秋田市内を走る秋田中央交通のバス路線のいくつかが、2016年9月で廃止もしくは経路変更された。※この記事とこの記事参照
いずれの路線も運行時間帯や本数は限られたもので、大勢に影響はないとも言えるが、いずれも元は秋田市営バスが運行していた路線であったので、市営バスの面影がまた消えたとも言えよう。
廃止路線のいくつかを、記録しておくことにする。
今回は、駅東線。以前も取り上げており、「えきひがし線」ではなく「えきとう線」であるらしかった。
秋田駅東口と大学病院、さらにその東隣にある境田団地の境田上丁の間を小型バスで運行。
廃止時点では、平日のみ3往復と、ほかに朝に大学病院始発で秋田駅を経由せず、明田地下道・南大通り・県庁を経由して、大川反車庫へ行く片道1便が運行されていた。
この一帯のバス路線は、経路の変更等が繰り返されていて、歴史はよく分からないが、昔の「広報あきた」等でざっと調べた限りでは、
・1970年代前半の時点で秋田駅西口発着の「広面線」という市営バス路線が存在。1972年冬に山崎南団地まで延長されている。(それまではどこ止まりだったのかは不明)小型バス導入前なので、大型バスなどで運行されていたはずだから、まったく別ルートだった可能性が高い。
・1975年に市営バスが初めて小型バスを導入したが、その段階では駅東線には使われていない。つまり路線がまだできていない可能性がある。
・1979年では、小型バスによる「広面線」が、西口-広小路-南大通り-明田踏切(現・地下道)-東通-広面-山崎南団地という経路(西側がずいぶん遠回りだ)で運行されている。これも微妙に違いそう。
確実なのは、
・1988年に秋田駅に東口が開設(自由通路Weロード)され、バス乗り場も設けられ、東口-大学病院の「駅東線」が登場。毎時2本、1日33往復もあった。
・2003年春。市営バスから中央交通へ路線移管。この時点では毎時1本程度。
・2014年11月。大幅減便。土日は全休に。
少なくとも28年の歴史がありそう。【末尾の追記も参照。1980年に駅東線の運行が始まっているが、この記事の駅東線とは微妙に重なっているが、大きく違う点もあった。】
ルートは、秋田駅東口を出て2つ目の交差点で左折し北方向へ進んで、間もなく右折。狭い道を1.5キロほど東へ直進。突き当りを左折して北へ進めば、大学病院。大学病院に立ち寄った後、東進して境田団地に入り、北進して終点。(境田団地内の状況はよく知りません)
全バス停を記しておく。下線部分がこの路線単独のバス停であり、それらが今回廃止された。※地図はこの記事最後にあります。
では、路線を少したどってみる。※撮影は廃止前ですが、車両の写真はありません。
上り側手形東町バス停。奥右方が秋田駅東口。タワー状のものはNHK
サンクス秋田手形店(いずれはファミマに転換か?)のところに、最初のバス停「手形東町」がある。
「手形東町」という地名は存在しないが、この付近の町内会の名前のようだ。バス停のローマ字によれば「てがたひがし“まち”」。
赤沼【12日訂正】駅東線用手形東町のポールは市営バスタイプの円形表示板のダルマ形だったが、バス停名の文字が縦長の丸ゴシックなので、移管間もない頃に中央交通が設置したものと思われる。上り側もおそらく同じ。※バス停板面はこの記事参照
ちなみに、県道側の手形東町は2事業者共用タイプの四角い表示板のダルマ形で、ローマ字なし。
秋田駅を出てすぐだけど、さっそく手形東町で運賃(整理券番号)が変わる。
