【2015年6月15日訂正】以下で述べている音楽の曲名について誤りがあることが分かりましたので、訂正します。以下の記事は、初回アップ時の正しくないまま残しておきます。正しい曲名はこちらをご覧ください。
イオンリテールの店内放送で、65歳以上向けの電子マネー「ゆうゆうワオン」の案内(各店共通の録音されたもの。土崎港店と秋田中央店で確認)が流れることがある。(普通のWAONとの違いって、購入時に300ポイントが付与されて発行手数料が実質無料なのと15日に5%引きになるだけなのか)【4月8日追記】マックスバリュ東北の店内でも同じ放送が流れていた。
【11月20日追記】2012年9月15日から、「G.G WAONカード」なるものが発売された。ゆうゆうワオンの対象年齢を55歳以上に拡大したもので、特典などはゆうゆうワオンと変わらないようだ。ゆうゆうワオンも引き続き販売されてはいるが、イオンとしてはGGのほうを前面に押し出したいようで、上記店内放送は流れなくなった気がする。
そのナレーションの背後に流れるピアノメインのBGMを聞いて、懐かしい気分になってしまった。(理由は後ほど)
イオン以外の他の場面でも時折BGMなどとして耳する曲で、タイトルは「愛のナントカ」と曖昧にしか覚えていなかった。(「愛のメロディー」かなんかだと思っていた)
そんなことを考えた後、BSジャパンで7日に放送された「ポチたまペットの旅」を見ていた。横浜のおもちゃ博物館(北原鑑定士がいる所)を訪れて、展示物のオルゴールが紹介されるシーンで、その音楽が流れた。
そうだった! この曲名は「愛のオルゴール」だった!!
調べてみると、カナダの作曲家でピアニストのフランク・ミルズ(Frank Mills)が1974年に発表した曲で、原題は「Music Box Dancer」。アルバムから1978年にシングルカットされ、1979年にかけて世界的にヒットしたそうだ。
日本では、1979年に高田みづえという歌手(現在は相撲の松ヶ根部屋のおかみさん)が、このメロディーに日本語詞(作詞:斉藤仁子)をつけて「潮騒のメロディー」というタイトルで発売している。
【3月24日追記】「潮騒のメロディー」は、高田みづえよりも数か月先に「さこみちよ」という人(現在もラジオパーソナリティなどで活動)が発売しているそうで、高田みづえがカバーしたことになる。
てっきりクラシック曲かと思っていたが、意外に新しい曲だった。そう言われれば、ピアノやストリングスのほかドラムの音などもして、現代音楽っぽい。
で、なぜこの曲が懐かしいのかといえば、あるテレビ番組のオープニングテーマだったから。
そして、さらに「花時計」を連想してしまう。
そんな人は立派な(ちょっと昔の)秋田市民です!
地上波各局の秋田市政広報番組のタイトルが「○○○○秋田市から」に揃ったのは、2003年4月から。それ以前は、各放送局ごとにまったく別のタイトルだった。
2003年3月までは秋田放送(ABS)は「秋田市だより」、秋田朝日放送(AAB)は「ハローナウあきた」、そして秋田テレビ(AKT)が「花時計からのたより」だった。
オープニングの映像や音楽もそれぞれ異なり、「花時計からのたより」の音楽が「愛のオルゴール」だった。
したがって、僕は「愛のオルゴール」を聞くと「花時計からのたより」を連想してしまうのだ。
1992年に開局したAABは、開局時から「ハローナウあきた」の番組名だったが、他の2局ではいつから「秋田市だより」「花時計からのたより」の番組名で放送されていたのかは分からない。広報紙「広報あきた」を検索すると少なくとも1983年にはその名前で放送されている。
さかのぼって1974年にはABSは「秋田市だより」、AKTは「秋田市告知板」という番組名だったので、AKTは途中で番組名を変えたようだ。
「花時計からのたより」の「花時計」とは、秋田市役所本庁舎の前庭に設置されている花時計のこと。
秋田市役所と花時計 ※積雪対策のため針が外されています
番組のオープニング映像にも、花時計が登場していた(映像は少なくとも1度リニューアルされたが新旧いずれにも映っていた)。
その花時計は1980年に設置されたものであり、「愛のオルゴール」のヒットが1979年であることを踏まえれば、そのあたりにAKTの番組名が「花時計からのたより」に変わったと考えられる。
僕が子どもの頃は、「花時計からのたより」は平日は「おはよう!ナイスデイ」の後の9時55分から、日曜日はテレビ東京のバラエティ番組の前の8時55分から放送されていて、広報番組の中ではいちばん見る機会が多く、なじみがあった。そして、「愛のオルゴール」のメロディーが耳に残った。
(ABS「秋田市だより」の秋田市章がぐるぐる回転するアニメとチェンバロとクラリネット系の楽器(?)による曲も印象に残るが、あまり好きでなかった)
市政番組のオープニングは15秒ほどであり、愛のオルゴールが流れるのもそこだけなので、曲のごく一部だけが使われていた。おそらく、曲の途中の一部分を抜き出していたと思われる。
今、フランク・ミルズのオリジナル演奏を聞いてみると、「花時計~」で流れていたのとはテンポや音程、音色が微妙に違うような気がする。(「花時計~」のほうが、やや遅くて低い?)
