秋田市にある「茨島(ばらじま)」バス停の続き。
前回の国道13号線上とは別の場所にも、「茨島」というバス停が存在する。”異所同名”といったところ。
13号線側の茨島バス停から茨島交差点を新屋方向へ左折した、県道56号線(広義の新国道)側にある。
上り側/下り側(2009年撮影なので、現在は表示板が若干変更されている)
国道の茨島と同じく、羽後交通と(市営バスから移管された)中央交通のポールが並んで立つ。上り側はぴったり寄り添って、下り側は微妙な距離を置いて。
しかし、羽後交通のポールには「茨島」とあるものの、中央交通のポールには「ハローワーク秋田前」とある。
一部地図サイトでは「茨島ハローワーク前」と表示されるものもあるが、そうではなく、場所は同じながら、バス会社ごとにバス停名が異なっている。
羽後交通は急行本荘線が通り、乗降とも可能。本数は毎時1本あるかないか。
(再掲)急行本荘線
中央交通は、大町経由新屋線と本数がわずかな新港線、茨島牛島環状線が通る。いずれも秋田市営バスからの移管路線。
新屋線も、今は本数が減ってしまって毎時2本程度。※新屋線のうち卸町経由用のハローワーク前は別の場所にある。
【2016年2月25日追記】2016年10月から、卸町経由新屋線の経路が変更(形式上は廃止→新規路線開設)されることになり、ハローワーク前を通らなくなるので、卸町経由用バス停は廃止されることになる。
このバス停は「茨島」の名称よりも、新屋線の「ハローワーク前」として知っている人のほうが多いかもしれない。
各バス停の位置関係
同じ場所に複数のバス会社のバス停が存在し、バス会社によってバス停の名前が違う“同所異名”のケースは全国的にたまに見られる。鉄道駅でもたまに存在する。
現在の秋田市内では、同所異名バス停はここともう1か所だけではないだろうか。
もう1か所は、ここから少し北に進んだ所。市営バス時代にさかのぼる。
(再掲)
羽後交通(高速湯沢、急行角館、急行本荘と秋田市内に来る全路線が通っていたはず)が「長崎屋前」で、市営バス(割山線上りと新港線)は「旭北錦町」。
中央交通は、長崎屋バスターミナルの中に入るので、路上にはポールがなかった。
【2016年11月21日追記】路上ではなくバスターミナルの中のバス停名について。
中央交通としてのバスターミナル内のバス停名は「長崎屋バスターミナル」だそうだが、羽後交通急行本荘線は、ターミナルの中に入っても「長崎屋前」という名称。こちら側も微妙に違うのだった。
これは、羽後交通は高速バスを共同運行しているよしみもあって、中央交通に合わせたバス停名にしたこと、競合関係にあった市営バスとしてはライバルの息のかかった(中央交通が所有する土地である)「長崎屋」の名前を使いたくなかったのかもしれない。
※ただし、長崎屋ができる前にここが車庫だった頃は、市営バスも「中央交通前」というバス停名だったことをうかがわせる表示もあった。
新港線と割山線が中央交通に移管された後も、「旭北錦町」はそのまま残った。
しかし、割山線の平日朝6本以外はすべてバスターミナルの中へ入るようになり、旭北錦町で乗降できる便数が激減した。
南高校前や弘前バスターミナル(前)のように、構内と路上に同じ名称のバス停が共存しているケースがある。移管後の長崎屋バスターミナルと旭北錦町も同じような関係ではあるが、名前が違っているのは、区別しやすくて親切。ということにしておきましょう。
さらに市営バス時代は、同所異名バス停がもう1つあった。
中央交通の長崎屋経由大川反車庫行き(「中央交通線」という路線名らしいが…)の路線において、長崎屋バスターミナルの隣のバス停「中央交通本社前」である。
市営バス時代は同経路の「大川経由交通局線」もわずかに走っていた。長崎屋同様、市営バスとしてはライバルの本社前を名乗れないから、「川元山下町」という名称だった。
話を戻して。
「ハローワーク前」と「茨島」は、どうして名称が異なるのか。以下は、広報あきたやWikipediaの記述を基にした推測です。
まずは異所同名の理由。
羽後交通で「茨島」なのは、13号線の高速湯沢線側と同一停留所とみなしているのかもしれない。
路線が分岐したすぐ先に、同一名称のバス停が分散設置されるケースで、秋田市内の旧市営バスや中央交通の路線では、「山王十字路」や「豊町」などの例がある。(「手形東町」は分岐ではないが離れた場所に分散している。ちなみに「神田」は外旭川と太平という全然別の場所にあり、それは他人の空似?)