駅から乗った場合は次の区間も引き続き初乗り運賃が継続されるが、大学病院方面から乗った場合は、駅まで行くよりもたしか10円安い。
また、朝の県庁方面行きは、手形東町通過後、秋田駅東口をすぐ右に見て素通りし、次は「東大通り」。東口行きは9時過ぎまでないのだから、県庁方面行きが東口に立ち寄っても良かったのではないかな。時間は大してかからなかったし。今さらだけど。
さて、東口からここまでは、歩道と中央分離帯付きの広い道路。ここ数年で、手形山崎交差点まで開通して、東口から秋田大学方面へスムーズな通行ができるようになったが、昔は歩道もない狭い道だったはず。
秋田駅から来たバスは、手形東町通過後、すぐに右折する。
上の写真と逆方向。奥が秋田大学方向
上の写真左奥に青い道案内の標識が写っているが、それより手前(中央分離帯が途切れた所)の小さな道へ入る。
こんなところからこんなところへバスが出入りするのかと驚くけれど、昔は曲がる前の道も同じようなものだったはず。
以降、歩道もセンターラインもない対面通行の道を東へ進む。ここは小型バスじゃないと厳しそう。
(順が前後しますが)手形十七流
この先、「広面谷地田」バス停までの1.3キロほどの間に信号機付き交差点は1つ、ほかに常時点滅の信号機付き交差点がたしか2つあって、バス路線側が黄色点滅。一方で、信号のない交差点では、バス路線側が「止まれ」の箇所もある。
沿道は住宅街。新しい家やかつて(今も?)農家だったような大きな家もあるにはあるが、築30~40年と思しき民家やアパートが多い。最近はそれらが解体されたような空き地もある。
必然的に、民家の玄関前にバス停があるような状態。
この道のバス停は、ほぼすべてが市営バス末期に設置(あるいは表示面の更新)されたと思われる、バス停名が細い丸ゴシック体でローマ字併記の透明シールを貼り付けたタイプ。このタイプがまとまって存在するのは珍しいかも。
棒や表示板面はかなり錆びているものの、表示部分は意外にもしっかり判読できるものが大部分。
「手形西谷地」の次は、
「北光寮前」
上り側は例によって透明シール。下り側は違うタイプで、やや太くやや扁平なカットシールの文字。これも市営バス時代の設置ではあるが、別に用立てられたようだ。色あせ具合が違うほか、ローマ字が透明シールは「HOKKOURYOUMAE」、カットシールは「HOKKO RYO MAE」。
「北光寮」とは、秋田大学の学生寮。
上の写真で更地になっている部分に、以前は建物があった。現在は、東隣の交差点角に、高層の新しい寮ができている。
調べたら、2010年に新しくなったそうで、今は「北光寮」ではなく「西谷地寮」という名称だそう。バス停名が古いままだったことになる。
ちなみに、北光寮時代は工学資源学部(旧・鉱山学部)学生限定だったのが、今は全学部の学生が入居できるとのこと(ただし男子寮)。
信号機付き交差点を越えて手形変電所を過ぎると、
「手形十七流」上り側
「てがたじゅうしちながれ」という、変わった響きのバス停。
所在地の「手形字十七流」に由来する。大字の「手形」も由来には諸説あるそうだが、小字の「十七流」がことさら不思議。
秋田市立東小学校ホームページ「地名の由来」によれば、明治頃に(秋田駅前にあった、旧陸軍)歩兵第17連隊を除隊した人たちが流れて移り住んだという説や、水の流れや川が17か所あった説があるものの、根拠はなく分からないようだ。
そろそろ、大字が「手形」から「広面(ひろおもて)」に変わる。この道路が両大字の境界になる区間もある。
「広面屋敷田」
