っても通じなかったので、
グルドワーラ(スィク教寺院)と言ったら通じた。

駅を出て左へ進むと、プリンス・チョウクと言う交差点へたどり着く。
ここを右に曲がると、寺院へ続く商店街である。
進んでいくと右手に飾り付けられた高い柱が見えてくる。
      


入口の門の所には鮮やかな壁画が残っている。
      


寺院の手前には沐浴のためと思われる池があったが、
雨季だと言うのに水は無かった。

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