ただ、急行本荘線側は「茨島」という名称では、大雑把な命名に思えないでしょうか。
高速湯沢線側では、茨島の次は大野口までバス停がないので、「茨島地区唯一のバス停」という意味で「茨島」で差し支えない。
一方、急行本荘線では、茨島-茨島三丁目-茨島四丁目と「茨島」が付くバス停が3つも続く。だったら、この「茨島」は「茨島一丁目」もしくは「茨島二丁目」でないと、おかしくないでしょうか?
その理由は、「新屋線のバス停がハローワーク前になった経緯(同所異名の理由)」と「羽後交通本荘線が茨島-三丁目-四丁目という順番になった経緯」に分けて、歴史をさかのぼれば見えてくる。
まずは前者。新屋線のバス停名。
新屋線は、秋田市の路線バスとしては最古の路線の1つで、交通局の前身である民間企業「秋田電気軌道」時代の1923年に運行が始まっている。(したがって新屋線は民営→市営→民営と変遷している)
また、「茨島」という地名は、かつては「茨島町一~ニ丁目」が存在し、1964年以降の住居表示で柳原新田、牛島などの各一部と合わせて「茨島一~七丁目」となっている。
新屋線の運行開始当時は、今の茨島一帯は田んぼで、後に工業地帯となり、さらに住宅地も形成されたのだろう。だから、当初から現在と同じ位置・数のバス停があったわけではないはずだ。
実は新屋線にも、昔は「茨島」というバス停が存在した。場所は現在のハローワーク前の位置だったと思われるので、昔は2事業者そろって「茨島」だったはず。(急行本荘線の運行開始時期が不明なので確証は持てない)
新屋線から「茨島」というバス停がなくなったのは、1968年10月20日。「経済大学前」に変わった。
経済大学とは、現在は下北手桜にあるノースアジア大学。
1964年に秋田経済大学として茨島(現在の茨島体育館などの場所。ハローワークの場所も?)に開学したのだが、4年遅れてバス停名が変わった。
その後、経済大は1983年に秋田経済法科大学に名称変更し下北手の現在地へ移転したので、バス停名は「茨島二丁目」に変わった。
さらにその後、川尻? にあった秋田公共職業安定所が、現在地・茨島一丁目に移転して来た。その正確な年は分からないが、1988年発行の市営バスの冊子時刻表に職安の最寄りバス停が「茨島二丁目」とされている。その後、1990年に職業安定所の愛称が「ハローワーク」となったので、(時期は不明だが)バス停も「職業安定所前」→「ハローワーク秋田前」となって現在に至っている。
【2019年10月9日追記】茨島のハローワークの建物が建てられたのは1985年だったことが分かった。したがって1988年時点では移転済みのはず。だいぶ遅れてバス停名が変わったことになる。
市営バスの側面行き先表示(方向幕)は、最後まで一貫して「職業安定所」表記
茨島→職業安定所というのが、地理的にはダブっているし、順番も逆のほうがいい(秋田駅側から行けばハローワークが茨島の最初の地点だから)気がする。LED化・系統番号付与された今もそうだっけ?
移管直後に見られた中央交通の自前車両の小型幕は「ハローワーク」となった
市営バスも以前の中央交通も、秋田大橋(バス停としては「秋田大橋前」)を単に「大橋」としているのが大雑把だが、今は「秋田大橋」になってる?
