広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

昔の方向幕の書体

2018-11-29 00:26:02 | 秋田市営バス
今年、個人的に長年の課題であった、秋田市のバス停の表示板の文字の書体を特定することができた。
バス関連の書体については、ほかにも、書体を特定したかったのだが分からず、あきらめていたものがあったのだが、それもついに判明!!!
それはバスの車両の「方向幕」の書体である。

方向幕とは、バスの行き先表示のうち、10数年前まではどこでも使われていた、フイルム(幕)に文字を印字して掲出する方式のもの。
現在主流のLED式表示も、正確には「幕」じゃないけれど、広義では方向幕と称することもある。LEDの書体は、今も現役の製品であり、パソコンで使えるフォントを使っていることが多いようだから、ここでは触れないことにします。
(再掲)秋田市営バスの方向幕
問題の昔の方向幕。
今のLEDもそうであるように、文字の配置(経由地の書き方とか)は、バス会社によってまちまちであった。
しかし、その書体は、(少なくとも昭和50年代後半)全国の大半のバス会社で同じフォントが使われていた。それが2000年前後のある時期を境に書体(それも共通)が切り替わった。

最初の書体は、線が太くてしっかりした丸ゴシック体。
変更後の書体は、線が細くて、枠いっぱいにデザインされた大ぶりな(ふところが広いと称する)、「今風」の丸ゴシック体。
(再掲)「弘南バス」左が旧書体、右が新書体
秋田中央交通も羽後交通も弘南バスも、そのような経過だったはず。
ただし、幕のセットは、廃車から取り外して新車に付け替えて再利用することが多く、現時点でも2つの書体が混在している。セットの中でも継ぎ接ぎしたり、部分的に書き換えたりして、同じ車でも混在することもある。
秋田市営バスの末期では、ごく一部の例外(この記事参照)を除き、すべて旧書体であった。※市営バスの方向幕についてはこの記事この記事参照。

全国的に見れば、手書き文字や角ゴシック体を使ったバス会社も存在したようだ。
写研製の丸ゴシック体「ナール」を使っていたところもあったらしく、秋田市営バスで昭和末期に行き先表示が小型の旧車の幕を入れ替えた(新しい大型幕の車と表記を統一)のも、ナールだったかもしれない(1994年頃までに全廃)。【2021年10月2日追記・小型幕車は1987年時点では入れ替え前。1988年度には入れ替わっていたと記憶するので、1987~1988年のどこかで交換したと考えられる。】


主流の新旧2つの丸ゴシック体。
特に市営バスで使っていた古いほうのフォントを知りたかった。他のどこかで見たような気もするし、丸ゴシック体にしてはマジメな雰囲気もあって、好きなデザイン。書体見本の書籍を調べれば分かったかもしれないけれど、ネットでは該当する書体を見つけられなかった。

このほど、ネット上で方向幕に詳しい方々、そして書体に詳しい方々の何人かが、紹介してくれていたのを発見!
モリサワの「見出丸ゴシック体MBD101」または「見出丸ゴシック体MBD31」とのこと。1970年代前半に写真植字機用書体として登場した。
角ゴシック体でMB101、MB31というのがあり、それをベースに丸くした書体という位置づけようのだ。101と31でデザインは似ているが、101のほうが文字がやや大ぶりだったり、線の太さが違ったりする。
昔の東急電鉄の駅名標は、MBD31だったそうだ。
秋田市営バスの側面幕。これは文字が全部正方形のバージョン
生半可な書体の知識を得た素人として驚いたのは、これがモリサワ製品であったこと。
何度か取り上げたように、モリサワはデジタル化への対応というか順応が上手で、写植用書体をパソコンで使えるようにしていて、同社の文字は今も出版物や広告でよく見かけるし、カネさえ払えば我々素人でも使うことができる。
そんなことで、てっきり、モリサワ製写植書体はすべてデジタル化されているのかと思いこんでいたが、デジタル化されていない書体もあるのだった。その1つが、方向幕の書体だった。

