今日のインタビューは、埼玉県上尾市在住の吉永貴子さん(たかちゃん)です。
当ブログにときどきコメントくださるたかちゃんは、熱烈な八丈島リピーターで、
多い年には毎月八丈島を訪れ、来島回数はこれまで約55回!
毎回宿泊されている「ロッジ・ワイルル」さんとは家族ぐるみのお付き合いで、
いまやワイルルの子どものような存在です。
小学生の頃に発症した筋ジストロフィーという難病を抱えながら、
自分で車を運転して職場へ通勤し、OLとして働き、主婦としての家事もこなし、
ダイビングで訪れた八丈島の人達と次々に仲良くなってお友だちを増やし、
八丈島を故郷のように思って通ってくれる素敵なたかちゃんのインタビューです。
吉永貴子(よしながたかこ)さん
昭和45(1970)年1月22日生まれ 39歳
ワイルル感謝祭にて
●たかちゃんは、どんなお仕事をしてるの?
わたしの住んでる隣りの市のJA本店に障害者枠で入って、金融課にいます。
それまでは、高校を卒業してから13年半、病院で病棟の事務と受付事務をしてたの。
●たかちゃんの障害は、筋ジストロフィーということでいい?
そうです。肢帯型の筋ジストロフィー。
●それは生まれつきのものなの?
いや、小学校の低学年位まではぜんぜん元気で、実家が商売をしてたから、
真っ暗になるまで帰らないほど遊んでたの。それが高学年になって体育の授業が
ハードになったら、体育やった日だけ足が痛くて眠れないみたいなことがあって、
親が心配していろんな病院へ連れて行ったのだけど、ちょうど高学年だし、
どの病院でも「成長痛」ということで流されてしまって…でも母親が、
「こんな痛いのに成長痛のはずがない」といろいろ病院へ連れて行ってくれた。
「東京慈恵医大」にいい先生がいるというので行ったら、たまたまそこに昔の
「国立武蔵療養所・神経筋肉センター」の偉い先生が来てて、
そこで肩の筋肉を採って調べたら、やはりそうだということだったの。
現在は、手も上がりづらいけど、メインは腰から下に力が入らないという症状。
●手もきつい?
あまり上がらないんですよ。片手で支えると少しは上がるけど。
●病院で、わかったのはいつ頃?
中学2年。だから、3年間30か所以上の病院へ行って、やっとわかったかんじ。
●高校へは普通に行ってたの?
はい。高校のときには、スクールバスにも乗って、電車通学して行けてた。
●就職に関しては、病院の先生に相談して決めたの?
わたしは子どもが好きで、ちっちゃいときから夢はずっと保母さんになること
だったのだけど、自分の病気と向き合おうと思ったときに、保母さんはできないから、
じゃぁ、何になろう?とずっと思ってて…とりあえずは就職しなきゃいけないから、
座ってできる事務職で、病院だったらいろんな設備が整ってるし先生もいるから、
自分の病気を理解してもらえるんじゃないかと思って、病院の事務を選んだの。
だけど、自分の身体がだんだんきつくなってきたときに、職場の環境改善の
理解が得られなくて、職安に通って、いまの職場に転職したんです。
●職安?そういのをサポートしてくれるセンターとかには行かなかったの?
まだそこまで……いや、就労支援とかはあったかもしれないけど、
みんな、わたしたちの友達は重症の人が多いから、まず就職することはないし、
養護学校を卒業したら就職先がなくて、HPを作るような能力があっても
会社は雇ってくれない状況です。
●それで職安へ行って、現在のJAに再就職したのね。
もう8年目に入りました。金融関係だから、人事異動が3年に1回位あるんだけど、
わたしはフルタイムのパートだから、異動もめったなことではないし、
一番の古株だねって、いわれてます。(笑)
たかちゃん(左)と「Project WAVE」 のユリちゃん(右) ワイルル感謝祭にて
●たかちゃんが、はじめて八丈島に来たのはいつ?
2000年の9月か10月。
埼玉にあったダイビングショップのツアーが毎年その頃にあったの。
●ダイビングをはじめたきっかけは?
