予告した通り、1992年度後半のNHK連続テレビ小説「ひらり」の秋田ロケの回が、再放送(アンコール放送)された。以下、敬称略。
※タイトルであり主人公の名である「ひらり」のアクセントは「ひ↑ら↑り↓」、「タモリ」「かなり」「秋田」と同じ。出演者のセリフ、語り(倍賞千恵子)、副音声解説(関根信昭)とも、それで統一されている。
秋田の場面があるのは、第49回~51回(1992年11月30日~12月2日放送、今回は2023年2月17日、20日放送)。
東京の場面をおりまぜて展開するので、全編秋田ではないし、屋内シーンはスタジオセットでの撮影だと思われるので、実際の30年前の秋田が映ったのは、正味10分にも満たなかった。
また、後述のオープニング映像に入るダイジェストでは、竿燈や寒風山が、52回以降も(たぶん53回まで)映る。
なお、49回の直近に、主人公の姉が秋田市へ行ったことになっているが、会話の中とお土産だけで、直接的なシーンはない。ほかに、ガイドブックを見たり、「竿燈を見てみたい」と期待する会話などが盛りこまれる。帰京後、第52回でも秋田土産が登場し、秋田県産業会館(秋田県産品プラザかな)の紙袋や包装紙が使われている。
「ひらり」は、両国在住で相撲好きの20歳の藪沢(やぶさわ)ひらりが主人公。
力士「寒風山」となった、秋田のいとこ・加賀谷久男が、巡業のついでに帰省。それに合わせて、ひらりも1泊2日で秋田へ出かける、というシチュエーション。
「ひらり」のオープニング曲(主題歌)は、ドリームズ・カム・トゥルー「晴れたらいいね」。
現在の朝ドラは、歌詞付きの主題歌のほうが多いが、当時としてはかなり珍しく、曲自体も、NHKのドラマとしては斬新だったと思われる。テレビ朝日「題名のない音楽会」において、黛敏郎がおもしろ半分に批評していた。
オープニングの映像も、当時の朝ドラとしてはトレンディというかスタイリッシュだったと思う。→オープニングの文字や歌詞などについて。
両国周辺の空撮画像に、画面いっぱいでなく右下に、横書き(教科書体なのはふさわしいのかどうか…)でクレジットを表示。その週の作中の場面を、ダイジェスト的に入れこむなど、現在のドラマでもあまりないのでは。
昔も今もそうだが、連続テレビ小説では、毎週月曜日だけオープニングが少し長く、スタッフや協力者もクレジットされる。第49回が月曜。
写研の石井教科書体か?
「協力」として、日本相撲協会とともに「秋田県」「秋田市」。
ほかのドラマなら「○○市のみなさん」がクレジットされることもあるが、今回は、エキストラなど一般人が映りこむ場面はほぼなかったせいか、なし。
ただ、竿燈の演者と、桟敷席の周りの人たちは映る。「秋田市竿燈会」と出しても良さそうだが、「秋田市竿燈まつり実行委員会」であるところの「秋田市」にまとめたのだろう。
現在なら、フィルムコミッションが協力することがあるが、当時はそんなものなし。
49回の11分経過時点で、ひらりが秋田へ。移動手段は往復とも(特に映らないが、会話から)飛行機。
【27日補足・この時点では秋田新幹線は開業前で、盛岡駅での乗り換えが必要だった。航空機の羽田便は、1991年に、それまでの全日空に加え、新たに日本航空が参入して「ダブルトラッキング」態勢となっていた。庶民でも飛行機を使う人は使う時代になっていたはずで、秋田~東京の交通手段は、飛行機がやや優位な頃だったと思う。】
「秋田市」
懐かしい眺め。
秋田駅東口に移転する前(2008年3月まで)、山王一丁目にあった、NHK秋田放送会館(秋田放送局)から、東方向の風景だ。