ローマ字では「HIROOMOTEYASIKIDEN」、すなわち「~やしきでん」。
ところが、地名としての小字「屋敷田」は「やしきだ」と読むようだ。(上記東小ホームページと秋田市生活総務課ホームページ「秋田市地名小辞典」より)
秋田市では、外旭川八幡田や手形の搦田のように、「○○田」を「~でん」と読む地名がいくつか見られる。一方で、「~た/だ」ももちろんある。
かつての秋田市交通局では、この確認が甘かったらしく、手形の扇田(おうぎだ)を「OGIDEN(おうぎでん)」としてしまっていたが、屋敷田も同じケース。【12日補足・ただし扇田では、地元の人たちは「おうぎでん」と呼んでいるとのコメントもいただいていた。生活総務課か交通局か、どちらかが間違っているか、2通りの呼び名が存在するということなのかもしれない。屋敷田については地元でどう呼ぶのかは不明】
上の写真の上り側の表示板では、左右に穴が1つずつ開いている。下の棒で留めているネジ穴の下にも別に1つある。
また、下段の赤い部分の塗装が取れて、下の層に市営バスの表示板の上段に使われていた緑色が見えている。
塗り替えた時に、回転してしまったのかもしれないが、穴がたくさんある理由にはならない。多くの経歴を持つ表示板なのだろう。
広面屋敷田で運賃・整理券が変わる。東口から乗った場合、広面屋敷田までが初乗り運賃だったはず。
道路両側とも広面地区になって、
「広面家ノ下」上り側
広面家ノ下の上り側もまた奇妙。
ポールの枠に時刻表がきちんと掲出されているのに、その隣の電柱にも、まったく同一の時刻表(改正日が同じ)が掲出されている。なぜ?
電柱のほうは、針金やビニールひもを使って巻きつけられている。
推測だけど、最初は普通に枠のみに掲出→枠の時刻表が風で飛んでバス会社側が新たに掲出→その後、飛ばされた時刻表が近隣の人によって発見され、捨てるのも忍びないと電柱に巻きつけた。といった経緯だろうか。(だとしても、廃止の告知を貼りに来た時に気づいてなんとかしても良さそうなもんだけど…)
「広面大巻」で運賃が変わって、
「広面谷地田」上り側
これは「やちた」。地名小辞典によればこれで正解。
上り側では、時刻表の枠がひもで十字に縛られている。
枠はサビサビで浮き上がっている。このままでは時刻表が外れてしまうと、近隣の人が見るに見かねて、縛ったのだろうか。
東進する区間のバス停は広面谷地田が最後。
すぐに、久々の信号機があって、
広い道路を越える ※横向きの車は、道路外の民地に駐車している。標識より右がバス路線の道路
横金(よこかな。横山金足線)こと県道41号線を横断。
この交差点の積雪時に停止線の位置を知らせる標識が、縦書きの「停止位置」の古いタイプ。
交差点の先も引き続き狭い道が続くものの、バス停はない。突き当たって左折すれば、そこは赤沼線の経路。合流してあとは一直線で大学病院方向へ向かう。
運賃は、南団地と大学病院で変わる。
手形西谷地から広面谷地田まで、約1000メートルの間に7つのバス停があったから、平均して150メートル弱の間隔。実際に、200メートルと離れていない位置に隣のバス停がある。
ところが、広面谷地田の次のバス停は、突き当たって左折した「南団地」で、300メートルほど離れている。横金線開通前からバス停は変わっていないようだが(位置は動いたのかも?)、偏っている。
それから、この区間で地名を使ったバス停は、すべて「手形~」「広面~」と大字が頭に付いているのが特徴的。