別の奏者によるカバー版か何かの別モノだったのだろうか。【冒頭の訂正の通り、別の曲でした】
愛のオルゴールには「おはようございます。秋田市が送る『花時計からのたより』です」というナレーションが重ねられていた。アナウンサーによっては「ハラ時計からのたより」と聞こえてしまうこともあった。
さて、秋田市役所の花時計自体について。

これは1980年7月12日の秋田市制91周年を記念して設置されたもの。
同年から秋田市が始めた「花百万本!花のある美しい街づくり運動」のシンボルでもあった。※関連アイテム
広報あきた818号(7月20日付)によれば、「この花時計設置を発案した、元市議会議員のみなさんの会「秋田市元市議会議員懇談会」から多額の寄付と、秋田市時計貴金属メガネ商組合から時計本体の寄贈をいただきました。」とのこと。
文字盤の直径は4メートルで、「SEIKO」ブランド(当時は「服部時計店」傘下の「精工舎」か?)のもの。以前は、文字盤の下に別に長方形の「SEIKO」ロゴの板が見えていたが、現在は茂った植え込みに隠れたのか、撤去されたのか、歩道上からは見えない。
針や文字板のデザインは異なるが、ほぼ同じサイズと思われるセイコーの花時計が、弘前公園内の「弘前城植物園(1983年開園)」にあるし、全国各地の公園などにも設置されているようだ。現在も、「セイコータイムシステム」社から受注生産で発売されている。【2013年11月13日追記】弘前の花時計は1975年に設置されたセイコー製だった。この記事末尾参照。
【2024年11月5日追記】2024年11月5日付秋田魁新報「シリーズ時代を語る・湊征子17」によれば、「武藤工芸鋳物」が秋田市役所の「花時計を作った会社です。」とのこと。秋田市添川にあり、同社ホームページにも花時計が紹介されている。時計自体はセイコーなので、文字盤部分の制作だろう。ほかに「ももさだカエル」、二丁目橋たもとの竿燈のモニュメント(「竿燈の像」という名らしい)、橋や建物の銘板なども作っている。(以上追記)
以後、秋田市役所の花時計には四季折々の花(といってもパンジー、マリーゴールド、サルビアなど花壇用の定番の花だけど)が植え替えられ、雪が積もる冬期間は針が撤去されて葉ボタンが植えられて、といった具合に大事に管理されながら、秋田市民に季節の移ろいを感じさせ続けて現在に至る。
(再掲)なぜか周辺ではヒガンバナも咲く
また、秋田市の広報紙を音読して目が不自由な人たちに届ける奉仕活動をしている市民の集まりが「声の広報制作グループ花時計」という名称だったり、今はなき秋田市交通局が1988年に発行したポケットサイズバス時刻表の表紙のイラストが、花時計の前を通る市営バスだったりするなど、花時計は強く印象には残っていないかもしれないが、秋田市役所のシンボル的アイテムと言えそうだ。
(再掲)
秋田市役所の庁舎は、建て替えられることになっている(2013年度着工・2015年度竣工予定)。
このほど「新庁舎建設基本設計」が明らかになったが、それには花時計は出ていない。花時計がなくなってしまう可能性がある。
基本設計の配置計画の図面によれば、おおむね現庁舎の跡が駐車場になり、かつてのNHK秋田放送局跡地(現在は駐車場)が新庁舎になる。
花時計のある辺りは「緑地」にはなるようだが、花時計らしきものは描かれていない。
花時計後方の噴水のある池は、駐車スペースに重なっているようで、なくなりそう。
