伊勢神宮内宮(ないくう)前へ到着。※内宮は正式には「皇大神宮」。
長さ101.8メートル、幅8.42メートルの「宇治橋」で五十鈴川を渡って境内へ。
宇治橋は、第二次大戦後は式年遷宮の4年前に架け替えることになっている。今の橋は既に5年ほど経過しており、新しさは感じない。
隣の土地に新造してから遷宮・解体するお社と違い、宇治橋は同じ位置で架け直す。架け替え工事中は下流側に仮橋を設置するようだ。
五十鈴川上流方向。左側の岸が境内。右奥の日の丸が立っている周辺が駐車場
宇治橋の上流側の川の中には、流木が橋本体に衝突するのを防ぐ「木除杭(きよけぐい)」が並ぶ。
橋の両岸側に鳥居がある。(写真はこの記事最後にて)
鳥居は2014年10月に新しくされたばかりで、ピカピカ。
遷宮から1年遅れるのは、お社の遷宮で発生した廃材(内宮と外宮の両正宮から)を再利用するためだそう。20年前の材木になのにピカピカなのは磨いたりした後で鳥居にするのだろうか?
宇治橋を渡ると右に曲がって、「神苑」へ進む。
外宮では左側通行で、行き来とも同じ道だった(出入口・参道は2つ)。
一方、内宮では宇治橋から神苑付近は右側通行で、あとは行きと帰りで別ルート。時計回りで1周する形。【2024年7月13日追記・外宮と内宮で、通行の左右が違うのは、それぞれで御手洗場の位置と動線を考慮したことが、理由の1つとのこと。理にかなっていて納得できる。】
神苑。左右が大正天皇御手植えの松かな
神苑の先にトイレ。ここより先にはもうない。
さらに先に手水舎があり、昨日の外宮と違って多くの人が浄めていた。
だが、我々は素通り。
そのすぐ先が、五十鈴川の川原へ下りていける「五十鈴川御手洗場(いすずがわみたらし)」。そちらで五十鈴川の水を使って浄めるのだ。多くの神社において、手水舎ができる以前は、これが本来の御手洗の姿だったのだろう。
「五十鈴川御手洗場」
石が敷かれた数段の段差がある緩い坂。幅はかなり広い。ひしゃくなどはない。
上流方向 下流方向
川の水は汚くはないが別段きれいでもない。さほど冷たくもなかった気がする。
以前来たことがある同行者は、「昔はもっときれいで感動したはずだけど…」と言っていた。
五十鈴川の底には、
小銭が落ちてる
ここに賽銭を投げ入れる人がいるようだ。少々目立ちにくいが「五十鈴川に投銭しないでください」という立て札があるのだが。(そもそも単なる手洗い場に対して賽銭すると何かいいことがあるのだろうか? トレビの泉とかの影響?)
外宮同様、周りの樹木は常緑樹が多いが、対岸の川原には葉を落とした落葉樹が目についた。
秋田では当たり前の落葉樹が、ここでは異質に見えてしまう。
宇治橋を渡ってからここまで300メートルほど。
ここで参道は(川原に下りないルートから見て)左に曲がる。この角の前後に鳥居が2つ。
祈祷やお守り授与をする「神楽殿」、別宮への分岐などを過ぎて、幅広い参道が続く。この辺りで行き帰りのルートが再び重なる。
神楽殿では外宮同様、破魔矢を求める人が多く、おみくじはない。
おみくじがないのは、「伊勢神宮に訪れた日は、誰もが吉日だから」という理由と、「伊勢神宮で個人的な吉凶を占うのははばかられるから」という理由があるらしいが、どちらも当たっているように感じられる雰囲気だ。(ただし神楽殿周辺は一般的な神社と同様の光景で、おみくじがあってもおかしくはない雰囲気でもある)
参道を進む
外宮同様、大木を含む木々に覆われた山の中の道。
参道の外は林
上の写真で手前の木に注目。
果実がなっている!
ミカンほどの大きさの黄色い果実が何個か実っていた。
カンキツ類なのは間違いないけれど、野生ってことはなさそうだから、誰かが植えたのか??
この1本しか見つけられなかった。
宇治橋を渡ってから650メートルほど、のんびり歩いて20分ほどで参道は突き当り、その左手に正宮がある。
左の階段は参拝後の出口。入口は奥
外宮とは参道から見て左右が逆だが、似たような位置関係。今までテレビや写真で見ると、外宮も内宮も参道を歩いてくると正面に正宮があるかと思っていたが、横にあるとは少々意外だった。
また、遷宮前の正宮があった「古殿地」は、外宮とは逆に奥側。外宮と違って、間に木立があってあまり見えないようになっていた。
よく見るアングル。左から来て、右が行き止まり・古殿地
撮影できるのはこの石段の下まで。
※正宮は階段の上にあるため、右隣の古殿地側にも同様の階段があるということらしいが、間に木があって見えない。
人出は写真の通り。昨日の外宮よりは多い。
混雑時は、この階段が人でびっしりでかなり待たされたり、鳥居の脇から入れる急ぐ人向けコースが設けられたりするらしいが、この時は極めてスムーズ。
すぐに上がれて、待たずに(正確には1分くらいは待った)参拝できた。
外宮同様、内宮の敷地内にも、別の神様をおまつりした「別宮」があるので、参拝。やはり階段と坂で上り下りする位置にある。
途中には、
高床式倉庫のようなもの?
「御稲御倉(みしねのみくら)」という、これも御稲御倉神という神様をおまつりする神社なんだそうだが、特に参拝できるような設備・構造ではない。(別宮は立派なお社の造りになっている)
なんでこんなに小さいのか、参拝できる構造でないのか、とかいまいち分からない。勉強不足です。
すぐ近くに、そっくりな建物があり、そちらは「外幣殿(げへいでん)」という、お宝を収める所。こっちは倉庫的なもののようだ。
左奥が御稲御倉、右手前が外幣殿
どちらも遷宮に合わせて新しくされたようだ。
神楽殿の近くまで戻り、ちょっと離れた所にある「風日祈宮(かざひのみのみや)」という別宮へ。
距離としてはそんなにないが、参道から別れた道を進み、橋で川を渡った所にある。
橋は宇治橋を小さくしたような(長さ45.6メートル、幅4.6メートル)「風日祈宮橋」で、渡る川は「島路川」。
島路川は、この橋の下流=五十鈴川御手洗場のすぐ上流部で、五十鈴川に合流するのだが、直角に近い角度で合流するため、橋や御手洗場から見ても合流点であることが分かりにくいようだ。
橋を渡って、右に曲がった右側に風日祈宮がある。やはり道は行き止まり。
真新しい風日祈宮。裏手が島路川、左のほうに五十鈴川
ここで貴重な光景を見られた。遷宮間もないため、以前の風日祈宮がそのまま残っていたのだ。
新旧風日祈宮。色がぜんぜん違う
古いほうでも20年前のものだから、そんなに古く見えないと思っていたが、実際にはだいぶ風格が出ている。
むき出しの木材だとこんなに違ってくるのか
ちょうど以前の風日祈宮の中から、巡回中の警備の衛士が出てきた。神様はいらっしゃらない“空き家”ということなんだろうが、出る時には一礼をしていた。
正宮の人出と比較すれば、風日祈宮まで参拝に来る人はちらほら程度で少ない。
距離は大したことないのに、道をそれて来ようとは思わないのだろうか。せっかくなんだから来ればいいのに。
あとは、行きの参道の1本山側の道で宇治橋へ戻る。
途中、ちょっとした人だかりが。
白馬!
神様が乗る「神馬(しんめ)」がいる「御厩(みうまや)」。※掲示では神馬でなく「御料御馬」となっていた。
外宮、内宮とも皇室から贈られた神馬が2頭ずついて、このようにタイミングによっては参拝者が見られる所に出ている。(外宮の御厩は、我々が通らなかった場所にあった。)月3回ほど、朝に正宮へ参拝する姿も見られる。
この時いらしたのは「空勇(そらいさむ)号」。
アングロアラブ種で、1993年宮内庁御料牧場生まれ、2011年に内宮へ寄進された。
馬自体、近くで見た経験は少ないけれど、白馬は初めて見たかもしれない。
若干せわしなさそうにも見えたが、参拝者に見られたりカメラを向けられても、逆にこちらを眺めるなどまんざらでもなさそうなお顔。
ただし、掲示では投銭、フラッシュ撮影、食べ物を与えるのはしないようにとしているのに、フラッシュをたく参拝者がいたのはいかがなものか。数分の間で2~3回は見かけた。近くに複数の神社関係者(警備担当ではないが)がいたが、特に注意はしない。
五十鈴川の投銭にしてもそうだし、正宮の撮影についても若干感じたが、ここは掲示が小さくて少なくて、気づかない人は気づかないこともありそう。
おおらかでいいのかもしれないが、川や動物相手のことだし、外国人旅行客だっている。もう少し、はっきりと言ったほうがいいのかもしれない。
と、恐れ多くも苦言を呈します。
(でも考えてみれば1300年前から続く伊勢神宮の注意書きに「フラッシュ撮影」なんて言葉が入ること自体、ある意味画期的かも)
境内では、神の使いであるニワトリ(神鶏)も放し飼いにされている。チャボや尾長鶏もいるらしいが、馬の近くを歩いていたのは、
白い鶏(白色レグホンとか?)