秋田では、「(新屋)豊町」「(川元)むつみ町」「(保戸野)桜町」「(外旭川)神田」「(手形)からみでん」といった具合に、大字(に相当する地名)を略すバス停が少なくない【14日追記・もしくは表示板やホームページで“表記ゆれ”があって、大字の有無が不統一=むつみ町など】のに、駅東線は律儀。命名当時の交通局の気まぐれでしょうけど。
【15日追記】終点の「境田」は、所在地名「柳田字境田(やなぎだ あざさかいだ)」が由来。
駅東線の廃止代替は、既存の赤沼線。
東口-碇入口-南団地-大学病院-赤沼入口-手形山崎-西口-車庫の経路。
上記の通り、南北方向の南団地~大学病院は同一ルート。東西方向の区間では駅東線の南300メートル(東口~碇入口)と北350メートル(手形陸橋の通り)ほどの位置を並行する。
東口~大学病院は、赤沼線でも駅東線でも、運賃は同額(廃止時220円。西口よりも30円安い)で、所要時間もほぼ同じだったはず。
地理院地図に加筆
↑赤い線が駅東線、青い線が赤沼線。●はバス停で、赤丸が駅東線専用で今回廃止。【12日訂正】大学病院の1つ下の青丸は「谷内佐渡」停留所ですが、位置を間違えてマークしていました。もう1ブロック下が正当です。
東口を出た赤沼線が走るのは、東口からまっすぐの広い道路。秋田中央道路地下トンネルの上-トンネル出入口-城東十字路-中央インターへ至る、市道~県道62号線。
今の感覚ならば、この広い道路があるのに、駅東線はどうしてわざわざ狭い道を走っていたのかと思うかもしれない。
しかし、広い道路が開通したのは、1998年頃。(当時は「中央線」と呼ばれていた)
それまでは、北側の手形陸橋の通りか、ずっと南の明田地下道の通りしか、東西方向の大きな道路は存在しなかった。
駅東線の運行開始当時は、(近隣の住民の足となるには)あの狭い道路を走るしかなかったのである。
(再掲)アルヴェ14階から東方向。右奥が中央IC方向。他の道はどれも狭い
広い道ができたから、単純に赤沼線へ振り替えてしまってよかったのかとなると、疑問。
以前も述べたように、赤沼線のルートにはバス停が少ない上、広い道を信号のある交差点まで回って向かい側へ渡らないとバス停と行き来できなくなるケースもあり、ほとんどの駅東線沿線住民にとっては、バス停がかなり遠くなってしまうはずだから。
駅東線の手形西谷地~広面谷地田まで7つのバス停がある区間において、その南側を並行する赤沼線ルートでは、東通一丁目、東通二丁目、城東中学校入口(旧・東営業所入口)、碇入口の4つしかない。
三吉神社・赤沼入口の北側ルートでは少し多いものの、道路までの距離がややある。
こまめにバス停があり、その取れそうな時刻表がヒモで縛るなどされていたのは、駅東線が地域に密着した路線で、沿線住民から親しまれていたことの現れではないだろうか。駅東線沿線のみなさんが廃止に納得しているのならば、よそ者が口を出す余地はないのだろうけど、赤沼線のバス停を増設するとか、もう少し救済措置があってもいいようにも思える。
それから、告知はされていないが、廃止された境田下丁と境田上丁の代替として、太平線(岩見三内行き)の柳田入口と柳田下丁が使えそう。
ただし、西口発着だから運賃は高くなるし、大学病院にも立ち寄るから大学病院で降りて歩いても大して違わなさそうではある。
さて、赤沼線【12日訂正】駅東線の廃止により、小型バスが秋田駅東口に出入りすることはなくなると思っていた。
ところが、10月以降も東口に小型バスが待機していることがある。待機場所として使っているだけなんだろうか?