たまたまテレビのニュースで、65歳の女の人が筋ジスで、
でも海の中を見たいのでダイビングをはじめたというのを見て、
え!?わたしも海の中が見たいから、65歳の女の人がやってるなら
わたしもやってみよう、と。でも、なかなか勇気が出なくて、
毎日の通勤ルートにダイビングショップがあるのだけどなかなか行けなくて、
そのときに母親が、「やってみてだめならやめたらいいのだから、やってみたら?」
といって背中を押してくれた。それで、そのお店に行ってみたら、
障害者ダイバー第1号として面倒みましょう!と受け入れてくれたんです。
そのショップはそれから次々に障害者ダイバーを受け入れて、
20人位ハンディキャップのダイバーが生まれて、健常者のツアーと別に、
ADP(アダプテッド)のツアーに分かれて行くようになったの。
●それは気持ちが楽になった?
それまでは、わたしはそこでは障害者の第1号だったので、普通のツアーに
行ってたんですけど、みんなは1日に2本潜ってお風呂に入ったりしても、
わたしは身支度とかに時間がかかるから…ADPだったらみんなそういう人達で、
気がねなくのんびりとゆっくり1本潜ってお風呂に入ってお昼を食べて帰りましょう、
みたいなことがね、できるから。
●それで、そのツアーで初めて八丈島へ来たんですね?
ショップのオーナーと 「Project WAVE」 の神部さんが知り合いで、
八丈島は飛行機に乗ってしまえば空港も近いし空港内をあまり歩かないし、
いろんなポイントまで車で近いし温泉もある、ただネックはトイレで…
トイレを直してもらえるなら、みんなを連れて来れるという話を「ワイルル」に
してくれたみたいで、そしたらジジ(ワイルルのマスター)が、
「トイレ直してあげるから」といってくれて、それで「ワイルル」に来たの。
●じゃぁ、はじめて来たのが「ワイルル」?
そう。だから、他の宿はぜんぜん知らないんです。(笑)
●島ではどの辺で潜るの?海まで下りるのとか大変じゃない?
それは、おんぶとか。あとは、「ランディーズ」という水陸両用車みたいな
車椅子があるんですよ。大潟浦の休憩所下とか、岩のゴツゴツしたところは
行けないけど、底土とか、旧八重根とか、ナズマドとかおっちょとかは大丈夫。
あとはボートダイビングで、ボートにさえ乗っちゃえばポイントまで行けちゃうから。
●たかちゃんは、お友達も連れてきてるよね?
「埼玉県筋ジストロフィー協会」の中の「在宅患者の会」というのがあって、
その中で「ピアサポート」という名前で活動をしてるんですけど…
月に1度集まったり、年に何回かお食事会したりとか旅行に行ったりとか、
している仲間がいて、その中からわたしの他にもダイバーになった人がいたので、
「埼玉はがんばってるな~」とか「わたしも(ライセンスを)取りたいんだ~」
と他の支部の人達からいわれて、愛知支部の名古屋の人とか兵庫の人も
ダイバーになったんです。
●そういう情報交換はどこでしてるの?
「日本筋ジストロフィー協会」 という全部の支部が集まった協会に
ML(メーリングリスト)があって、そこで情報交換してます。
●なるほど。そのMLに「埼玉ではダイビングやってるよ」と書くと、
そういう情報が全国に回るわけなんですね?
そう。それから、1年に1回大会があって東京に集まる機会もあるので、
そのときにオフミーティングをして、みんなで集まって話をしたり。
あとは2年に1回、北海道大会とか秋田大会とか、地方での全国大会もあるので。
●そういう大会に、たかちゃんは積極的に参加してるの?
行ってます。一応、埼玉県の筋ジス協会の理事なんです。(笑)
●あぁ、すごいね!
筋ジスは、動ける人が年々重度化してくるし、動ける人は筋ジスが分かっても
会に入ってなかったりとか、会に入っていても役員になる人は少なくて、
結局、自分は参加したくても会に集まるためには送迎が必要だったりとかで…
わたしは自分で運転して会に行けるので。
たかちゃん(下)と「Project WAVE」 の岩崎由美さん(上) ワイルル自宅にて
●いまは家族のようなワイルルとのお付き合いは、どんな風にはじまったの?
最初は、八丈島へ来たら泊まるのは「ワイルル」だけど、
いろいろ島を案内してくれたりしたのは岩崎由美さんなんです。
「ダイビングで潜るだけが八丈じゃなくて、八丈はいろんなところがあるし、
いろんな季節も見てもらいたいから」といってくれて、じゃぁ、時間を見つけて、
次は「フリージアまつり」のときに来てみようとか、「夢伝大会」に来てみようとか、
そんな風にしてワイルルに何度か泊まるようになったときに、
のんちゃん(ワイルルのお孫さん)がすごくわたしになついてくれて…
●じゃぁ、最初に仲良くなったのは、のんちゃん?