(再掲)現庁舎完成時に秋田銀行から寄贈された池
ほかにも、「秋田蘭画」の市制100周年モニュメントや、姉妹都市のドイツ・パッサウ市から1992年に贈られた「友情の鐘」の処遇もどうなるやら。
後ろが「友情の鐘」 ※さらに後ろの旗は大震災追悼の半旗
秋田市役所の花時計は設置から30年以上が経過している。
屋外で、しかも可動部である針を空に向けてむき出しにして稼働する機器だから、耐用年数はとっくに過ぎているのかもしれない。(公園や学校にある通常の屋外型電気時計だって、30年モノは少ないだろう)
この記事の針のない花時計の写真は、3月11日の撮影。今春もそろそろ針が取り付けられ、春の花に植え替えられて、時を刻むことだろうが、この光景が見られるのも、あとわずかかもしれない。
仮に花時計がなくなったとしても、僕は「愛のオルゴール」を聞く度に「花時計からのたより」を連想し、秋田市役所に花時計があったことを思い出すだろう。
【31日追記】「愛のオルゴール」と「花時計からのたより」は、曲を聞くと本来の曲名よりもテレビ番組名のほうを連想してしまうというケース(少なくとも僕にとっては)。
同じような例が、「なるほど!ザ・ワールド(1990年まで使用)」と「刑事コロンボ(日本での放送)」。
どちらも昭和末期にテレビを見て過ごした人なら、すぐにテーマ曲が思い浮かぶと思うが、それぞれの曲名は「トランプス・ディスコのテーマ」「Mystery Movie Theme」であり、それぞれの番組のオリジナル曲ではない。
※針が取り付けられて動き始めた様子はこちら
※2012年4月から、広報番組の番組名が一部変更された。
【2012年7月31日追記】花時計と噴水は、庁舎建設の準備工事の段階で撤去されることが分かった。
【2012年8月10日追記】↑花時計の撤去は一時的なものであり、新庁舎周辺に再設置することが検討されていることが分かった。噴水は完全撤去。こちらの記事にて
【2016年3月17日追記】↑と思っていたら、新庁舎には設置されないことになっていた。
イオンリテールの店内放送で、65歳以上向けの電子マネー「ゆうゆうワオン」の案内(各店共通の録音されたもの。土崎港店と秋田中央店で確認)が流れることがある。(普通のWAONとの違いって、購入時に300ポイントが付与されて発行手数料が実質無料なのと15日に5%引きになるだけなのか)【4月8日追記】マックスバリュ東北の店内でも同じ放送が流れていた。
【11月20日追記】2012年9月15日から、「G.G WAONカード」なるものが発売された。ゆうゆうワオンの対象年齢を55歳以上に拡大したもので、特典などはゆうゆうワオンと変わらないようだ。ゆうゆうワオンも引き続き販売されてはいるが、イオンとしてはGGのほうを前面に押し出したいようで、上記店内放送は流れなくなった気がする。
そのナレーションの背後に流れるピアノメインのBGMを聞いて、懐かしい気分になってしまった。(理由は後ほど)
イオン以外の他の場面でも時折BGMなどとして耳する曲で、タイトルは「愛のナントカ」と曖昧にしか覚えていなかった。(「愛のメロディー」かなんかだと思っていた)
そんなことを考えた後、BSジャパンで7日に放送された「ポチたまペットの旅」を見ていた。横浜のおもちゃ博物館(北原鑑定士がいる所)を訪れて、展示物のオルゴールが紹介されるシーンで、その音楽が流れた。
そうだった! この曲名は「愛のオルゴール」だった!!