※市営バスから譲渡され、市営時代の幕をそのまま使い続けた車両では、移管後も「職業安定所」のままだった。現在はすべてLED化され「ハローワーク」に統一された。
つまり、新屋線のバス停は 茨島 → 経済大学前 → 茨島二丁目 → 職業安定所前 → ハローワーク秋田前 と名前が変遷してきた間も、羽後交通はずっと「茨島」で通してきたことになる。これが同所異名の理由。
そして後者。三丁目と四丁目もあるのに、なぜ「茨島」は「茨島」なのか。
急行本荘線は「急行」と名乗りながら、新屋線と重複する区間(茨島~日吉神社前)では9停留所のうち、秋田大橋前を除く8停留所で乗降を扱っている。(大橋前がないのは、隣の三菱マテリアル前と近すぎるからだろうか。たしかに大橋架け替え後は一段と近接してしまっている)【2月1日訂正】三菱マテリアル前と秋田大橋前を除く7停留所で乗降を扱っている。
しかし、たしか1990年代のどこかまでは、この区間でも新屋線よりかなり少ない一部のバス停にしか停まっていなかった。(遅くとも2000年には現在のようになっていた)その頃、茨島の次は、すっ飛ばして新屋支所前(現・日吉神社前)まで停まらなかったはず。
つまり、以前は急行本荘線で茨島地区唯一のバス停が「茨島」だったので、その名称でもおかしくなかったのだ。(新屋線のハローワーク前との整合性とは別として)
元々は「茨島」1つだけだった所に停留所が増えてしまった結果、茨島-茨島三丁目-茨島四丁目という違和感のあるバス停配置になってしまったのだった。
2009年の新屋支所前→日吉神社前や一昨年の美短入口→美大前の時は、中央交通も羽後交通もほぼ同時期にバス停名を変えている。
(再掲)同じ路線上でちゃんと同所同名になっているものもあるのに
「茨島」も、本荘線のバス停増設時に「ハローワーク前」(もしくは「茨島一丁目」なり「茨島二丁目」なり)に変更すれば良かったのに、機会を逸してしまっているのだろうか。
【2016年10月14日追記】急行本荘線では、由利本荘市内で「ハローワーク本荘前」というバス停があるそうだ。もし、茨島を改称するのなら「ハローワーク秋田前」にしないとまぎらわしくなる。
前回も含めてまとめると、現在の「茨島」バス停は、
・[異所同名]国道13号線側に中央交通と羽後交通、県道56号線側に羽後交通と、(羽後交通としては)2か所に存在。
・(13号線側の)中央交通は片道だけの南高校行き新港線用で、もう片側はポールはあるもののバスは来ない。
・13号線側の羽後交通は、高速バス湯沢線の乗車専用/降車専用。共同運行の中央交通も使用。
・[同所異名]県道側は羽後交通急行本荘線用だけが「茨島」を名乗る。同じ場所の中央交通と統一されていない上、本荘線の停留所が増えたため近隣停留所ともちぐはぐな名称になってしまっている。
ところで、県道の上り(秋田駅行き)側「ハローワーク前」および「茨島」は、かつてはログハウス風の待合所があった。
現在は、冒頭の写真のようにポールだけが立つ吹きさらしのバス停。(パチンコ屋があるので、その気になればどこかで屋根や風除けはあるが…)
公道上ではなく、パチンコ屋の敷地にもまたがって設置されていたはずで、そのパチンコ屋の建て替えの時だったか、数年前に撤去されてしまったのだ。
近くの茨島三丁目や三菱マテリアル前では、近隣企業有志によるものと思われる待合所がある。いちばん新しくてきれいだったハローワーク前だけが、なくなってしまったのだ。
ここはハローワーク来所者や近くの専門学校の学生の乗車が多いのに。(待合所があったらあったで、全員を収容できない可能性もあるが…)
市営バス時代は、中に壁掛けタイプのバス接近表示(バスロケーションシステム)もあった
【2021年10月3日補足】これは2代目のバスロケ。初代バスロケ時代だった、1987年の映像を見たところ、待合室はなく、路上に自立式のポール(接近表示の標準タイプ)が設置されていた。
前回の国道13号線上とは別の場所にも、「茨島」というバス停が存在する。”異所同名”といったところ。
13号線側の茨島バス停から茨島交差点を新屋方向へ左折した、県道56号線(広義の新国道)側にある。