そう。いまは11歳ののんちゃんは最初に会ったときには2歳だった。
でも、ジジには、「次に来る時までに、ここにこんなのがあったらいいかも」
というのをいったりして、「じゃぁ、手すりを付けといてあげるから、
どの位の位置に何センチのを作っておけばいいんだ?」といって手すりを
付けてくれたり、「わたしたちも勉強になるからいろいろ教えてください」と
ババ(ワイルルのママ)がいってくれたりして、いろいろ親切にしてもらったの。
●いまはもうワイルルのファミリーというか、他のワイルルのお友だちとも
お付き合いの輪が広がって、島はたかちゃんの故郷みたいになってるよね。
そう。みんな、お帰り~といってくれる。(笑)
ジジとババは、3番目の両親みたい。
●たかちゃんの前向きで積極的な人柄が、お友達を増やしてると思うけど、
もともとそういう性格だった?人付き合いは好き?
出かけるのは好き。人付き合いも好き。(笑)
●障害のことで、気持が落ちてしまう日もあると思うけど、
たかちゃんのその前向きさ、強さ、明るさはどこからきてるんだろう?
家にいて落ち込んでるより、出かけて楽しい方がいいと思うからかな。
母親は、「動けなくなる前に動いておこうという本能が働いてるんじゃない?」
というけど、「たかちゃんは、動けなくなっても出かけそう」ともいわれてる。(笑)
できないことを考えるのでなく、こうしたらできるといつも考える。
これができなくなったら、ここに手すりを付ければいいとか、
またできなくなったら、こっちにも付ければいいとか。
たかちゃん(右)とワイルルママ(左) ワイルル自宅にて
●八丈島全体の施設を利用してみて、どうですか?
わたしたちにとっては、やはりトイレが一番大事だから、
八丈島はトイレがいたるところにあるから安心です。
●八丈島はトイレが多い方?
うん、多い方。お店になかったとしても、車でちょっと行けば公共のトイレが
たくさんあるから、安心できる。出かけるときには、トイレがどこにあるのかが
すごく心配になっちゃうから。そういう面では、外に遊びに行くのに安心ができる。
●温泉はどう?「ふれあいの湯」の貸し切りは、入りやすいかんじ?
うん、でも脱衣所に手すりがないので…
完全に車椅子で全介助の人とかは椅子に寝かせて着替えて、だけど、
わたしとかの場合は、立ってて脱がせてもらったり着せてもらったりするから、
壁につかまるところがあったらいいね、と話してます。
一番大きいお風呂はロッカーにつかまるしかないんだけど、
上がった後や誰かが使った後は、濡れていてすべるから、そこで脱ぎ着ができない。
●他はなにか希望することはある?
愛光さんしか、いまはリフトのタクシーがないんですよね。
団体で来ると町のバスが借りれるみたいなんだけど、個人では利用できないし。
いまは軽の車で後ろに車椅子が一台乗れて、前に家族が乗れる車もあるから、
高い車でなくていいから、家族で来て自分達で乗れる車があったらいいな~と思う。
島がもっとそういうことができると、この島はもっともっと宣伝してもいいと
思うのだけど。。
●八丈島で好きな場所はどこですか?
南原の夕陽とか、ポットホールも落ち着くので好きだけど、
一番好きなのは、大潟浦園地から見た大坂トンネル。
海や山も見えて、坂の上や下で違った雰囲気が楽しめる中間点のような気がして、
八丈島を表してるような気がするから。
●長いインタビューありがとうございました!
また、いつもあさぬまの島寿司や島唐ピザもご利用いただきありがとう!
あさぬまの島寿司やピザは、東京へ持ち帰って、その日の夜や
翌日のお弁当代わりに食べてます。今回も注文してますよ。(笑)
◎目指せ!まいにち日曜日 ←クリック
たかちゃんが更新するパワフルで楽しい日常生活ブログ。
__
このインタビューは、10月31日にワイルルさんのご自宅をお借りして行いました。
お友達の多いワイルルさんやたかちゃんに、次々に訪問客が訪れて、
何度もインタビューを中断したり、だれかがインタビューに代わりに答えたりで、
膨大になってしまったテープを編集するのにまたまた時間がかかりました。
更新遅くなって、ごめんなさい。
「家にいて落ち込んでるより、出かけて楽しい方がいいと思うから」
「できないことを考えるのでなく、こうしたらできるといつも考える」
わたしも真似したいと思います。たかちゃん、ありがとうね。
また島で会いましょう!(*´∀`*)ノシ
当ブログにときどきコメントくださるたかちゃんは、熱烈な八丈島リピーターで、
多い年には毎月八丈島を訪れ、来島回数はこれまで約55回!