調べてみると、カナダの作曲家でピアニストのフランク・ミルズ(Frank Mills)が1974年に発表した曲で、原題は「Music Box Dancer」。アルバムから1978年にシングルカットされ、1979年にかけて世界的にヒットしたそうだ。
日本では、1979年に高田みづえという歌手(現在は相撲の松ヶ根部屋のおかみさん)が、このメロディーに日本語詞(作詞:斉藤仁子)をつけて「潮騒のメロディー」というタイトルで発売している。
【3月24日追記】「潮騒のメロディー」は、高田みづえよりも数か月先に「さこみちよ」という人(現在もラジオパーソナリティなどで活動)が発売しているそうで、高田みづえがカバーしたことになる。
てっきりクラシック曲かと思っていたが、意外に新しい曲だった。そう言われれば、ピアノやストリングスのほかドラムの音などもして、現代音楽っぽい。
で、なぜこの曲が懐かしいのかといえば、あるテレビ番組のオープニングテーマだったから。
そして、さらに「花時計」を連想してしまう。
そんな人は立派な(ちょっと昔の)秋田市民です!
ここで話が逸れますが…
市町村の広報は、テレビ(ケーブルテレビでなく地上波一般放送)でも行なっているところがある。(放送されるのは県全域なので、その市民以外も視聴できるというか視聴させられることになる)
昔、青森で見たものは、風景などの映像を背景にして、各種手続きやイベントの情報をテロップで表示してナレーションが入る程度の、いわば紙媒体の広報を抜粋してテレビで流しているようなものだった。
秋田県内では、定期的な広報番組は秋田市しか流していないはずだが、内容はそういうものではない。
時間は5分間ながらちゃんとした「番組」の形をとっていて、それを作っているのは秋田市役所の職員なのだ。(外部委託ではない)
テーマも市の事業から市民活動、歴史・文化の紹介など広範囲に渡る。昔は「市営バス運転士の1日に密着」みたいなものもあった。現在はおおむね1週間に2本ほどのペースで制作されているようだ。
秋田市広報広聴課ホームページの「広報テレビができるまで(http://www.city.akita.akita.jp/city/pl/pb/tvmaking.htm)」などによれば、自前での映像広報の開始は1955(昭和30)年。(紙の広報は1951年、外部委託の映像広報は1953年開始)
当初は16ミリフイルムでの撮影で、各地域の公民館などを巡回して上映する形式だったようだが、後にVTR制作・テレビ放送されるようになった。現在はちゃんとハイビジョンサイズ・画質になっている。
テレビ放送が始まった時期は不明だが、少なくとも1972年度には「市政テレビ放送」として放送されている。
秋田市広報広聴課側で行うのは、企画・取材・編集までで、ナレーションや字幕は放送する各放送局において、広報広聴課の原稿に従って入れることになっているのだそうだ。
【2020年10月24日追記・テレビ業界用語で「完パケ(完全パッケージメディア)」というのがある。映像編集や音入れが終わり、そのまま放送や販売できる形になった映像のこと。上記の通り秋田市広報番組は、市から各局へ渡される時点では、編集済みだがナレーション・音楽や字幕は入っていない。このようなものは「白完(白完パケ)」と呼ぶそうだが、秋田市や秋田のテレビ局でもそう呼んでいるかは不明。】
秋田市が作った5分間の広報番組は、現在は民放3局と秋田ケーブルテレビのコミュニティチャンネルで放送されている。(さらに放送が終わったものをその年度内に限り、秋田市サイト内でストリーミング配信している)
民放3局では放送曜日と時刻をずらしており、毎日どこかのチャンネルで1回は放送される。
番組名は、放送時間帯に合わせて「おはよう秋田市から(AAB)」「こんにちは秋田市から(ABS)」「こんばんは秋田市から(AKT)」。
放送回数が多い「おはよう~」と「こんにちは~」の間では、同じ内容が違うテレビ局で放送されることがある。その場合でも、字幕やナレーションは各放送局ごとに別に入れているので、文面は同じでも書体や声(それぞれの局アナが担当)が違う。