アンテナタワーに設置されていた、リモコンカメラ(お天気カメラ)からの映像だろう。思ったより(山王大通りと反対の)北寄りに設置されていたようだ。
右手前のレンガ色の建物が8階建ての「三交ビル」。
その右奥の道路が「く」の字になっているところが、山王十字路。そこより奥が、竿燈まつり会場・竿燈大通り。三交ビル左奥の緑が多い所は「山王第二街区公園」の裏側。
奥も含めて、見えている大きな建物は、現在とあまり変化がなさそう。
旧・秋田局の跡には、秋田市役所新庁舎が建った。庁舎は7階建てで天カメより低く、部外者が立ち入れない場所かもしれないけれど、今もほぼ同じ眺めができると思う。
49回の秋田の場面は、寒風山の実家・加賀谷家で展開。
記憶になかったが、実家は、秋田市内にある造り酒屋「千秋(せんしゅう)」という設定だった。
酒屋の前と思われる画では、未舗装で奥で左に曲がる道路、その向こうにケヤキらしき大木が茂っている。少なくとも、秋田市に実在する場所ではないはず。どこかほかの場所だろうか。【↓27日付追記参照】
母親役は奈美悦子、父親役は石田太郎。
奈美さんは、後に本荘の病院で皮膚病を治すことになる。
刑事コロンボの2代目吹き替えでおなじみ石田太郎さんは、「おしん」では酒田の奉公先の主人役も演じていた。ご出身は京都だそうだが、それなりに上手く東北弁を話す、ものの、実際に話されている秋田弁とは微妙に異なり、同じように話す地元の人はいないとも感じた。「方言指導」者はクレジットされていない。
セットであろう座敷のシーンに続き、酒造りの工場(こうば)を見学。
歴史がありそうな、蔵のような建物で、その扉の外にも屋根がある。
横手市増田町(当時は増田町)の「内蔵(うちぐら)」だろうか?
増田には「日の丸醸造株式会社」の内蔵もある。ただ、現在の同社の内蔵とは、梁の配置が違っているから、確証は持てない。
ちなみに、同社では、連続テレビ小説史上、唯一の秋田が(メインの)舞台となった、1981年前期「まんさくの花」のタイトルを借りた酒を製造販売している。
【25日コメントいただき追記】秋田市立新屋図書館に「酒の資料コーナー」があり、ドラマで使われた「千秋」のこもかぶり(化粧樽と表記)が3つ展示されていた。新屋地区に複数あった酒蔵のうち、新屋表町の「7月吉日 黄金井酒造(株)の工場にてロケ」が行われたそうで、出演者の写真も展示されていた。
それでも、店前の道路は、ここではないと思う。
黄金井(こがねい)は、少なくとも2010年時点ですでに、やめてしまっている。建物は現存する。
【27日コメントいただき追記】酒屋前の道路のシーンは、黄金井酒造の敷地内ではないかとのコメントをいただいた。今は隣にアパートが建ち、敷地内はだいぶ荒れてしまっているが、線形や残る建物などは共通するものがあり、背後のケヤキは隣接する天龍寺ということになる。(以上追記)
第50回では、竿燈(かんとう)まつりを見物。
実際の祭り本番の会場内で撮影を行ったことが、当時から報道されていた。
桟敷(さじき)席で竿燈を見物する、ひらり一行たちの表情を織りまぜ、遠景と近景で竿燈の演技が次々に映し出された。セリフ(下記語りは除く)は「すご~い」「頑張れ~」程度。東京の場面をはさんで、30秒間ずつ2回。
竿燈を見る側は「どっこいしょ どっこいしょ」と掛け声をかける(あるいは場内放送する)ことになっているが、本作では聞こえない。たしかに、この当時はそれほどどっこいしょを言っていなかった気がする。
語りでは「竿燈のちょうちんは、豊作に揺れる稲穂を表しています。米どころ 秋田らしい祭りでした。」。