毎回宿泊されている「ロッジ・ワイルル」さんとは家族ぐるみのお付き合いで、
いまやワイルルの子どものような存在です。
小学生の頃に発症した筋ジストロフィーという難病を抱えながら、
自分で車を運転して職場へ通勤し、OLとして働き、主婦としての家事もこなし、
ダイビングで訪れた八丈島の人達と次々に仲良くなってお友だちを増やし、
八丈島を故郷のように思って通ってくれる素敵なたかちゃんのインタビューです。
吉永貴子(よしながたかこ)さん
昭和45(1970)年1月22日生まれ 39歳
ワイルル感謝祭にて
●たかちゃんは、どんなお仕事をしてるの?
わたしの住んでる隣りの市のJA本店に障害者枠で入って、金融課にいます。
それまでは、高校を卒業してから13年半、病院で病棟の事務と受付事務をしてたの。
●たかちゃんの障害は、筋ジストロフィーということでいい?
そうです。肢帯型の筋ジストロフィー。
●それは生まれつきのものなの?
いや、小学校の低学年位まではぜんぜん元気で、実家が商売をしてたから、
真っ暗になるまで帰らないほど遊んでたの。それが高学年になって体育の授業が
ハードになったら、体育やった日だけ足が痛くて眠れないみたいなことがあって、
親が心配していろんな病院へ連れて行ったのだけど、ちょうど高学年だし、
どの病院でも「成長痛」ということで流されてしまって…でも母親が、
「こんな痛いのに成長痛のはずがない」といろいろ病院へ連れて行ってくれた。
「東京慈恵医大」にいい先生がいるというので行ったら、たまたまそこに昔の
「国立武蔵療養所・神経筋肉センター」の偉い先生が来てて、
そこで肩の筋肉を採って調べたら、やはりそうだということだったの。
現在は、手も上がりづらいけど、メインは腰から下に力が入らないという症状。
●手もきつい?
あまり上がらないんですよ。片手で支えると少しは上がるけど。
●病院で、わかったのはいつ頃?
中学2年。だから、3年間30か所以上の病院へ行って、やっとわかったかんじ。
●高校へは普通に行ってたの?
はい。高校のときには、スクールバスにも乗って、電車通学して行けてた。
●就職に関しては、病院の先生に相談して決めたの?
わたしは子どもが好きで、ちっちゃいときから夢はずっと保母さんになること
だったのだけど、自分の病気と向き合おうと思ったときに、保母さんはできないから、
じゃぁ、何になろう?とずっと思ってて…とりあえずは就職しなきゃいけないから、
座ってできる事務職で、病院だったらいろんな設備が整ってるし先生もいるから、
自分の病気を理解してもらえるんじゃないかと思って、病院の事務を選んだの。
だけど、自分の身体がだんだんきつくなってきたときに、職場の環境改善の
理解が得られなくて、職安に通って、いまの職場に転職したんです。
●職安?そういのをサポートしてくれるセンターとかには行かなかったの?
まだそこまで……いや、就労支援とかはあったかもしれないけど、
みんな、わたしたちの友達は重症の人が多いから、まず就職することはないし、
養護学校を卒業したら就職先がなくて、HPを作るような能力があっても
会社は雇ってくれない状況です。
●それで職安へ行って、現在のJAに再就職したのね。
もう8年目に入りました。金融関係だから、人事異動が3年に1回位あるんだけど、
わたしはフルタイムのパートだから、異動もめったなことではないし、
一番の古株だねって、いわれてます。(笑)
たかちゃん(左)と「Project WAVE」 のユリちゃん(右) ワイルル感謝祭にて
●たかちゃんが、はじめて八丈島に来たのはいつ?
2000年の9月か10月。
埼玉にあったダイビングショップのツアーが毎年その頃にあったの。
●ダイビングをはじめたきっかけは?
たまたまテレビのニュースで、65歳の女の人が筋ジスで、
でも海の中を見たいのでダイビングをはじめたというのを見て、
え!?わたしも海の中が見たいから、65歳の女の人がやってるなら
わたしもやってみよう、と。でも、なかなか勇気が出なくて、
毎日の通勤ルートにダイビングショップがあるのだけどなかなか行けなくて、
そのときに母親が、「やってみてだめならやめたらいいのだから、やってみたら?」
といって背中を押してくれた。それで、そのお店に行ってみたら、
障害者ダイバー第1号として面倒みましょう!と受け入れてくれたんです。
そのショップはそれから次々に障害者ダイバーを受け入れて、
20人位ハンディキャップのダイバーが生まれて、健常者のツアーと別に、
ADP(アダプテッド)のツアーに分かれて行くようになったの。
●それは気持ちが楽になった?