ケーブルテレビはやや古いものを1日に何回も放送するが、いずれもABSで放送したものを流用している。(昔はAABのだった)
タイトルは「元気いっぱい!秋田市情報」(←コミュニティチャンネルタイムスケジュールでの表記。実際の放送では「!」がなく、電子番組表では「秋田市広報番組」という名称)に替えられ、当然オープニング映像が差し替えられている(【27日追記】音楽は同じ)。また、番組の最後には、地上波各局の放送時には出ない「企画 秋田市広報広聴課/制作協力 ABS秋田放送」というテロップがやや強引に表示される。【27日追記】地上波放送では「企画 秋田市広報広聴課」は表示されるようだ。ケーブルでは、その部分を黄色く塗りつぶして2行が表示される
市町村の広報は、テレビ(ケーブルテレビでなく地上波一般放送)でも行なっているところがある。(放送されるのは県全域なので、その市民以外も視聴できるというか視聴させられることになる)
昔、青森で見たものは、風景などの映像を背景にして、各種手続きやイベントの情報をテロップで表示してナレーションが入る程度の、いわば紙媒体の広報を抜粋してテレビで流しているようなものだった。
秋田県内では、定期的な広報番組は秋田市しか流していないはずだが、内容はそういうものではない。
時間は5分間ながらちゃんとした「番組」の形をとっていて、それを作っているのは秋田市役所の職員なのだ。(外部委託ではない)
テーマも市の事業から市民活動、歴史・文化の紹介など広範囲に渡る。昔は「市営バス運転士の1日に密着」みたいなものもあった。現在はおおむね1週間に2本ほどのペースで制作されているようだ。
秋田市広報広聴課ホームページの「広報テレビができるまで(http://www.city.akita.akita.jp/city/pl/pb/tvmaking.htm)」などによれば、自前での映像広報の開始は1955(昭和30)年。(紙の広報は1951年、外部委託の映像広報は1953年開始)
当初は16ミリフイルムでの撮影で、各地域の公民館などを巡回して上映する形式だったようだが、後にVTR制作・テレビ放送されるようになった。現在はちゃんとハイビジョンサイズ・画質になっている。
テレビ放送が始まった時期は不明だが、少なくとも1972年度には「市政テレビ放送」として放送されている。
秋田市広報広聴課側で行うのは、企画・取材・編集までで、ナレーションや字幕は放送する各放送局において、広報広聴課の原稿に従って入れることになっているのだそうだ。
【2020年10月24日追記・テレビ業界用語で「完パケ(完全パッケージメディア)」というのがある。映像編集や音入れが終わり、そのまま放送や販売できる形になった映像のこと。上記の通り秋田市広報番組は、市から各局へ渡される時点では、編集済みだがナレーション・音楽や字幕は入っていない。このようなものは「白完(白完パケ)」と呼ぶそうだが、秋田市や秋田のテレビ局でもそう呼んでいるかは不明。】
秋田市が作った5分間の広報番組は、現在は民放3局と秋田ケーブルテレビのコミュニティチャンネルで放送されている。(さらに放送が終わったものをその年度内に限り、秋田市サイト内でストリーミング配信している)
民放3局では放送曜日と時刻をずらしており、毎日どこかのチャンネルで1回は放送される。
番組名は、放送時間帯に合わせて「おはよう秋田市から(AAB)」「こんにちは秋田市から(ABS)」「こんばんは秋田市から(AKT)」。
放送回数が多い「おはよう~」と「こんにちは~」の間では、同じ内容が違うテレビ局で放送されることがある。その場合でも、字幕やナレーションは各放送局ごとに別に入れているので、文面は同じでも書体や声(それぞれの局アナが担当)が違う。
ケーブルテレビはやや古いものを1日に何回も放送するが、いずれもABSで放送したものを流用している。(昔はAABのだった)