副音声解説では「秋田市内の大通り。提灯の付いた竹竿を額に立て、両手を離し、はっぴ姿の男たちが通りを歩いている。桟敷に座り、まつりを見ているひらりたち。」。→「額」以外にも、てのひらや腰などにも載せるし、演技しながら「歩く」わけではないのだが。
ひらりたちが座った席は、右奥に三井アーバンホテル秋田(1988年オープン、2006年閉店、2010年から福祉施設。この記事など参照)があるので、東寄り(大町西交差点~日本銀行秋田支店付近?)の北側の中央分離帯ということになる。
会場の中では、歩道部の混雑が激しい場所なので、出演者の出入りと、野次馬が殺到する危険を考えると、もっと人が少ないポイントのほうがやりやすそうにも思えるが。ネットなどない当時は、噂にならなかったのか。
アーバンホテルが映ったように、沿道の看板や提灯の企業ロゴはそのまま映されている。今だったら、CGで消せてしまうが、当時はそうもいかない。
会場風景をテンポ良く切り替えていたが、それは躍動感を出すためと、企業ロゴを長く映さないための工夫だったのかも。
提灯やはんてんで確認できた、町内や企業を挙げてみる。※提灯の紋について。
保戸野鉄砲町、「TDKテープ」、下肴町、四十間堀町、柳町、下肴町、「積水ハウス」、ニコス?、「秋田県ホンダ」、「JUSCO(新ロゴ)」、「てらまち(寺町四区?)」、「金萬」など。
下肴町は、桟敷の真ん前で、幼児用「幼若」が倒れそうになり、ひらり一行に「頑張れ~」と声をかけられていた。
以前から思っているけれど、竿燈の提灯は手作りで、模様を描くのも手作業のはず。それなのに、企業ロゴが実物に極めて忠実に描かれているのが、すごいというか不思議。平面ならばカラーコピーでもすればいいが、湾曲し、細かく骨も入っている提灯に、どうすれば、あんなにきれいにロゴが入るのだろう…
1992年当時も、ロゴに関しては同じようだった。ただ、「TDKテープ」や「秋田県ホンダ」といった、宣伝文句(提灯1つに1文字ずつ)は、手書きの看板屋さんのような文字だった。今ではそういうのもフォントを使って(ということは下書きはパソコンか)いるので、見られなくなった。
会場の遠景は、東西両側から。
西端・山王十字路側。どこかのビルから撮影か
↑手前左の赤い縦長の看板は、山王十字路上りバス停前の「ホテルアルファイン秋田」。当時開業間もないはず。
中央左上の、緑っぽいネオンサインは「テルモ」の看板(この記事など参照)。後でまた少し。
突き当り、すなわち二丁目橋を渡った先の明るいものは…
アップになるシーンがあった。
あまり記憶にはないが、懐かしい
今は「産業会館跡地」と呼ばれている場所。※この記事など参照。
1960年にできた「秋田県産業会館」が建っており、1989年にできたアトリオンの中に移転(上記、お土産の袋はここ)。その後、建物は1995年10月まで「産業会館別館」として使われ、1996年~1997年に解体されて、現在に至る。
大通り突き当りの立地を活かし、建物の外壁には、秋田テレビによる電光ニュースと、県内酒メーカーの広告が設置されていた。赤いのが電工ニュース? その下に、縦書きで「両関」など酒のブランド名が掲出されているようだ。
東端・二丁目橋側
↑大通り全幅ではなく、右・北側半分を映している。産業会館ではなく、みずほ銀行秋田支店辺りからの撮影か。
画像左端の、ブレていない竿燈が、中央分離帯に固定された「置き竿燈」。提灯には「秋田竿灯まつり」「8月4日~7日」とある。ここで、開催日程と表記について。
開催日程は、(たぶん)1987年以前は8月5日~7日の3日間開催。(たぶん)1988年から、8月4日~7日の4日間に拡大された。2001年からは、8月3日~6日に前倒し。
表記は、以前記事にした通り、少なくとも1957年から「竿灯」が使われており、本来の表記に戻すべく、1993年から「竿燈」となった。※イベントの名称としては「秋田竿燈まつり」。
この年が、最後の「竿灯」だったことになる。
当時から字幕放送(文字放送)が実施されていた。アナログ放送時代は、専用機器がないと見られない、限られた人向け同然だったが、デジタル放送(ネット配信含む)では、ボタン1つで誰でも見られ、何かと便利。
副音声解説は、当時のものをそのまま放送しているが、字幕は違うようだ。
原則としてすべて「竿燈」表記だったので。
「竿燈(かんとう)」。背後はテルモ看板
デジタル化に際して、字幕を全部入れ直したのか、それとも、表記が変わったことを理解し、気を遣ってくれて「灯」を「燈」に修正してくれたのか。
例外で、ひらりが書いた絵はがきを読み上げるシーンだけは「竿灯」であった。なぜなら、
丸文字ってやつ
はがきの文面に「灯」と書いたからなのだろう。なかなか細かい。
この後、一夜明けて、車で、男鹿市の寒風山へ。ふもと(中腹?)のシーンのみ。頂上の回転展望台などなし。
第51回では、加賀谷家へ戻って、あいさつをして秋田を離れるのだが、まだ、秋田市のシーンがある。続く(カテゴリーを変えています)。
※タイトルであり主人公の名である「ひらり」のアクセントは「ひ↑ら↑り↓」、「タモリ」「かなり」「秋田」と同じ。出演者のセリフ、語り(倍賞千恵子)、副音声解説(関根信昭)とも、それで統一されている。
秋田の場面があるのは、第49回~51回(1992年11月30日~12月2日放送、今回は2023年2月17日、20日放送)。
東京の場面をおりまぜて展開するので、全編秋田ではないし、屋内シーンはスタジオセットでの撮影だと思われるので、実際の30年前の秋田が映ったのは、正味10分にも満たなかった。
また、後述のオープニング映像に入るダイジェストでは、竿燈や寒風山が、52回以降も(たぶん53回まで)映る。
なお、49回の直近に、主人公の姉が秋田市へ行ったことになっているが、会話の中とお土産だけで、直接的なシーンはない。ほかに、ガイドブックを見たり、「竿燈を見てみたい」と期待する会話などが盛りこまれる。帰京後、第52回でも秋田土産が登場し、秋田県産業会館(秋田県産品プラザかな)の紙袋や包装紙が使われている。
「ひらり」は、両国在住で相撲好きの20歳の藪沢(やぶさわ)ひらりが主人公。
力士「寒風山」となった、秋田のいとこ・加賀谷久男が、巡業のついでに帰省。それに合わせて、ひらりも1泊2日で秋田へ出かける、というシチュエーション。
「ひらり」のオープニング曲(主題歌)は、ドリームズ・カム・トゥルー「晴れたらいいね」。
現在の朝ドラは、歌詞付きの主題歌のほうが多いが、当時としてはかなり珍しく、曲自体も、NHKのドラマとしては斬新だったと思われる。テレビ朝日「題名のない音楽会」において、黛敏郎がおもしろ半分に批評していた。
オープニングの映像も、当時の朝ドラとしてはトレンディというかスタイリッシュだったと思う。→オープニングの文字や歌詞などについて。
両国周辺の空撮画像に、画面いっぱいでなく右下に、横書き(教科書体なのはふさわしいのかどうか…)でクレジットを表示。その週の作中の場面を、ダイジェスト的に入れこむなど、現在のドラマでもあまりないのでは。
昔も今もそうだが、連続テレビ小説では、毎週月曜日だけオープニングが少し長く、スタッフや協力者もクレジットされる。第49回が月曜。
写研の石井教科書体か?