上り側/下り側(2009年撮影なので、現在は表示板が若干変更されている)
国道の茨島と同じく、羽後交通と(市営バスから移管された)中央交通のポールが並んで立つ。上り側はぴったり寄り添って、下り側は微妙な距離を置いて。
しかし、羽後交通のポールには「茨島」とあるものの、中央交通のポールには「ハローワーク秋田前」とある。
一部地図サイトでは「茨島ハローワーク前」と表示されるものもあるが、そうではなく、場所は同じながら、バス会社ごとにバス停名が異なっている。
羽後交通は急行本荘線が通り、乗降とも可能。本数は毎時1本あるかないか。
(再掲)急行本荘線
中央交通は、大町経由新屋線と本数がわずかな新港線、茨島牛島環状線が通る。いずれも秋田市営バスからの移管路線。
新屋線も、今は本数が減ってしまって毎時2本程度。※新屋線のうち卸町経由用のハローワーク前は別の場所にある。
【2016年2月25日追記】2016年10月から、卸町経由新屋線の経路が変更(形式上は廃止→新規路線開設)されることになり、ハローワーク前を通らなくなるので、卸町経由用バス停は廃止されることになる。
このバス停は「茨島」の名称よりも、新屋線の「ハローワーク前」として知っている人のほうが多いかもしれない。
各バス停の位置関係
同じ場所に複数のバス会社のバス停が存在し、バス会社によってバス停の名前が違う“同所異名”のケースは全国的にたまに見られる。鉄道駅でもたまに存在する。
現在の秋田市内では、同所異名バス停はここともう1か所だけではないだろうか。
もう1か所は、ここから少し北に進んだ所。市営バス時代にさかのぼる。
(再掲)
羽後交通(高速湯沢、急行角館、急行本荘と秋田市内に来る全路線が通っていたはず)が「長崎屋前」で、市営バス(割山線上りと新港線)は「旭北錦町」。
中央交通は、長崎屋バスターミナルの中に入るので、路上にはポールがなかった。
【2016年11月21日追記】路上ではなくバスターミナルの中のバス停名について。
中央交通としてのバスターミナル内のバス停名は「長崎屋バスターミナル」だそうだが、羽後交通急行本荘線は、ターミナルの中に入っても「長崎屋前」という名称。こちら側も微妙に違うのだった。
これは、羽後交通は高速バスを共同運行しているよしみもあって、中央交通に合わせたバス停名にしたこと、競合関係にあった市営バスとしてはライバルの息のかかった(中央交通が所有する土地である)「長崎屋」の名前を使いたくなかったのかもしれない。
※ただし、長崎屋ができる前にここが車庫だった頃は、市営バスも「中央交通前」というバス停名だったことをうかがわせる表示もあった。
新港線と割山線が中央交通に移管された後も、「旭北錦町」はそのまま残った。
しかし、割山線の平日朝6本以外はすべてバスターミナルの中へ入るようになり、旭北錦町で乗降できる便数が激減した。
南高校前や弘前バスターミナル(前)のように、構内と路上に同じ名称のバス停が共存しているケースがある。移管後の長崎屋バスターミナルと旭北錦町も同じような関係ではあるが、名前が違っているのは、区別しやすくて親切。ということにしておきましょう。
さらに市営バス時代は、同所異名バス停がもう1つあった。
中央交通の長崎屋経由大川反車庫行き(「中央交通線」という路線名らしいが…)の路線において、長崎屋バスターミナルの隣のバス停「中央交通本社前」である。
市営バス時代は同経路の「大川経由交通局線」もわずかに走っていた。長崎屋同様、市営バスとしてはライバルの本社前を名乗れないから、「川元山下町」という名称だった。
話を戻して。
「ハローワーク前」と「茨島」は、どうして名称が異なるのか。以下は、広報あきたやWikipediaの記述を基にした推測です。
まずは異所同名の理由。
羽後交通で「茨島」なのは、13号線の高速湯沢線側と同一停留所とみなしているのかもしれない。
路線が分岐したすぐ先に、同一名称のバス停が分散設置されるケースで、秋田市内の旧市営バスや中央交通の路線では、「山王十字路」や「豊町」などの例がある。(「手形東町」は分岐ではないが離れた場所に分散している。ちなみに「神田」は外旭川と太平という全然別の場所にあり、それは他人の空似?)