別の廃止路線について、また後日。次の記事は泉山王環状線の記録。
【10月17日追記】歴史について。
秋田市交通局の庁舎・中央営業所が保戸野鉄砲町から寺内(臨海)へ移転した1980年7月13日から「駅東線」の運行が始まっていた。今回廃止された駅東線と重なるルートもあるが、異なる点もある。
秋田駅前(西口。当時は東口はなかった)-(明田地下道)-東通仲町-長沼東町-東営業所入口-東通十字路-手形西谷地-秋大北光寮前-手形変電所前
というもの。
長沼東町~東通十字路というのはよく分からないが、東小学校のほうまで遠回りしていたのかもしれない。手形西谷地以降は、廃止された駅東線と重なる。変電所前というバス停があって、それが起終点なのは意外。毎時ほぼ1本運行。
いずれの路線も運行時間帯や本数は限られたもので、大勢に影響はないとも言えるが、いずれも元は秋田市営バスが運行していた路線であったので、市営バスの面影がまた消えたとも言えよう。
廃止路線のいくつかを、記録しておくことにする。
今回は、駅東線。以前も取り上げており、「えきひがし線」ではなく「えきとう線」であるらしかった。
秋田駅東口と大学病院、さらにその東隣にある境田団地の境田上丁の間を小型バスで運行。
廃止時点では、平日のみ3往復と、ほかに朝に大学病院始発で秋田駅を経由せず、明田地下道・南大通り・県庁を経由して、大川反車庫へ行く片道1便が運行されていた。
この一帯のバス路線は、経路の変更等が繰り返されていて、歴史はよく分からないが、昔の「広報あきた」等でざっと調べた限りでは、
・1970年代前半の時点で秋田駅西口発着の「広面線」という市営バス路線が存在。1972年冬に山崎南団地まで延長されている。(それまではどこ止まりだったのかは不明)小型バス導入前なので、大型バスなどで運行されていたはずだから、まったく別ルートだった可能性が高い。
・1975年に市営バスが初めて小型バスを導入したが、その段階では駅東線には使われていない。つまり路線がまだできていない可能性がある。
・1979年では、小型バスによる「広面線」が、西口-広小路-南大通り-明田踏切(現・地下道)-東通-広面-山崎南団地という経路(西側がずいぶん遠回りだ)で運行されている。これも微妙に違いそう。
確実なのは、
・1988年に秋田駅に東口が開設(自由通路Weロード)され、バス乗り場も設けられ、東口-大学病院の「駅東線」が登場。毎時2本、1日33往復もあった。
・2003年春。市営バスから中央交通へ路線移管。この時点では毎時1本程度。
・2014年11月。大幅減便。土日は全休に。
少なくとも28年の歴史がありそう。【末尾の追記も参照。1980年に駅東線の運行が始まっているが、この記事の駅東線とは微妙に重なっているが、大きく違う点もあった。】
ルートは、秋田駅東口を出て2つ目の交差点で左折し北方向へ進んで、間もなく右折。狭い道を1.5キロほど東へ直進。突き当りを左折して北へ進めば、大学病院。大学病院に立ち寄った後、東進して境田団地に入り、北進して終点。(境田団地内の状況はよく知りません)
全バス停を記しておく。下線部分がこの路線単独のバス停であり、それらが今回廃止された。※地図はこの記事最後にあります。
秋田駅東口-手形東町-手形西谷地-北光寮前-手形十七流-広面屋敷田-広面家ノ下-広面大巻-広面谷地田-南団地-山崎団地前-谷内佐渡-大学病院前-境田下丁-境田上丁【15日訂正・「谷内佐渡」を抜かしていたので追加しました】
では、路線を少したどってみる。※撮影は廃止前ですが、車両の写真はありません。
上り側手形東町バス停。奥右方が秋田駅東口。タワー状のものはNHK
サンクス秋田手形店(いずれはファミマに転換か?)のところに、最初のバス停「手形東町」がある。
「手形東町」という地名は存在しないが、この付近の町内会の名前のようだ。バス停のローマ字によれば「てがたひがし“まち”」。
