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似た校舎

2012-03-06 23:50:43 | 秋田のいろいろ
秋田市内のとある2つの建物を見る度に、それぞれに対して「どこかで似た建物を見たことがあるな」と感じていたが結びつかず、モヤモヤしていた。
先日、それがつながった。
この建物と

この建物
よく似てるでしょ?

正体は秋田市立秋田西中学校と秋田市保戸野(ほどの)保育所。

建物の大きさは違うが、どちらも窓の間の柱の部分(縦方向)と壁面最上部(横方向)が若干出っ張っていて、そこは壁面と異なる色を使っていて“縁取り”されたようなデザインで、その色使いも同じ。

ただし、保育所のほうは、縁取りの内側の角が丸くなっている。
保戸野保育所

調べてみると、秋田西中は1981年に校舎改築工事が完成、保戸野保育所は臨海へ移転した秋田市交通局跡地に1981年に開所(旭北保育所を移転・改称)しているので、ほぼ同時期に設計・建設されたようだ。
なお、秋田市の市立保育所は、将来的にすべて民間移管することになっており、保戸野保育所は2014年4月に移管されることになっている。建物は無償譲渡されるそうだ。※その後、2017年に解体された

保戸野保育所は保育所にしてはちょっと地味な色合いの気もしなくはないが、西中と同じデザインであること自体は別に悪くはない。設計の手間とか資材の手配・費用を簡略化する狙いだったのだろうか。



ところで、公立学校の校舎の色使いには、自治体によって「好み」があるのかもしれない。
秋田市の場合、(平成以降はそうでもないが)昭和に造られた校舎は、
1.2色で塗り分ける、2.ベージュ系の色を多用する、3.グレーや寒色系は使わない といった傾向がある。
 (再掲)富士市立富士見台小学校
富士市の1976年築の小学校では、明るいグレーの単色で塗っていたが、秋田市のこの時期の校舎にはないパターンだと思う。

さらにいろいろ考えたり見たりすると、秋田西中と形状がほぼ同じで、色使いが異なる建物が、秋田市立学校の校舎に複数存在することが分かった。
いくつか挙げてみる。
まずは再度、秋田西中。

一瞬、西中かと思いそうなのが、
色の濃さが違う
これは大住小学校(1980年)。西中に比べて本体部分の色が“枠”部分よりも濃い。
※以下、カッコ内は校舎ができたと思われる年。各学校の沿革にある「改築工事竣工」の年や開校年から判断したものであり、実際にはそれより数年前に建物ができていた可能性もあります。


肌色? オレンジ色?
これは先日紹介した、東小学校(1977年)の大規模改修されなかった側。
階段と思われる部分の窓が、丸いのが特徴的。(東小学校の改修された側や他の各校の階段は、四角い窓)

黄色? カラシ色?
泉小学校(1979年)。
最近は東小学校の塗り替えられた側や新築校舎などで黄色っぽい校舎も出ているが、昭和の校舎で、かなり濃い黄色を使っているのが珍しい。

改修工事が行われて、同色に塗り直された部分もあった。
開校当初は全体が左側のような鮮やかな色だったのだろう

色は西中にそっくりだけど、どこか違う
港北小学校(1982年)。
壁面の最上部の横方向の縁取りがなくなり、柱の縦方向のみが濃い色になっている。

秋田市では珍しい単色
港北小と同年に建てられた将軍野中学校。
デザインはそっくりだが、塗り分けがされていない。ただし、玄関の屋根が明るい茶色。
外旭川小学校(1980年)も、ほぼ同じだと思う。

今までとは雰囲気が違う
泉中学校(1981年)も、校舎のデザインは同じだが、今までにない配色。明るめの茶色と白の組み合わせで明るい印象。
西中など従来の配色は縦のラインに目が向くが、こちらは横方向の茶色の連続感が際立つ。(窓や校舎自体の大きさのせいもあるかもしれません)
この後に建てられた、明徳小学校や川尻小学校も、赤茶色を使った同じような色使いなので、新しい配色を試験的に採用したのかもしれない。


以上、紹介してきたように、昭和50年代中頃(1977~1982年頃?)に建てられた秋田市立の小中学校は、多くがこのデザインであり、色使いもある程度決まっていたようだ。
これら以前に建てられた校舎は、窓間の柱が大きく出っ張り、屋上の屋根部分が庇のようにせり出していて重厚な印象を受けるものだった。
土崎小学校(1970年)。現存する市立学校の校舎では最古の部類

秋田市では、昭和48年度から54年度(1973~1979年)にかけて、老朽化していた木造校舎を一掃すべく、当時の小学校36校中26校、中学校15校中9校で増改築を行なっている(体育館等校舎本体以外も含む)。児童生徒の増加と郊外の住宅地の開発により、新しい学校も多く造られた。※実際に木造校舎がなくなったのは1988年
おそらく建築技術が向上したり、流行もあったりして、ここで紹介したようなデザインの校舎を大量に建てることになったのだろう。
従来に比べて壁面の凹凸が減って箱のようなデザインとなり、仮に単色だったら物足りない印象を受けると思う。塗り分けたことがアクセントになって、これで正解だったかもしれない。
【7日追記】現時点では、壁面に汚れが目立つ学校もあるのが残念。(古い土崎小学校のほうがきれいだが、これは塗り替えたからだろう)
耐震補強工事がされているから当分は使い続けるつもりなのだろうし、子どもたちが1日の多くを過ごし、大きくなってから子ども時代の思い出と直結する場所でもあるのだから、クリーニングとか塗り替えとかをしたほうがいいようにも感じる。※具体例(大住小)はこの記事後半

この後、昭和50年代後半になると、また違ったデザインになってくる。特に教室の外にベランダが設けられるようになり(1981年の明徳小学校が最初)、それによって校舎外観の雰囲気が変わることになり、色もまた変化していく。建てられる校舎の数は減っていったが、個性的なデザインのものが多い。
土崎南小学校(1985年)。時計塔・ベランダ・色使いなど斬新
画一的だと思われがちな公立学校の鉄筋コンクリート造りの校舎でも、系統立てて見てみると、おもしろいものだ。
続く、かもしれません。

【7日追記】1981年に改正された建築基準法が施工され、耐震基準が強化されていた。
この記事で紹介したデザインの校舎が建設されなくなったのは、ちょうどその頃。旧耐震基準末期のデザインだったことになる。
【4月21日追記】1984年に建てられた、秋田東中学校の北側校舎もこのタイプであることが分かった。新耐震基準になってからも一部では建てられていた。

※秋田市の校舎についての次の記事はこちら
※青森県弘前市の校舎についてはこちらこちら
コメント (4)
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