ただ、急行本荘線側は「茨島」という名称では、大雑把な命名に思えないでしょうか。
高速湯沢線側では、茨島の次は大野口までバス停がないので、「茨島地区唯一のバス停」という意味で「茨島」で差し支えない。
一方、急行本荘線では、茨島-茨島三丁目-茨島四丁目と「茨島」が付くバス停が3つも続く。だったら、この「茨島」は「茨島一丁目」もしくは「茨島二丁目」でないと、おかしくないでしょうか?
その理由は、「新屋線のバス停がハローワーク前になった経緯(同所異名の理由)」と「羽後交通本荘線が茨島-三丁目-四丁目という順番になった経緯」に分けて、歴史をさかのぼれば見えてくる。
まずは前者。新屋線のバス停名。
新屋線は、秋田市の路線バスとしては最古の路線の1つで、交通局の前身である民間企業「秋田電気軌道」時代の1923年に運行が始まっている。(したがって新屋線は民営→市営→民営と変遷している)
また、「茨島」という地名は、かつては「茨島町一~ニ丁目」が存在し、1964年以降の住居表示で柳原新田、牛島などの各一部と合わせて「茨島一~七丁目」となっている。
新屋線の運行開始当時は、今の茨島一帯は田んぼで、後に工業地帯となり、さらに住宅地も形成されたのだろう。だから、当初から現在と同じ位置・数のバス停があったわけではないはずだ。
実は新屋線にも、昔は「茨島」というバス停が存在した。場所は現在のハローワーク前の位置だったと思われるので、昔は2事業者そろって「茨島」だったはず。(急行本荘線の運行開始時期が不明なので確証は持てない)
新屋線から「茨島」というバス停がなくなったのは、1968年10月20日。「経済大学前」に変わった。
経済大学とは、現在は下北手桜にあるノースアジア大学。
1964年に秋田経済大学として茨島(現在の茨島体育館などの場所。ハローワークの場所も?)に開学したのだが、4年遅れてバス停名が変わった。
その後、経済大は1983年に秋田経済法科大学に名称変更し下北手の現在地へ移転したので、バス停名は「茨島二丁目」に変わった。
さらにその後、川尻? にあった秋田公共職業安定所が、現在地・茨島一丁目に移転して来た。その正確な年は分からないが、1988年発行の市営バスの冊子時刻表に職安の最寄りバス停が「茨島二丁目」とされている。その後、1990年に職業安定所の愛称が「ハローワーク」となったので、(時期は不明だが)バス停も「職業安定所前」→「ハローワーク秋田前」となって現在に至っている。
【2019年10月9日追記】茨島のハローワークの建物が建てられたのは1985年だったことが分かった。したがって1988年時点では移転済みのはず。だいぶ遅れてバス停名が変わったことになる。
市営バスの側面行き先表示(方向幕)は、最後まで一貫して「職業安定所」表記
茨島→職業安定所というのが、地理的にはダブっているし、順番も逆のほうがいい(秋田駅側から行けばハローワークが茨島の最初の地点だから)気がする。LED化・系統番号付与された今もそうだっけ?
