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衛生看護学院解体

2016-07-26 00:24:43 | 秋田の季節・風景
秋田駅からほど近い、千秋公園の向かいに、秋田県関係の医療機関・研究機関がまとまって存在する。
その場所は、その1つで代表的な「秋田県立脳血管研究センター」を指して「脳研の場所」といえば、今の秋田市民の多くには通用するはず。
年配の人は「中央病院(の場所)」と呼ぶこともある。(今はかなりの高齢者でも「脳研」が浸透している)

元はここに「秋田県立中央病院」があったそうで、1971年に国へ移管し秋田大学医学部附属病院になり(=県立病院としては廃止)、1976年に現在地(秋大本道キャンパス)へ移転していった。
その跡に、別の県の医療機関ができて、今に至っていることになる。
脳研は1969年に診療を開始(中央病院と共存していた?)し、1983年に現在の建物ができた。2009年に県直営から地方独立行政法人秋田県立病院機構に移管。

脳研と隣り合った建物(敷地北西寄り道路沿い)には、1984年から「秋田県成人病医療センター」があったのだが、2015年春で廃止・解散されて、今は脳研の病棟の一部(西棟)になっている。


旧・成人病医療センターのさらに北側も一連の敷地が続いており、もう1つの機関とその建物があった。
「秋田県立衛生看護学院」である。
敷地は道路沿いではあるものの、建物は道路からやや奥まった位置にあり、短辺を道路に向けているので、目立たない。正直言って、ここにこういうものがあるという認識はなかった。
その建物(校舎・体育館など)が今春から解体され、更地になった。

県立衛生看護学院は、2008年に横手市へ移転している。移転先は、2006年に県立横手清陵学院に統合されて閉校となった、県立横手工業高校の跡地とのこと。
ここは移転後8年間、空き屋だったことになる。
衛生看護学院の起源は1958年までさかのぼる。いつからこの場所にあって、解体された建物がいつできたのかは不明。


解体された衛生看護学院の建物は目立たないとしたが、一方で、まったく目立たないわけでもなかった。
脳研の敷地の裏はがけ状になっているため、ここは相対的に高台に位置し、その外側にあった衛生看護学院の校舎は、手形陸橋などから全体を見ることができた。視界には入っていて、意識しない存在だったのだ。
昨冬、手形陸橋から。右が千秋公園
茶系統で統一された病棟とは違う、白っぽいクリーム色の建物。昭和40年代辺りの学校らしい造り。【2日訂正】コメントで教えていただいた通り、かつてはこの建物は中央病院の病棟の1つだったとのこと。
校舎本体は、鉄筋コンクリート造地上5階・地下1階建て、延べ床面積約4900.136平方メートル。学校だけでなく寄宿舎も入っていたらしい。

4月初め手形陸橋から
解体工事は、窓や一部の壁を外して、内部を空にして素通しにすることから始まったようだ。
南中南棟もそうだったけど、昔のようにいきなりバリバリ壊すことはなくなった。
千秋公園二の丸から。中はスカスカ
4月中旬には、本格的に解体着手。
4月中旬千秋公園側道路から。奥が旧・成人病医療センター
解体作業も丁寧にやっているのか、進み方が思ったよりゆっくり。
1か月後でこの程度
それでも、6月初めには、
建物はなくなった
地下部分の解体も時間がかかった。
7月に入って、完全な更地になった。
7月下旬

木の向こうは崖。太平山がちらりと見える

左奥の脳研本体が見えるようになった

卒業生のみなさんにとっては、学校は横手へ移転してしまい、建物もなくなってしまい、寂しいかもしれない。思い入れのない者としても、なんとなく寂しい。
最後まで衛生看護学院の名をとどめていた、味のある文字の看板も撤去された

脳研では、建物の増築や改築が検討されているようで、それとともに看護学院跡地は脳研の駐車場になる予定らしい。
前の県道の拡幅もあるのかな? 崖下の区画整理もあるし、これから中期的くらいのスパンで、しばらく変化が続きそうな一帯。

2019年3月の状況
コメント (2)
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