この北方400メートルほどの手形陸橋の通り(県道28号線)にも、同名のバス停がある。そちらは赤沼線や太平線などが停まるので、今回の廃止とは無関係。
ちなみに、県道側で手形東町の隣のバス停は「若葉町」だが、これも町内会名が由来らしい。名前が思いつかなくて、苦労して命名したのかな。
ちなみに、県道側で手形東町の隣のバス停は「若葉町」だが、これも町内会名が由来らしい。名前が思いつかなくて、苦労して命名したのかな。
ちなみに、県道側の手形東町は2事業者共用タイプの四角い表示板のダルマ形で、ローマ字なし。
秋田駅を出てすぐだけど、さっそく手形東町で運賃(整理券番号)が変わる。
駅から乗った場合は次の区間も引き続き初乗り運賃が継続されるが、大学病院方面から乗った場合は、駅まで行くよりもたしか10円安い。
また、朝の県庁方面行きは、手形東町通過後、秋田駅東口をすぐ右に見て素通りし、次は「東大通り」。東口行きは9時過ぎまでないのだから、県庁方面行きが東口に立ち寄っても良かったのではないかな。時間は大してかからなかったし。今さらだけど。
さて、東口からここまでは、歩道と中央分離帯付きの広い道路。ここ数年で、手形山崎交差点まで開通して、東口から秋田大学方面へスムーズな通行ができるようになったが、昔は歩道もない狭い道だったはず。
秋田駅から来たバスは、手形東町通過後、すぐに右折する。
上の写真と逆方向。奥が秋田大学方向
上の写真左奥に青い道案内の標識が写っているが、それより手前(中央分離帯が途切れた所)の小さな道へ入る。
こんなところからこんなところへバスが出入りするのかと驚くけれど、昔は曲がる前の道も同じようなものだったはず。
以降、歩道もセンターラインもない対面通行の道を東へ進む。ここは小型バスじゃないと厳しそう。
(順が前後しますが)手形十七流
この先、「広面谷地田」バス停までの1.3キロほどの間に信号機付き交差点は1つ、ほかに常時点滅の信号機付き交差点がたしか2つあって、バス路線側が黄色点滅。一方で、信号のない交差点では、バス路線側が「止まれ」の箇所もある。
沿道は住宅街。新しい家やかつて(今も?)農家だったような大きな家もあるにはあるが、築30~40年と思しき民家やアパートが多い。最近はそれらが解体されたような空き地もある。
必然的に、民家の玄関前にバス停があるような状態。
この道のバス停は、ほぼすべてが市営バス末期に設置(あるいは表示面の更新)されたと思われる、バス停名が細い丸ゴシック体でローマ字併記の透明シールを貼り付けたタイプ。このタイプがまとまって存在するのは珍しいかも。
棒や表示板面はかなり錆びているものの、表示部分は意外にもしっかり判読できるものが大部分。
「手形西谷地」の次は、
「北光寮前」
上り側は例によって透明シール。下り側は違うタイプで、やや太くやや扁平なカットシールの文字。これも市営バス時代の設置ではあるが、別に用立てられたようだ。色あせ具合が違うほか、ローマ字が透明シールは「HOKKOURYOUMAE」、カットシールは「HOKKO RYO MAE」。
「北光寮」とは、秋田大学の学生寮。
上の写真で更地になっている部分に、以前は建物があった。現在は、東隣の交差点角に、高層の新しい寮ができている。
調べたら、2010年に新しくなったそうで、今は「北光寮」ではなく「西谷地寮」という名称だそう。バス停名が古いままだったことになる。
ちなみに、北光寮時代は工学資源学部(旧・鉱山学部)学生限定だったのが、今は全学部の学生が入居できるとのこと(ただし男子寮)。
信号機付き交差点を越えて手形変電所を過ぎると、
「手形十七流」上り側
「てがたじゅうしちながれ」という、変わった響きのバス停。
所在地の「手形字十七流」に由来する。大字の「手形」も由来には諸説あるそうだが、小字の「十七流」がことさら不思議。
秋田市立東小学校ホームページ「地名の由来」によれば、明治頃に(秋田駅前にあった、旧陸軍)歩兵第17連隊を除隊した人たちが流れて移り住んだという説や、水の流れや川が17か所あった説があるものの、根拠はなく分からないようだ。