ちょうど1時間で、宇治橋へ戻った。歩行距離としては2キロ程度だろうか。やはり外宮より広い。アップダウンや林の様子は、両宮でそんなに違わない。
新しい鳥居がきれい
天気が良くなってきて、晴れ間と青空が出た。
昼近くなり、人出が増えてきたようだ。やはり、できるだけ早い時間がじっくり参拝できるようだ。
外宮同様、そんなに肩肘張って格式張った雰囲気ではないが、何か清々しく落ち着いた気持ちになる場所だった。
伊勢神宮を参拝して、この国に生まれて生きていることに縁や感謝を感じ、我が国の長い歴史の中で、世の中は変わっても変わらずに受け継がれているものがあることを実感した。
神宮におみくじがない理由2つを上で述べたが、たしかにそんな個人的なことは置いておいて、もっと大きなものに触れられたような気がした。
【23日追記】「伊勢参りに行ったから、いいことがありそう」などではなく、「伊勢参りに行けたこと自体が、いいことだった」というような、感謝の気持ちが強かったかもしれない。
この旅行の大きな目的は、これにて達成。(本来なら、周辺に多数ある別宮を始めとする神社にもお参りするべきですが、割愛させていただきました)
あとは、お腹を満たして、お土産を買って、やっぱり鉄道・バスとか街中のささいな風景とかも…ということで続きます。
長さ101.8メートル、幅8.42メートルの「宇治橋」で五十鈴川を渡って境内へ。
宇治橋は、第二次大戦後は式年遷宮の4年前に架け替えることになっている。今の橋は既に5年ほど経過しており、新しさは感じない。
隣の土地に新造してから遷宮・解体するお社と違い、宇治橋は同じ位置で架け直す。架け替え工事中は下流側に仮橋を設置するようだ。
五十鈴川上流方向。左側の岸が境内。右奥の日の丸が立っている周辺が駐車場
宇治橋の上流側の川の中には、流木が橋本体に衝突するのを防ぐ「木除杭(きよけぐい)」が並ぶ。
橋の両岸側に鳥居がある。(写真はこの記事最後にて)
鳥居は2014年10月に新しくされたばかりで、ピカピカ。
遷宮から1年遅れるのは、お社の遷宮で発生した廃材(内宮と外宮の両正宮から)を再利用するためだそう。20年前の材木になのにピカピカなのは磨いたりした後で鳥居にするのだろうか?
宇治橋を渡ると右に曲がって、「神苑」へ進む。
外宮では左側通行で、行き来とも同じ道だった(出入口・参道は2つ)。
一方、内宮では宇治橋から神苑付近は右側通行で、あとは行きと帰りで別ルート。時計回りで1周する形。【2024年7月13日追記・外宮と内宮で、通行の左右が違うのは、それぞれで御手洗場の位置と動線を考慮したことが、理由の1つとのこと。理にかなっていて納得できる。】
神苑。左右が大正天皇御手植えの松かな
神苑の先にトイレ。ここより先にはもうない。
さらに先に手水舎があり、昨日の外宮と違って多くの人が浄めていた。
だが、我々は素通り。
そのすぐ先が、五十鈴川の川原へ下りていける「五十鈴川御手洗場(いすずがわみたらし)」。そちらで五十鈴川の水を使って浄めるのだ。多くの神社において、手水舎ができる以前は、これが本来の御手洗の姿だったのだろう。
「五十鈴川御手洗場」
石が敷かれた数段の段差がある緩い坂。幅はかなり広い。ひしゃくなどはない。
上流方向 下流方向
川の水は汚くはないが別段きれいでもない。さほど冷たくもなかった気がする。
以前来たことがある同行者は、「昔はもっときれいで感動したはずだけど…」と言っていた。
五十鈴川の底には、
小銭が落ちてる
ここに賽銭を投げ入れる人がいるようだ。少々目立ちにくいが「五十鈴川に投銭しないでください」という立て札があるのだが。(そもそも単なる手洗い場に対して賽銭すると何かいいことがあるのだろうか? トレビの泉とかの影響?)