それまでは、わたしはそこでは障害者の第1号だったので、普通のツアーに
行ってたんですけど、みんなは1日に2本潜ってお風呂に入ったりしても、
わたしは身支度とかに時間がかかるから…ADPだったらみんなそういう人達で、
気がねなくのんびりとゆっくり1本潜ってお風呂に入ってお昼を食べて帰りましょう、
みたいなことがね、できるから。
●それで、そのツアーで初めて八丈島へ来たんですね?
ショップのオーナーと 「Project WAVE」 の神部さんが知り合いで、
八丈島は飛行機に乗ってしまえば空港も近いし空港内をあまり歩かないし、
いろんなポイントまで車で近いし温泉もある、ただネックはトイレで…
トイレを直してもらえるなら、みんなを連れて来れるという話を「ワイルル」に
してくれたみたいで、そしたらジジ(ワイルルのマスター)が、
「トイレ直してあげるから」といってくれて、それで「ワイルル」に来たの。
●じゃぁ、はじめて来たのが「ワイルル」?
そう。だから、他の宿はぜんぜん知らないんです。(笑)
●島ではどの辺で潜るの?海まで下りるのとか大変じゃない?
それは、おんぶとか。あとは、「ランディーズ」という水陸両用車みたいな
車椅子があるんですよ。大潟浦の休憩所下とか、岩のゴツゴツしたところは
行けないけど、底土とか、旧八重根とか、ナズマドとかおっちょとかは大丈夫。
あとはボートダイビングで、ボートにさえ乗っちゃえばポイントまで行けちゃうから。
●たかちゃんは、お友達も連れてきてるよね?
「埼玉県筋ジストロフィー協会」の中の「在宅患者の会」というのがあって、
その中で「ピアサポート」という名前で活動をしてるんですけど…
月に1度集まったり、年に何回かお食事会したりとか旅行に行ったりとか、
している仲間がいて、その中からわたしの他にもダイバーになった人がいたので、
「埼玉はがんばってるな~」とか「わたしも(ライセンスを)取りたいんだ~」
と他の支部の人達からいわれて、愛知支部の名古屋の人とか兵庫の人も
ダイバーになったんです。
●そういう情報交換はどこでしてるの?
「日本筋ジストロフィー協会」 という全部の支部が集まった協会に
ML(メーリングリスト)があって、そこで情報交換してます。
●なるほど。そのMLに「埼玉ではダイビングやってるよ」と書くと、
そういう情報が全国に回るわけなんですね?
そう。それから、1年に1回大会があって東京に集まる機会もあるので、
そのときにオフミーティングをして、みんなで集まって話をしたり。
あとは2年に1回、北海道大会とか秋田大会とか、地方での全国大会もあるので。
●そういう大会に、たかちゃんは積極的に参加してるの?
行ってます。一応、埼玉県の筋ジス協会の理事なんです。(笑)
●あぁ、すごいね!
筋ジスは、動ける人が年々重度化してくるし、動ける人は筋ジスが分かっても
会に入ってなかったりとか、会に入っていても役員になる人は少なくて、
結局、自分は参加したくても会に集まるためには送迎が必要だったりとかで…
わたしは自分で運転して会に行けるので。
たかちゃん(下)と「Project WAVE」 の岩崎由美さん(上) ワイルル自宅にて
●いまは家族のようなワイルルとのお付き合いは、どんな風にはじまったの?
最初は、八丈島へ来たら泊まるのは「ワイルル」だけど、
いろいろ島を案内してくれたりしたのは岩崎由美さんなんです。
「ダイビングで潜るだけが八丈じゃなくて、八丈はいろんなところがあるし、
いろんな季節も見てもらいたいから」といってくれて、じゃぁ、時間を見つけて、
次は「フリージアまつり」のときに来てみようとか、「夢伝大会」に来てみようとか、
そんな風にしてワイルルに何度か泊まるようになったときに、
のんちゃん(ワイルルのお孫さん)がすごくわたしになついてくれて…
●じゃぁ、最初に仲良くなったのは、のんちゃん?