そろそろ、大字が「手形」から「広面(ひろおもて)」に変わる。この道路が両大字の境界になる区間もある。
「広面屋敷田」
ローマ字では「HIROOMOTEYASIKIDEN」、すなわち「~やしきでん」。
ところが、地名としての小字「屋敷田」は「やしきだ」と読むようだ。(上記東小ホームページと秋田市生活総務課ホームページ「秋田市地名小辞典」より)
秋田市では、外旭川八幡田や手形の搦田のように、「○○田」を「~でん」と読む地名がいくつか見られる。一方で、「~た/だ」ももちろんある。
かつての秋田市交通局では、この確認が甘かったらしく、手形の扇田(おうぎだ)を「OGIDEN(おうぎでん)」としてしまっていたが、屋敷田も同じケース。【12日補足・ただし扇田では、地元の人たちは「おうぎでん」と呼んでいるとのコメントもいただいていた。生活総務課か交通局か、どちらかが間違っているか、2通りの呼び名が存在するということなのかもしれない。屋敷田については地元でどう呼ぶのかは不明】
上の写真の上り側の表示板では、左右に穴が1つずつ開いている。下の棒で留めているネジ穴の下にも別に1つある。
また、下段の赤い部分の塗装が取れて、下の層に市営バスの表示板の上段に使われていた緑色が見えている。
塗り替えた時に、回転してしまったのかもしれないが、穴がたくさんある理由にはならない。多くの経歴を持つ表示板なのだろう。
広面屋敷田で運賃・整理券が変わる。東口から乗った場合、広面屋敷田までが初乗り運賃だったはず。
道路両側とも広面地区になって、
「広面家ノ下」上り側
広面家ノ下の上り側もまた奇妙。
ポールの枠に時刻表がきちんと掲出されているのに、その隣の電柱にも、まったく同一の時刻表(改正日が同じ)が掲出されている。なぜ?
電柱のほうは、針金やビニールひもを使って巻きつけられている。
推測だけど、最初は普通に枠のみに掲出→枠の時刻表が風で飛んでバス会社側が新たに掲出→その後、飛ばされた時刻表が近隣の人によって発見され、捨てるのも忍びないと電柱に巻きつけた。といった経緯だろうか。(だとしても、廃止の告知を貼りに来た時に気づいてなんとかしても良さそうなもんだけど…)
「広面大巻」で運賃が変わって、
「広面谷地田」上り側
これは「やちた」。地名小辞典によればこれで正解。
上り側では、時刻表の枠がひもで十字に縛られている。
枠はサビサビで浮き上がっている。このままでは時刻表が外れてしまうと、近隣の人が見るに見かねて、縛ったのだろうか。
東進する区間のバス停は広面谷地田が最後。
すぐに、久々の信号機があって、
広い道路を越える ※横向きの車は、道路外の民地に駐車している。標識より右がバス路線の道路
横金(よこかな。横山金足線)こと県道41号線を横断。
この交差点の積雪時に停止線の位置を知らせる標識が、縦書きの「停止位置」の古いタイプ。
交差点の先も引き続き狭い道が続くものの、バス停はない。突き当たって左折すれば、そこは赤沼線の経路。合流してあとは一直線で大学病院方向へ向かう。
運賃は、南団地と大学病院で変わる。
手形西谷地から広面谷地田まで、約1000メートルの間に7つのバス停があったから、平均して150メートル弱の間隔。実際に、200メートルと離れていない位置に隣のバス停がある。
ところが、広面谷地田の次のバス停は、突き当たって左折した「南団地」で、300メートルほど離れている。横金線開通前からバス停は変わっていないようだが(位置は動いたのかも?)、偏っている。
それから、この区間で地名を使ったバス停は、すべて「手形~」「広面~」と大字が頭に付いているのが特徴的。
秋田では、「(新屋)豊町」「(川元)むつみ町」「(保戸野)桜町」「(外旭川)神田」「(手形)からみでん」といった具合に、大字(に相当する地名)を略すバス停が少なくない【14日追記・もしくは表示板やホームページで“表記ゆれ”があって、大字の有無が不統一=むつみ町など】のに、駅東線は律儀。命名当時の交通局の気まぐれでしょうけど。