外宮同様、周りの樹木は常緑樹が多いが、対岸の川原には葉を落とした落葉樹が目についた。
秋田では当たり前の落葉樹が、ここでは異質に見えてしまう。
宇治橋を渡ってからここまで300メートルほど。
ここで参道は(川原に下りないルートから見て)左に曲がる。この角の前後に鳥居が2つ。
祈祷やお守り授与をする「神楽殿」、別宮への分岐などを過ぎて、幅広い参道が続く。この辺りで行き帰りのルートが再び重なる。
神楽殿では外宮同様、破魔矢を求める人が多く、おみくじはない。
おみくじがないのは、「伊勢神宮に訪れた日は、誰もが吉日だから」という理由と、「伊勢神宮で個人的な吉凶を占うのははばかられるから」という理由があるらしいが、どちらも当たっているように感じられる雰囲気だ。(ただし神楽殿周辺は一般的な神社と同様の光景で、おみくじがあってもおかしくはない雰囲気でもある)
参道を進む
外宮同様、大木を含む木々に覆われた山の中の道。
参道の外は林
上の写真で手前の木に注目。
果実がなっている!
ミカンほどの大きさの黄色い果実が何個か実っていた。
カンキツ類なのは間違いないけれど、野生ってことはなさそうだから、誰かが植えたのか??
この1本しか見つけられなかった。
宇治橋を渡ってから650メートルほど、のんびり歩いて20分ほどで参道は突き当り、その左手に正宮がある。
左の階段は参拝後の出口。入口は奥
外宮とは参道から見て左右が逆だが、似たような位置関係。今までテレビや写真で見ると、外宮も内宮も参道を歩いてくると正面に正宮があるかと思っていたが、横にあるとは少々意外だった。
また、遷宮前の正宮があった「古殿地」は、外宮とは逆に奥側。外宮と違って、間に木立があってあまり見えないようになっていた。
よく見るアングル。左から来て、右が行き止まり・古殿地
撮影できるのはこの石段の下まで。
※正宮は階段の上にあるため、右隣の古殿地側にも同様の階段があるということらしいが、間に木があって見えない。
人出は写真の通り。昨日の外宮よりは多い。
混雑時は、この階段が人でびっしりでかなり待たされたり、鳥居の脇から入れる急ぐ人向けコースが設けられたりするらしいが、この時は極めてスムーズ。
すぐに上がれて、待たずに(正確には1分くらいは待った)参拝できた。
外宮同様、内宮の敷地内にも、別の神様をおまつりした「別宮」があるので、参拝。やはり階段と坂で上り下りする位置にある。
途中には、
高床式倉庫のようなもの?