「協力」として、日本相撲協会とともに「秋田県」「秋田市」。
ほかのドラマなら「○○市のみなさん」がクレジットされることもあるが、今回は、エキストラなど一般人が映りこむ場面はほぼなかったせいか、なし。
ただ、竿燈の演者と、桟敷席の周りの人たちは映る。「秋田市竿燈会」と出しても良さそうだが、「秋田市竿燈まつり実行委員会」であるところの「秋田市」にまとめたのだろう。
現在なら、フィルムコミッションが協力することがあるが、当時はそんなものなし。
49回の11分経過時点で、ひらりが秋田へ。移動手段は往復とも(特に映らないが、会話から)飛行機。
【27日補足・この時点では秋田新幹線は開業前で、盛岡駅での乗り換えが必要だった。航空機の羽田便は、1991年に、それまでの全日空に加え、新たに日本航空が参入して「ダブルトラッキング」態勢となっていた。庶民でも飛行機を使う人は使う時代になっていたはずで、秋田~東京の交通手段は、飛行機がやや優位な頃だったと思う。】
「秋田市」
懐かしい眺め。
秋田駅東口に移転する前(2008年3月まで)、山王一丁目にあった、NHK秋田放送会館(秋田放送局)から、東方向の風景だ。
アンテナタワーに設置されていた、リモコンカメラ(お天気カメラ)からの映像だろう。思ったより(山王大通りと反対の)北寄りに設置されていたようだ。
右手前のレンガ色の建物が8階建ての「三交ビル」。
その右奥の道路が「く」の字になっているところが、山王十字路。そこより奥が、竿燈まつり会場・竿燈大通り。三交ビル左奥の緑が多い所は「山王第二街区公園」の裏側。
奥も含めて、見えている大きな建物は、現在とあまり変化がなさそう。
旧・秋田局の跡には、秋田市役所新庁舎が建った。庁舎は7階建てで天カメより低く、部外者が立ち入れない場所かもしれないけれど、今もほぼ同じ眺めができると思う。
49回の秋田の場面は、寒風山の実家・加賀谷家で展開。
記憶になかったが、実家は、秋田市内にある造り酒屋「千秋(せんしゅう)」という設定だった。
酒屋の前と思われる画では、未舗装で奥で左に曲がる道路、その向こうにケヤキらしき大木が茂っている。
母親役は奈美悦子、父親役は石田太郎。
奈美さんは、後に本荘の病院で皮膚病を治すことになる。
刑事コロンボの2代目吹き替えでおなじみ石田太郎さんは、「おしん」では酒田の奉公先の主人役も演じていた。ご出身は京都だそうだが、それなりに上手く東北弁を話す、ものの、実際に話されている秋田弁とは微妙に異なり、同じように話す地元の人はいないとも感じた。「方言指導」者はクレジットされていない。
セットであろう座敷のシーンに続き、酒造りの工場(こうば)を見学。
歴史がありそうな、蔵のような建物で、その扉の外にも屋根がある。
増田には「日の丸醸造株式会社」の内蔵もある。ただ、現在の同社の内蔵とは、梁の配置が違っているから、確証は持てない。
ちなみに、同社では、連続テレビ小説史上、唯一の秋田が(メインの)舞台となった、1981年前期「まんさくの花」のタイトルを借りた酒を製造販売している。
【25日コメントいただき追記】秋田市立新屋図書館に「酒の資料コーナー」があり、ドラマで使われた「千秋」のこもかぶり(化粧樽と表記)が3つ展示されていた。新屋地区に複数あった酒蔵のうち、新屋表町の「7月吉日 黄金井酒造(株)の工場にてロケ」が行われたそうで、出演者の写真も展示されていた。
それでも、
黄金井(こがねい)は、少なくとも2010年時点ですでに、やめてしまっている。建物は現存する。
【27日コメントいただき追記】酒屋前の道路のシーンは、黄金井酒造の敷地内ではないかとのコメントをいただいた。今は隣にアパートが建ち、敷地内はだいぶ荒れてしまっているが、線形や残る建物などは共通するものがあり、背後のケヤキは隣接する天龍寺ということになる。(以上追記)
第50回では、竿燈(かんとう)まつりを見物。
