阪神淡路を中心に関西に甚大な災害をもたらした1月17日、私は東京にいました。1月半ばから10日ほど、ドイツのフランクフルトに仕事のために出かける娘のところに、子供たちの世話をするための留守番でした。
ドイツでも大きく報道されたようで、心配して電話がかかってきました。上の子が小学校6年生で、帰宅しての報告では、校長先生が朝礼で、神戸の方で大きな地震があったこと、幸い亡くなった人は少なかったと、言われたそうです。
当初は状況も十分には判明しておらず、これほどの規模とは思いかけない突然の災害でした。
この日、繰り返される消えることのない悲しみは、戦争被害を経験してきた身には、被災地でなくても切実なものとして伝わります。この悲しみは再び東北で繰り返されることになりました。
いくさとは異なる自然災害の前では、如何ともしがたい人間の営みは、いかにもろくはかないものであるかを突きつけられます。
鎮魂の一日を過ごされる方々に、明るい日が戻ることを願うのみです。
太宰府では飛梅が1輪咲いたと報じられました。まだ蕾の我が家の梅を切って手向けとしましょう。
お正月のtv特番で 列島誕生の由来を学ぶ。海底火山の爆発の結果盛り上がった土地とか。
しかも プレートが4枚もあるという地震危険地帯。
ゲリラ豪雨も加わり 自然災害は増えるのかな?
私はすぐ方丈記の地震の生々しい記述を連想しました。たしか、東大寺の大仏の首が落ちたこともあると記していました。
辻風を常の事と言っていますから竜巻も繰り返し吹いていたのでしょうね。方丈記に照らして、関西も油断は禁物でしょうね。
私は戦時中空襲で、防空壕で命を、それこそ間一髪で、九死に一生を得た身、他人ごとではありません。爆風で、壕はつぶれ、隣ににあった防火用水の水で頭からずぶ濡れになりました。
このところ、疲れがとれず、パソコンも開かない日が多くて、コメントをいただいていることに気づきませんでした。ごめんなさい。