移管直後に見られた中央交通の自前車両の小型幕は「ハローワーク」となった
市営バスも以前の中央交通も、秋田大橋(バス停としては「秋田大橋前」)を単に「大橋」としているのが大雑把だが、今は「秋田大橋」になってる?
※市営バスから譲渡され、市営時代の幕をそのまま使い続けた車両では、移管後も「職業安定所」のままだった。現在はすべてLED化され「ハローワーク」に統一された。
つまり、新屋線のバス停は 茨島 → 経済大学前 → 茨島二丁目 → 職業安定所前 → ハローワーク秋田前 と名前が変遷してきた間も、羽後交通はずっと「茨島」で通してきたことになる。これが同所異名の理由。
そして後者。三丁目と四丁目もあるのに、なぜ「茨島」は「茨島」なのか。
急行本荘線は「急行」と名乗りながら、新屋線と重複する区間(茨島~日吉神社前)では9停留所のうち、
しかし、たしか1990年代のどこかまでは、この区間でも新屋線よりかなり少ない一部のバス停にしか停まっていなかった。(遅くとも2000年には現在のようになっていた)その頃、茨島の次は、すっ飛ばして新屋支所前(現・日吉神社前)まで停まらなかったはず。
つまり、以前は急行本荘線で茨島地区唯一のバス停が「茨島」だったので、その名称でもおかしくなかったのだ。(新屋線のハローワーク前との整合性とは別として)
元々は「茨島」1つだけだった所に停留所が増えてしまった結果、茨島-茨島三丁目-茨島四丁目という違和感のあるバス停配置になってしまったのだった。
2009年の新屋支所前→日吉神社前や一昨年の美短入口→美大前の時は、中央交通も羽後交通もほぼ同時期にバス停名を変えている。
(再掲)同じ路線上でちゃんと同所同名になっているものもあるのに
「茨島」も、本荘線のバス停増設時に「ハローワーク前」(もしくは「茨島一丁目」なり「茨島二丁目」なり)に変更すれば良かったのに、機会を逸してしまっているのだろうか。
【2016年10月14日追記】急行本荘線では、由利本荘市内で「ハローワーク本荘前」というバス停があるそうだ。もし、茨島を改称するのなら「ハローワーク秋田前」にしないとまぎらわしくなる。
前回も含めてまとめると、現在の「茨島」バス停は、
・[異所同名]国道13号線側に中央交通と羽後交通、県道56号線側に羽後交通と、(羽後交通としては)2か所に存在。
・(13号線側の)中央交通は片道だけの南高校行き新港線用で、もう片側はポールはあるもののバスは来ない。
・13号線側の羽後交通は、高速バス湯沢線の乗車専用/降車専用。共同運行の中央交通も使用。
・[同所異名]県道側は羽後交通急行本荘線用だけが「茨島」を名乗る。同じ場所の中央交通と統一されていない上、本荘線の停留所が増えたため近隣停留所ともちぐはぐな名称になってしまっている。
ところで、県道の上り(秋田駅行き)側「ハローワーク前」および「茨島」は、かつてはログハウス風の待合所があった。
現在は、冒頭の写真のようにポールだけが立つ吹きさらしのバス停。(パチンコ屋があるので、その気になればどこかで屋根や風除けはあるが…)
公道上ではなく、パチンコ屋の敷地にもまたがって設置されていたはずで、そのパチンコ屋の建て替えの時だったか、数年前に撤去されてしまったのだ。
近くの茨島三丁目や三菱マテリアル前では、近隣企業有志によるものと思われる待合所がある。いちばん新しくてきれいだったハローワーク前だけが、なくなってしまったのだ。
ここはハローワーク来所者や近くの専門学校の学生の乗車が多いのに。(待合所があったらあったで、全員を収容できない可能性もあるが…)
市営バス時代は、中に壁掛けタイプのバス接近表示(バスロケーションシステム)もあった
【2021年10月3日補足】これは2代目のバスロケ。初代バスロケ時代だった、1987年の映像を見たところ、待合室はなく、路上に自立式のポール(接近表示の標準タイプ)が設置されていた。