【15日追記】終点の「境田」は、所在地名「柳田字境田(やなぎだ あざさかいだ)」が由来。
駅東線の廃止代替は、既存の赤沼線。
東口-碇入口-南団地-大学病院-赤沼入口-手形山崎-西口-車庫の経路。
上記の通り、南北方向の南団地~大学病院は同一ルート。東西方向の区間では駅東線の南300メートル(東口~碇入口)と北350メートル(手形陸橋の通り)ほどの位置を並行する。
東口~大学病院は、赤沼線でも駅東線でも、運賃は同額(廃止時220円。西口よりも30円安い)で、所要時間もほぼ同じだったはず。
地理院地図に加筆
↑赤い線が駅東線、青い線が赤沼線。●はバス停で、赤丸が駅東線専用で今回廃止。【12日訂正】大学病院の1つ下の青丸は「谷内佐渡」停留所ですが、位置を間違えてマークしていました。もう1ブロック下が正当です。
東口を出た赤沼線が走るのは、東口からまっすぐの広い道路。秋田中央道路地下トンネルの上-トンネル出入口-城東十字路-中央インターへ至る、市道~県道62号線。
今の感覚ならば、この広い道路があるのに、駅東線はどうしてわざわざ狭い道を走っていたのかと思うかもしれない。
しかし、広い道路が開通したのは、1998年頃。(当時は「中央線」と呼ばれていた)
それまでは、北側の手形陸橋の通りか、ずっと南の明田地下道の通りしか、東西方向の大きな道路は存在しなかった。
駅東線の運行開始当時は、(近隣の住民の足となるには)あの狭い道路を走るしかなかったのである。
(再掲)アルヴェ14階から東方向。右奥が中央IC方向。他の道はどれも狭い
広い道ができたから、単純に赤沼線へ振り替えてしまってよかったのかとなると、疑問。
以前も述べたように、赤沼線のルートにはバス停が少ない上、広い道を信号のある交差点まで回って向かい側へ渡らないとバス停と行き来できなくなるケースもあり、ほとんどの駅東線沿線住民にとっては、バス停がかなり遠くなってしまうはずだから。
駅東線の手形西谷地~広面谷地田まで7つのバス停がある区間において、その南側を並行する赤沼線ルートでは、東通一丁目、東通二丁目、城東中学校入口(旧・東営業所入口)、碇入口の4つしかない。
三吉神社・赤沼入口の北側ルートでは少し多いものの、道路までの距離がややある。
こまめにバス停があり、その取れそうな時刻表がヒモで縛るなどされていたのは、駅東線が地域に密着した路線で、沿線住民から親しまれていたことの現れではないだろうか。駅東線沿線のみなさんが廃止に納得しているのならば、よそ者が口を出す余地はないのだろうけど、赤沼線のバス停を増設するとか、もう少し救済措置があってもいいようにも思える。
それから、告知はされていないが、廃止された境田下丁と境田上丁の代替として、太平線(岩見三内行き)の柳田入口と柳田下丁が使えそう。
ただし、西口発着だから運賃は高くなるし、大学病院にも立ち寄るから大学病院で降りて歩いても大して違わなさそうではある。
さて、
ところが、10月以降も東口に小型バスが待機していることがある。待機場所として使っているだけなんだろうか?
別の廃止路線について、また後日。次の記事は泉山王環状線の記録。
【10月17日追記】歴史について。
秋田市交通局の庁舎・中央営業所が保戸野鉄砲町から寺内(臨海)へ移転した1980年7月13日から「駅東線」の運行が始まっていた。今回廃止された駅東線と重なるルートもあるが、異なる点もある。
秋田駅前(西口。当時は東口はなかった)-(明田地下道)-東通仲町-長沼東町-東営業所入口-東通十字路-手形西谷地-秋大北光寮前-手形変電所前
というもの。
長沼東町~東通十字路というのはよく分からないが、東小学校のほうまで遠回りしていたのかもしれない。手形西谷地以降は、廃止された駅東線と重なる。変電所前というバス停があって、それが起終点なのは意外。毎時ほぼ1本運行。