実際の祭り本番の会場内で撮影を行ったことが、当時から報道されていた。
桟敷(さじき)席で竿燈を見物する、ひらり一行たちの表情を織りまぜ、遠景と近景で竿燈の演技が次々に映し出された。セリフ(下記語りは除く)は「すご~い」「頑張れ~」程度。東京の場面をはさんで、30秒間ずつ2回。
竿燈を見る側は「どっこいしょ どっこいしょ」と掛け声をかける(あるいは場内放送する)ことになっているが、本作では聞こえない。たしかに、この当時はそれほどどっこいしょを言っていなかった気がする。
語りでは「竿燈のちょうちんは、豊作に揺れる稲穂を表しています。米どころ 秋田らしい祭りでした。」。
副音声解説では「秋田市内の大通り。提灯の付いた竹竿を額に立て、両手を離し、はっぴ姿の男たちが通りを歩いている。桟敷に座り、まつりを見ているひらりたち。」。→「額」以外にも、てのひらや腰などにも載せるし、演技しながら「歩く」わけではないのだが。
ひらりたちが座った席は、右奥に三井アーバンホテル秋田(1988年オープン、2006年閉店、2010年から福祉施設。この記事など参照)があるので、東寄り(大町西交差点~日本銀行秋田支店付近?)の北側の中央分離帯ということになる。
会場の中では、歩道部の混雑が激しい場所なので、出演者の出入りと、野次馬が殺到する危険を考えると、もっと人が少ないポイントのほうがやりやすそうにも思えるが。ネットなどない当時は、噂にならなかったのか。
アーバンホテルが映ったように、沿道の看板や提灯の企業ロゴはそのまま映されている。今だったら、CGで消せてしまうが、当時はそうもいかない。
会場風景をテンポ良く切り替えていたが、それは躍動感を出すためと、企業ロゴを長く映さないための工夫だったのかも。
提灯やはんてんで確認できた、町内や企業を挙げてみる。※提灯の紋について。
保戸野鉄砲町、「TDKテープ」、下肴町、四十間堀町、柳町、下肴町、「積水ハウス」、ニコス?、「秋田県ホンダ」、「JUSCO(新ロゴ)」、「てらまち(寺町四区?)」、「金萬」など。
下肴町は、桟敷の真ん前で、幼児用「幼若」が倒れそうになり、ひらり一行に「頑張れ~」と声をかけられていた。
以前から思っているけれど、竿燈の提灯は手作りで、模様を描くのも手作業のはず。それなのに、企業ロゴが実物に極めて忠実に描かれているのが、すごいというか不思議。平面ならばカラーコピーでもすればいいが、湾曲し、細かく骨も入っている提灯に、どうすれば、あんなにきれいにロゴが入るのだろう…
1992年当時も、ロゴに関しては同じようだった。ただ、「TDKテープ」や「秋田県ホンダ」といった、宣伝文句(提灯1つに1文字ずつ)は、手書きの看板屋さんのような文字だった。今ではそういうのもフォントを使って(ということは下書きはパソコンか)いるので、見られなくなった。
会場の遠景は、東西両側から。
西端・山王十字路側。どこかのビルから撮影か
↑手前左の赤い縦長の看板は、山王十字路上りバス停前の「ホテルアルファイン秋田」。当時開業間もないはず。
中央左上の、緑っぽいネオンサインは「テルモ」の看板(この記事など参照)。後でまた少し。
突き当り、すなわち二丁目橋を渡った先の明るいものは…
アップになるシーンがあった。
あまり記憶にはないが、懐かしい
今は「産業会館跡地」と呼ばれている場所。※この記事など参照。
1960年にできた「秋田県産業会館」が建っており、1989年にできたアトリオンの中に移転(上記、お土産の袋はここ)。その後、建物は1995年10月まで「産業会館別館」として使われ、1996年~1997年に解体されて、現在に至る。
大通り突き当りの立地を活かし、建物の外壁には、秋田テレビによる電光ニュースと、県内酒メーカーの広告が設置されていた。赤いのが電工ニュース? その下に、縦書きで「両関」など酒のブランド名が掲出されているようだ。
東端・二丁目橋側
↑大通り全幅ではなく、右・北側半分を映している。産業会館ではなく、みずほ銀行秋田支店辺りからの撮影か。