タイトルは「元気いっぱい!秋田市情報」(←コミュニティチャンネルタイムスケジュールでの表記。実際の放送では「!」がなく、電子番組表では「秋田市広報番組」という名称)に替えられ、当然オープニング映像が差し替えられている(【27日追記】音楽は同じ)。また、番組の最後には、地上波各局の放送時には出ない「企画 秋田市広報広聴課/制作協力 ABS秋田放送」というテロップがやや強引に表示される。【27日追記】地上波放送では「企画 秋田市広報広聴課」は表示されるようだ。ケーブルでは、その部分を黄色く塗りつぶして2行が表示される
地上波各局の秋田市政広報番組のタイトルが「○○○○秋田市から」に揃ったのは、2003年4月から。それ以前は、各放送局ごとにまったく別のタイトルだった。
2003年3月までは秋田放送(ABS)は「秋田市だより」、秋田朝日放送(AAB)は「ハローナウあきた」、そして秋田テレビ(AKT)が「花時計からのたより」だった。
オープニングの映像や音楽もそれぞれ異なり、「花時計からのたより」の音楽が
したがって、僕は「愛のオルゴール」を聞くと「花時計からのたより」を連想してしまうのだ。
1992年に開局したAABは、開局時から「ハローナウあきた」の番組名だったが、他の2局ではいつから「秋田市だより」「花時計からのたより」の番組名で放送されていたのかは分からない。広報紙「広報あきた」を検索すると少なくとも1983年にはその名前で放送されている。
さかのぼって1974年にはABSは「秋田市だより」、AKTは「秋田市告知板」という番組名だったので、AKTは途中で番組名を変えたようだ。
「花時計からのたより」の「花時計」とは、秋田市役所本庁舎の前庭に設置されている花時計のこと。

番組のオープニング映像にも、花時計が登場していた(映像は少なくとも1度リニューアルされたが新旧いずれにも映っていた)。
その花時計は1980年に設置されたものであり、「愛のオルゴール」のヒットが1979年であることを踏まえれば、そのあたりにAKTの番組名が「花時計からのたより」に変わったと考えられる。
僕が子どもの頃は、「花時計からのたより」は平日は「おはよう!ナイスデイ」の後の9時55分から、日曜日はテレビ東京のバラエティ番組の前の8時55分から放送されていて、広報番組の中ではいちばん見る機会が多く、なじみがあった。そして、「愛のオルゴール」のメロディーが耳に残った。
(ABS「秋田市だより」の秋田市章がぐるぐる回転するアニメとチェンバロとクラリネット系の楽器(?)による曲も印象に残るが、あまり好きでなかった)
市政番組のオープニングは15秒ほどであり、愛のオルゴールが流れるのもそこだけなので、曲のごく一部だけが使われていた。おそらく、曲の途中の一部分を抜き出していたと思われる。
今、フランク・ミルズのオリジナル演奏を聞いてみると、「花時計~」で流れていたのとはテンポや音程、音色が微妙に違うような気がする。(「花時計~」のほうが、やや遅くて低い?)
別の奏者によるカバー版か何かの別モノだったのだろうか。【冒頭の訂正の通り、別の曲でした】
愛のオルゴールには「おはようございます。秋田市が送る『花時計からのたより』です」というナレーションが重ねられていた。アナウンサーによっては「ハラ時計からのたより」と聞こえてしまうこともあった。
さて、秋田市役所の花時計自体について。

これは1980年7月12日の秋田市制91周年を記念して設置されたもの。
同年から秋田市が始めた「花百万本!花のある美しい街づくり運動」のシンボルでもあった。※関連アイテム
広報あきた818号(7月20日付)によれば、「この花時計設置を発案した、元市議会議員のみなさんの会「秋田市元市議会議員懇談会」から多額の寄付と、秋田市時計貴金属メガネ商組合から時計本体の寄贈をいただきました。」とのこと。
文字盤の直径は4メートルで、「SEIKO」ブランド(当時は「服部時計店」傘下の「精工舎」か?)のもの。以前は、文字盤の下に別に長方形の「SEIKO」ロゴの板が見えていたが、現在は茂った植え込みに隠れたのか、撤去されたのか、歩道上からは見えない。