そう。いまは11歳ののんちゃんは最初に会ったときには2歳だった。
でも、ジジには、「次に来る時までに、ここにこんなのがあったらいいかも」
というのをいったりして、「じゃぁ、手すりを付けといてあげるから、
どの位の位置に何センチのを作っておけばいいんだ?」といって手すりを
付けてくれたり、「わたしたちも勉強になるからいろいろ教えてください」と
ババ(ワイルルのママ)がいってくれたりして、いろいろ親切にしてもらったの。
●いまはもうワイルルのファミリーというか、他のワイルルのお友だちとも
お付き合いの輪が広がって、島はたかちゃんの故郷みたいになってるよね。
そう。みんな、お帰り~といってくれる。(笑)
ジジとババは、3番目の両親みたい。
●たかちゃんの前向きで積極的な人柄が、お友達を増やしてると思うけど、
もともとそういう性格だった?人付き合いは好き?
出かけるのは好き。人付き合いも好き。(笑)
●障害のことで、気持が落ちてしまう日もあると思うけど、
たかちゃんのその前向きさ、強さ、明るさはどこからきてるんだろう?
家にいて落ち込んでるより、出かけて楽しい方がいいと思うからかな。
母親は、「動けなくなる前に動いておこうという本能が働いてるんじゃない?」
というけど、「たかちゃんは、動けなくなっても出かけそう」ともいわれてる。(笑)
できないことを考えるのでなく、こうしたらできるといつも考える。
これができなくなったら、ここに手すりを付ければいいとか、
またできなくなったら、こっちにも付ければいいとか。
たかちゃん(右)とワイルルママ(左) ワイルル自宅にて
●八丈島全体の施設を利用してみて、どうですか?
わたしたちにとっては、やはりトイレが一番大事だから、
八丈島はトイレがいたるところにあるから安心です。
●八丈島はトイレが多い方?
うん、多い方。お店になかったとしても、車でちょっと行けば公共のトイレが
たくさんあるから、安心できる。出かけるときには、トイレがどこにあるのかが
すごく心配になっちゃうから。そういう面では、外に遊びに行くのに安心ができる。
●温泉はどう?「ふれあいの湯」の貸し切りは、入りやすいかんじ?
うん、でも脱衣所に手すりがないので…
完全に車椅子で全介助の人とかは椅子に寝かせて着替えて、だけど、
わたしとかの場合は、立ってて脱がせてもらったり着せてもらったりするから、
壁につかまるところがあったらいいね、と話してます。
一番大きいお風呂はロッカーにつかまるしかないんだけど、
上がった後や誰かが使った後は、濡れていてすべるから、そこで脱ぎ着ができない。
●他はなにか希望することはある?
愛光さんしか、いまはリフトのタクシーがないんですよね。
団体で来ると町のバスが借りれるみたいなんだけど、個人では利用できないし。
いまは軽の車で後ろに車椅子が一台乗れて、前に家族が乗れる車もあるから、
高い車でなくていいから、家族で来て自分達で乗れる車があったらいいな~と思う。
島がもっとそういうことができると、この島はもっともっと宣伝してもいいと
思うのだけど。。
●八丈島で好きな場所はどこですか?
南原の夕陽とか、ポットホールも落ち着くので好きだけど、
一番好きなのは、大潟浦園地から見た大坂トンネル。
海や山も見えて、坂の上や下で違った雰囲気が楽しめる中間点のような気がして、
八丈島を表してるような気がするから。
●長いインタビューありがとうございました!
また、いつもあさぬまの島寿司や島唐ピザもご利用いただきありがとう!
あさぬまの島寿司やピザは、東京へ持ち帰って、その日の夜や
翌日のお弁当代わりに食べてます。今回も注文してますよ。(笑)
◎目指せ!まいにち日曜日 ←クリック
たかちゃんが更新するパワフルで楽しい日常生活ブログ。
__
このインタビューは、10月31日にワイルルさんのご自宅をお借りして行いました。
お友達の多いワイルルさんやたかちゃんに、次々に訪問客が訪れて、
何度もインタビューを中断したり、だれかがインタビューに代わりに答えたりで、
膨大になってしまったテープを編集するのにまたまた時間がかかりました。
更新遅くなって、ごめんなさい。
「家にいて落ち込んでるより、出かけて楽しい方がいいと思うから」
「できないことを考えるのでなく、こうしたらできるといつも考える」
わたしも真似したいと思います。たかちゃん、ありがとうね。
また島で会いましょう!(*´∀`*)ノシ