画像左端の、ブレていない竿燈が、中央分離帯に固定された「置き竿燈」。提灯には「秋田竿灯まつり」「8月4日~7日」とある。ここで、開催日程と表記について。
開催日程は、(たぶん)1987年以前は8月5日~7日の3日間開催。(たぶん)1988年から、8月4日~7日の4日間に拡大された。2001年からは、8月3日~6日に前倒し。
表記は、以前記事にした通り、少なくとも1957年から「竿灯」が使われており、本来の表記に戻すべく、1993年から「竿燈」となった。※イベントの名称としては「秋田竿燈まつり」。
この年が、最後の「竿灯」だったことになる。
当時から字幕放送(文字放送)が実施されていた。アナログ放送時代は、専用機器がないと見られない、限られた人向け同然だったが、デジタル放送(ネット配信含む)では、ボタン1つで誰でも見られ、何かと便利。
副音声解説は、当時のものをそのまま放送しているが、字幕は違うようだ。
原則としてすべて「竿燈」表記だったので。
「竿燈(かんとう)」。背後はテルモ看板
デジタル化に際して、字幕を全部入れ直したのか、それとも、表記が変わったことを理解し、気を遣ってくれて「灯」を「燈」に修正してくれたのか。
例外で、ひらりが書いた絵はがきを読み上げるシーンだけは「竿灯」であった。なぜなら、
丸文字ってやつ
はがきの文面に「灯」と書いたからなのだろう。なかなか細かい。
この後、一夜明けて、車で、男鹿市の寒風山へ。ふもと(中腹?)のシーンのみ。頂上の回転展望台などなし。
第51回では、加賀谷家へ戻って、あいさつをして秋田を離れるのだが、まだ、秋田市のシーンがある。続く(カテゴリーを変えています)。
新屋図書館はコメ倉庫の部分があり、珍しい開架書庫ともう1つは新屋酒造資料館。
そこにかつてドラマに使われた「千秋」の樽ですとありました。
このレベルじゃやはり舞台になったとは言い切れないですね。
(ちなみに24年東京もまた秋田は飛ばされてしまいました、大阪は西日本しか作らないからまずムリですし)
この年は多雨大冷夏でしたが、ロケはしっかりできたようで何より。
ということは、新屋の酒蔵のどれかが、何らかの協力をしたのでしょうかね。
大冷害の前年。あまり暑そうには見えなかったですが、天気は良さそうに見えました。無風のようで竿燈も安定して。
雨に当たったら、どういう映像になっていたのやら。
表町の「黄金井酒造」でロケが行われたとのことでした。情報をありがとうございました。
潰れて惜しい酒屋さんの一つです。
銀鱗はファミマ、竿燈はマンションと個性がないと難しいのでしょうか。
それにしても素晴らしい取材力です。
https://www.google.co.jp/maps/@39.6827505,140.0835996,3a,73.4y,105.66h,89.26t/data=!3m7!1e1!3m5!1sGbBjwaJP0CrpvjTaM4b43g!2e0!5s20121101T000000!7i13312!8i6656?hl=ja&authuser=0
左の建物の屋根の形、奥の建物の形が一致しているようにみえます。
新屋図書館は行ったことがあるのに、酒コーナーの存在は抜け落ちており、教えていただいて、一気につながりました。
路地についての情報↓もいただきました。もっと詳しい情報があればおもしろいのですが、現状ではもう難しいでしょう。
>S.T.S.Tさん
情報をありがとうございます。
違う場所だと決めつけていましたが。航空写真と合わせてみても、たしかにここのような気がします。隣の天龍寺にはケヤキもあります。
隣にアパートができ、さらに敷地内は荒れているようで、30年前とはだいぶ違ってしまいました。
たまに車が移動していて奥まで見ることができます。煙突などは今も残っていますよ。
建物はだいぶ老朽化してしまい、寂しい光景でもありました。