針や文字板のデザインは異なるが、ほぼ同じサイズと思われるセイコーの花時計が、弘前公園内の「弘前城植物園(1983年開園)」にあるし、全国各地の公園などにも設置されているようだ。現在も、「セイコータイムシステム」社から受注生産で発売されている。【2013年11月13日追記】弘前の花時計は1975年に設置されたセイコー製だった。この記事末尾参照。
【2024年11月5日追記】2024年11月5日付秋田魁新報「シリーズ時代を語る・湊征子17」によれば、「武藤工芸鋳物」が秋田市役所の「花時計を作った会社です。」とのこと。秋田市添川にあり、同社ホームページにも花時計が紹介されている。時計自体はセイコーなので、文字盤部分の制作だろう。ほかに「ももさだカエル」、二丁目橋たもとの竿燈のモニュメント(「竿燈の像」という名らしい)、橋や建物の銘板なども作っている。(以上追記)
以後、秋田市役所の花時計には四季折々の花(といってもパンジー、マリーゴールド、サルビアなど花壇用の定番の花だけど)が植え替えられ、雪が積もる冬期間は針が撤去されて葉ボタンが植えられて、といった具合に大事に管理されながら、秋田市民に季節の移ろいを感じさせ続けて現在に至る。

また、秋田市の広報紙を音読して目が不自由な人たちに届ける奉仕活動をしている市民の集まりが「声の広報制作グループ花時計」という名称だったり、今はなき秋田市交通局が1988年に発行したポケットサイズバス時刻表の表紙のイラストが、花時計の前を通る市営バスだったりするなど、花時計は強く印象には残っていないかもしれないが、秋田市役所のシンボル的アイテムと言えそうだ。

秋田市役所の庁舎は、建て替えられることになっている(2013年度着工・2015年度竣工予定)。
このほど「新庁舎建設基本設計」が明らかになったが、それには花時計は出ていない。花時計がなくなってしまう可能性がある。
基本設計の配置計画の図面によれば、おおむね現庁舎の跡が駐車場になり、かつてのNHK秋田放送局跡地(現在は駐車場)が新庁舎になる。
花時計のある辺りは「緑地」にはなるようだが、花時計らしきものは描かれていない。
花時計後方の噴水のある池は、駐車スペースに重なっているようで、なくなりそう。

ほかにも、「秋田蘭画」の市制100周年モニュメントや、姉妹都市のドイツ・パッサウ市から1992年に贈られた「友情の鐘」の処遇もどうなるやら。

秋田市役所の花時計は設置から30年以上が経過している。
屋外で、しかも可動部である針を空に向けてむき出しにして稼働する機器だから、耐用年数はとっくに過ぎているのかもしれない。(公園や学校にある通常の屋外型電気時計だって、30年モノは少ないだろう)
この記事の針のない花時計の写真は、3月11日の撮影。今春もそろそろ針が取り付けられ、春の花に植え替えられて、時を刻むことだろうが、この光景が見られるのも、あとわずかかもしれない。
仮に花時計がなくなったとしても、僕は「愛のオルゴール」を聞く度に「花時計からのたより」を連想し、秋田市役所に花時計があったことを思い出すだろう。
【31日追記】「愛のオルゴール」と「花時計からのたより」は、曲を聞くと本来の曲名よりもテレビ番組名のほうを連想してしまうというケース(少なくとも僕にとっては)。
同じような例が、「なるほど!ザ・ワールド(1990年まで使用)」と「刑事コロンボ(日本での放送)」。
どちらも昭和末期にテレビを見て過ごした人なら、すぐにテーマ曲が思い浮かぶと思うが、それぞれの曲名は「トランプス・ディスコのテーマ」「Mystery Movie Theme」であり、それぞれの番組のオリジナル曲ではない。
※針が取り付けられて動き始めた様子はこちら
※2012年4月から、広報番組の番組名が一部変更された。
【2012年7月31日追記】花時計と噴水は、庁舎建設の準備工事の段階で撤去されることが分かった。
【2012年8月10日追記】↑花時計の撤去は一時的なものであり、新庁舎周辺に再設置することが検討されていることが分かった。噴水は完全撤去。こちらの記事にて
【2016年3月17日追記】↑と思っていたら、新庁舎には設置されないことになっていた。