ネット上には、これらの書体もデジタルフォントとして発売してほしいという、要望・願望はわずかにある。
そして、角ゴシックのほうはMB101もMB31も、今もフォントとして発売されている。だったら、その丸ゴシック版も…と僕も願ってしまう。出たら買いたい。


MBD101とMBD31、どっちなのかについては、おそらく全国的にMBD101が主流だったようで、秋田の各事業者もそんな気がする。
弘南バスでは、一部の車両や行き先において、線が細いように感じるコマ(コマでは「狼森」「小栗山」、車両では日野レインボーに多い感じ)があるので、それはMBD31かもしれない。
(再掲)この「弘前駅」は細い気がするからMBD31?

【29日画像追加】斜めからの撮影だけど、これは秋田で見慣れた印象だから、太めのMBD101?

【29日画像追加】そしてこれが新しい書体。上2つとはデザインがまったく別


秋田中央交通の急行バス(現在は廃止)の幕。扁平や反転表示も可能
1970年代のモリサワ製でデジタル化されなかったフォントということなので、それ以前は手書き文字だったのが、後に写真植字機を使って印刷するようになったのだろう。文字の縦横比を変えて扁平や縦長にすることも、写植では可能だったそうだ。
当時、写植といえば写研というメーカーがトップで、あらゆる分野で同社の文字が使われた。写研にも似たような太い丸ゴシック体はあるし、「ナール」もある。どうしてバスはこぞってモリサワだったのか。
憶測だけど、紙とか板でなく、薄い樹脂に印刷するという特殊な機器にモリサワしか対応していなかったとか、引き受ける業者がとても少なく独占または寡占状態だったとかだろうか。
そうだとしたら、モリサワ製なら角ゴシック体でも印刷可能なはず。全国で申し合わせたように太い丸ゴシック体だったのは不可解。となれば、バス協会辺りが、標準書体として推奨していたとか??
【29日追記】旧国鉄~JRの車両の表示では、通称国鉄書体と呼ばれる独特の文字を使っていたし、絵入りヘッドマーク(テールマーク)もあったくらいだから、技術的にはモリサワ書体である必要はなかったのかもしれない。ただ、国鉄バスでは、やっぱりモリサワ書体を使っていたようだ。


モリサワ書体はいつまで使われた(=幕が作成された)か。
1990年代後半に弘南バスが大量導入した日野リエッセ(台数からして幕は中古品でなく新規作成と思われる)や、1998年に移転により新しく設定された秋田市営バスの「日赤病院」のコマ、1998年に京成バスが幕張新都心用に導入した連節バスでも、使われている。
京成バスの幕。後にLED化された
2000年に秋田中央交通が初めて導入したいすゞエルガミオでは、新しいフォントだった。日赤病院関係の路線も、中央交通では新フォントだったかも?【29日追記】秋田県男鹿市の男鹿みなと市民病院も、秋田の日赤と同じ1998年開院だが、中央交通男鹿営業所の車の幕は新フォントのはず(開院後、時間が経ってから幕が作られた可能性もある)。
したがって、1990年代末に書体が変わったと考えられ、ちょうど写植からデジタル印刷に替わりつつあった時期と重なる。
では、その新しいフォントは何か。これまで旧書体に気を取られて、あまり興味がなかった。調べてみれば、なんのことはない、例の「スーラ」だったのですが、続きは後日

※この書体らしきものがバス以外のところでも使われていた。この記事後半。

【2020年2月6日追記】三陸鉄道や秋田内陸縦貫鉄道の初代車両といった、昭和末期の第三セクター車両の行き先表示にも、このモリサワの丸ゴシックが使われているようだ。当時、国鉄は自前の書体だったから真似するわけにはいかず、バス(あるいは大手私鉄も使っていたかも)を踏襲したか、制作業者が同じ流れでそうなったのだろうか。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする