雀の手箱

折々の記録と墨彩画

精密検査

2011年10月06日 | できごと
 今まで、私には出産以外に入院の経験がありません。80歳を超えて、他の兄弟同様に親譲りの高血圧になりました。他には軽度の高脂血症の薬をホームドクターの指示で服用しているだけです。
 外科には高齢者に特有の膝と手の変形性関節症で、痛みのある時に整形外科で注射を受ける程度です。
 今回は、いつまでも治癒しない口内炎にしびれを切らして、区内の口腔外科で評判の先生に診てもらうことにしました。
 「今まで粘膜の状態で何もいわれませんでしたか」と尋ねられ「半年も続いている症状なら、念のため、紹介状を書きますから、大学病院で検査を受けてください。」と言われました。5年前の夫の胃癌をいやでも思い出します。今になって、夫がどんな気持ちで手術に対応していったか少しわかるような気がします。

 痛くもかゆくもなんともなくて、歯磨きでは見えない左上顎の奥の方に、白い苔状のものが広がっていることに自分では気づいていませんでした。「大したことはないと思いますが、念のためです。万が一癌だったとしても、きわめて軽い状態ですから。ただ、こうした場合癌化することがあるので、早く処置をした方がいいのです。」といわれました。希望の診察日のところをを記入して、ファックスで送っておいてくださいと言って、受診紹介状と一緒に教授宛の封書を渡されました。気がかりなものは早くけりをつけておいた方がいいと思い週明け早々の3日に受診しました。
 先生が、”セイケン”と言われた言葉を、私は勝手に精密検査の略語と早呑込みしていましたが、大学病院の中をレントゲン室 生体組織検査室と、カルテと一緒に移動するうち、これは”生検”で、「今日はお一人で来られましたか?」という教授の質問も高齢者だからと理解していたのが、ほかの意味もあったこと。自分が癌の可能性を検査されていることを改めて認識しました。
 戦中派はこれですから、暢気で逞しいものです。結果は1週間後に出ます。それまで、1日1回、かなりな量(20㏄)の飲み応えのある液体の薬を飲んでいます。気のせいか、口中のざらつきはずっと改善したようです。これからは、次々に病院通いをしなくてはならない日がやってくるのかと思うと、耐久期限を過ぎた身が痛ましいことです。