雀の手箱

折々の記録と墨彩画

春に逝く

2017年03月06日 | できごと
 博多に住んでいる夫の一番下の妹の連れ合いが他界しました。この数年体調がすぐれず入退院をくりかえしていましたが、最後は入院して2日目での旅立ちだったそうです。
 夫の兄弟は義弟も含めて男性は一人もいなくなりました。博多まで出かけての葬儀の参列は無理なので、私が一人で出かけることにしました。
 私より三つ年下の85歳でした。若くして高校の校長職にあったのですが晩年は好きな書に親しんで家に篭りがちの暮らしだったようです。長男はチリに単身赴任中で、葬儀には間に合いませんでした。
 兼ねて家族葬でと言い置いていたようで、義弟は一人っ子だったため、妹の血縁関係ばかりで、世話をしてくれていたのはこちらの従弟たちで、久しぶりの再会のきっかけとなったようです。昔の思い出話や、もらった思いやりにあふれた達筆の手紙を大事に持っていて、持参した子もいて、飲みっぷりや文字の豪快さとは違った一面が思い出されて、しみじみとした温かみのある送る会になりました。近親者だけの葬儀も悪くないと思ったことでした。





 斎場は昔通っていた乗馬クラブの近くで地理は見当がついていたのですが、半世紀を経て、すっかり様変わりしていて、遠乗りで馬を駆けさせていた田んぼの中の道は幅広く拡張されて、高層建築が立ち並び、まるで違ってしまい、昔懐かしの山並みの佇まいを目安にかすかに面影を辿ったことでした。
 ブラジルからのカーニバルの写真が今年も多数送られてきていますが、日を改めて整理します。パレードは事故続きだったようですが、熱狂は相も変わらずのようです

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
寂しくなりました (慎吾)
2017-03-10 07:14:00
寂しくなりました。伯父ちゃんがいつまでもお元気でありますように。よろしくお伝え下さい。
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家族葬 (渚一号)
2017-03-10 20:58:23
人生2度なし の格言を 再認識する本稿。現役時代も隠居人としても 充実した日々を過ごされた事を推察できます。戦前までは 子供は1ダースから半ダースが相場と聞いたことがありますね。いずれにせよ 徴兵を免れた世代で敗戦後の日本の為に頑張ってこられた日本男子のご逝去。謹んでご冥福を祈ります。

家族葬が増えてきました。
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老少不定 (ふくら雀)
2017-03-11 05:47:40
物事には順序があるというのに、このところ年下の近親者との別れが続いています。

会葬者の中の最高齢とあっては、間近な自分自身のその時を思わざるを得ませんでした。
お悔みありがとうございます。
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切実な別れ (ふくら雀)
2017-03-11 05:54:07
慎吾さんのやさしさに触れた隣席でしたね。さりげない心遣いを感謝しています。
自分の上に間もなく訪れる別れの時を実感しました。投稿が遅れ、再度のコメントをありがとうございます。

老い二人の暮らしも長くなりすぎたようです。そろそろ次のステップを選択かと思案しています。

このところの私の体調不良を案じて、腰痛を押して昨日から東京から帰省してくれています。
なんとなく気分もよくなった気がしています。
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