「御稲御倉(みしねのみくら)」という、これも御稲御倉神という神様をおまつりする神社なんだそうだが、特に参拝できるような設備・構造ではない。(別宮は立派なお社の造りになっている)
なんでこんなに小さいのか、参拝できる構造でないのか、とかいまいち分からない。勉強不足です。
すぐ近くに、そっくりな建物があり、そちらは「外幣殿(げへいでん)」という、お宝を収める所。こっちは倉庫的なもののようだ。
左奥が御稲御倉、右手前が外幣殿
どちらも遷宮に合わせて新しくされたようだ。
神楽殿の近くまで戻り、ちょっと離れた所にある「風日祈宮(かざひのみのみや)」という別宮へ。
距離としてはそんなにないが、参道から別れた道を進み、橋で川を渡った所にある。
橋は宇治橋を小さくしたような(長さ45.6メートル、幅4.6メートル)「風日祈宮橋」で、渡る川は「島路川」。
島路川は、この橋の下流=五十鈴川御手洗場のすぐ上流部で、五十鈴川に合流するのだが、直角に近い角度で合流するため、橋や御手洗場から見ても合流点であることが分かりにくいようだ。
橋を渡って、右に曲がった右側に風日祈宮がある。やはり道は行き止まり。
真新しい風日祈宮。裏手が島路川、左のほうに五十鈴川
ここで貴重な光景を見られた。遷宮間もないため、以前の風日祈宮がそのまま残っていたのだ。
新旧風日祈宮。色がぜんぜん違う
古いほうでも20年前のものだから、そんなに古く見えないと思っていたが、実際にはだいぶ風格が出ている。
むき出しの木材だとこんなに違ってくるのか
ちょうど以前の風日祈宮の中から、巡回中の警備の衛士が出てきた。神様はいらっしゃらない“空き家”ということなんだろうが、出る時には一礼をしていた。
正宮の人出と比較すれば、風日祈宮まで参拝に来る人はちらほら程度で少ない。
距離は大したことないのに、道をそれて来ようとは思わないのだろうか。せっかくなんだから来ればいいのに。
あとは、行きの参道の1本山側の道で宇治橋へ戻る。
途中、ちょっとした人だかりが。
白馬!
神様が乗る「神馬(しんめ)」がいる「御厩(みうまや)」。※掲示では神馬でなく「御料御馬」となっていた。
外宮、内宮とも皇室から贈られた神馬が2頭ずついて、このようにタイミングによっては参拝者が見られる所に出ている。(外宮の御厩は、我々が通らなかった場所にあった。)月3回ほど、朝に正宮へ参拝する姿も見られる。
この時いらしたのは「空勇(そらいさむ)号」。
アングロアラブ種で、1993年宮内庁御料牧場生まれ、2011年に内宮へ寄進された。
馬自体、近くで見た経験は少ないけれど、白馬は初めて見たかもしれない。
若干せわしなさそうにも見えたが、参拝者に見られたりカメラを向けられても、逆にこちらを眺めるなどまんざらでもなさそうなお顔。
ただし、掲示では投銭、フラッシュ撮影、食べ物を与えるのはしないようにとしているのに、フラッシュをたく参拝者がいたのはいかがなものか。数分の間で2~3回は見かけた。近くに複数の神社関係者(警備担当ではないが)がいたが、特に注意はしない。
五十鈴川の投銭にしてもそうだし、正宮の撮影についても若干感じたが、ここは掲示が小さくて少なくて、気づかない人は気づかないこともありそう。
おおらかでいいのかもしれないが、川や動物相手のことだし、外国人旅行客だっている。もう少し、はっきりと言ったほうがいいのかもしれない。
と、恐れ多くも苦言を呈します。
(でも考えてみれば1300年前から続く伊勢神宮の注意書きに「フラッシュ撮影」なんて言葉が入ること自体、ある意味画期的かも)
境内では、神の使いであるニワトリ(神鶏)も放し飼いにされている。チャボや尾長鶏もいるらしいが、馬の近くを歩いていたのは、
白い鶏(白色レグホンとか?)
ちょうど1時間で、宇治橋へ戻った。歩行距離としては2キロ程度だろうか。やはり外宮より広い。アップダウンや林の様子は、両宮でそんなに違わない。
新しい鳥居がきれい
天気が良くなってきて、晴れ間と青空が出た。
昼近くなり、人出が増えてきたようだ。やはり、できるだけ早い時間がじっくり参拝できるようだ。
外宮同様、そんなに肩肘張って格式張った雰囲気ではないが、何か清々しく落ち着いた気持ちになる場所だった。
伊勢神宮を参拝して、この国に生まれて生きていることに縁や感謝を感じ、我が国の長い歴史の中で、世の中は変わっても変わらずに受け継がれているものがあることを実感した。
神宮におみくじがない理由2つを上で述べたが、たしかにそんな個人的なことは置いておいて、もっと大きなものに触れられたような気がした。
【23日追記】「伊勢参りに行ったから、いいことがありそう」などではなく、「伊勢参りに行けたこと自体が、いいことだった」というような、感謝の気持ちが強かったかもしれない。
この旅行の大きな目的は、これにて達成。(本来なら、周辺に多数ある別宮を始めとする神社にもお参りするべきですが、割愛させていただきました)
あとは、お腹を満たして、お土産を買って、やっぱり鉄道・バスとか街中のささいな風景とかも…ということで続きます。