死といかに向き合うか3
エロスとタナトス,人は生を望むか、死を望むか
☆精神分析学の礎を築いたフロイト
*「タナトス」とは、人には死へ向かう、死を望む傾向がある
( タナトスは「死への本能(欲動)」 )
*「エロス」とは、愛情から生産に向かう「生の本能(欲動)」
☆我々は死を恐れて嫌っているようであるが
*どこかで死を望んでいる部分があるのでは
☆フロイトの生命観
*「生は死への迂路である」とする(迂路とは回り道)
☆「人間は生ばかりを追い求めている存在ではない」と考えると
*それにより、気持ちがラクになる面もある
☆死への本能は、人間に内在する攻撃性につながる
*自分が死にたいがために他人を巻き添えにする
☆エロスとタナトスでいう相反する本能の表裏一体
*それが、人間存在をつくっている
「対象喪失」と「喪の仕事」
☆人は自分自身の死は経験できない
*かわりに、身近な人の死はたびたび経験する
☆「死が悲しいものであることは確かだ」とするフロイト
*「喪の仕事(悲哀の仕事)」は、大切だと言う
*対象喪失とは、かけがえのないものを失うこと
(家族や伴侶、ペットの死など)
☆対象喪失は現実喪失にもつながる
*失ったものは戻らないという「断念」が求められる
☆日本人の生活様式や死生観
*あの世とこの世が非常に近いところでつながっている
*葬式以外に、初七日、四十九日などの忌日法要がある
*毎年の盆や彼岸もある
*儀式が続いていくことで、気持ちがつながる
*故人が生身で帰らないことを受け入れられる
死と狩りの関係
☆フランスの文化人類学者の『悲しき熱帯』
*ブラジルの部族
*誰かが死ねば、自然が命を奪い取ったのだと考る
*部族全体の損失と位置づけその損失を自然に償わせる
*村の人間たちは狩りに出る
☆身近な存在の死をしっかりと受け止める
*時間を要するものなので、その喪失感を補う
*手のかかる儀式を行なうことには意味がある
☆私たちは、年齢を重ね、身近な存在の死を何度も経験する
*そのたび煩雑な儀式を行ない、悲しみを乗り越える
☆自分の死だけが、特別な意味をもつのでないことを理解できる
先祖たちはなぜ死を恐れなかったのか
☆束洋人は死を怖れないかと西洋人が不審がっている
☆日本人独特の死生観について考察する
*日本人は、死んでも霊は遠くへ行かないという感覚
(霊は家に留まっているという考え)
*顕幽(けんゆう)二界の交通が繁く通う(この世とあの世)
(お盆には先祖の霊が帰ってくる)
*極楽浄土に往生したいと願えば、成仏できる
*子孫の無事・自分が生まれ変わることを願えば
(かなえられるという)(生まれ変わりで孫が生まれる)
☆これらの理由によって死は近しく感じられる
☆現在、仏壇のない家、お盆やお彼岸を意識しない人が増えた
*”あの世とこの世の行き来”は減っている
*そうなり、死を怖がる人が増えているのかもしれない
(敬称略)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『死生観』
死といかに向き合うか3
(ネットより画像引用)
エロスとタナトス,人は生を望むか、死を望むか
☆精神分析学の礎を築いたフロイト
*「タナトス」とは、人には死へ向かう、死を望む傾向がある
( タナトスは「死への本能(欲動)」 )
*「エロス」とは、愛情から生産に向かう「生の本能(欲動)」
☆我々は死を恐れて嫌っているようであるが
*どこかで死を望んでいる部分があるのでは
☆フロイトの生命観
*「生は死への迂路である」とする(迂路とは回り道)
☆「人間は生ばかりを追い求めている存在ではない」と考えると
*それにより、気持ちがラクになる面もある
☆死への本能は、人間に内在する攻撃性につながる
*自分が死にたいがために他人を巻き添えにする
☆エロスとタナトスでいう相反する本能の表裏一体
*それが、人間存在をつくっている
「対象喪失」と「喪の仕事」
☆人は自分自身の死は経験できない
*かわりに、身近な人の死はたびたび経験する
☆「死が悲しいものであることは確かだ」とするフロイト
*「喪の仕事(悲哀の仕事)」は、大切だと言う
*対象喪失とは、かけがえのないものを失うこと
(家族や伴侶、ペットの死など)
☆対象喪失は現実喪失にもつながる
*失ったものは戻らないという「断念」が求められる
☆日本人の生活様式や死生観
*あの世とこの世が非常に近いところでつながっている
*葬式以外に、初七日、四十九日などの忌日法要がある
*毎年の盆や彼岸もある
*儀式が続いていくことで、気持ちがつながる
*故人が生身で帰らないことを受け入れられる
死と狩りの関係
☆フランスの文化人類学者の『悲しき熱帯』
*ブラジルの部族
*誰かが死ねば、自然が命を奪い取ったのだと考る
*部族全体の損失と位置づけその損失を自然に償わせる
*村の人間たちは狩りに出る
☆身近な存在の死をしっかりと受け止める
*時間を要するものなので、その喪失感を補う
*手のかかる儀式を行なうことには意味がある
☆私たちは、年齢を重ね、身近な存在の死を何度も経験する
*そのたび煩雑な儀式を行ない、悲しみを乗り越える
☆自分の死だけが、特別な意味をもつのでないことを理解できる
先祖たちはなぜ死を恐れなかったのか
☆束洋人は死を怖れないかと西洋人が不審がっている
☆日本人独特の死生観について考察する
*日本人は、死んでも霊は遠くへ行かないという感覚
(霊は家に留まっているという考え)
*顕幽(けんゆう)二界の交通が繁く通う(この世とあの世)
(お盆には先祖の霊が帰ってくる)
*極楽浄土に往生したいと願えば、成仏できる
*子孫の無事・自分が生まれ変わることを願えば
(かなえられるという)(生まれ変わりで孫が生まれる)
☆これらの理由によって死は近しく感じられる
☆現在、仏壇のない家、お盆やお彼岸を意識しない人が増えた
*”あの世とこの世の行き来”は減っている
*そうなり、死を怖がる人が増えているのかもしれない
(敬称略)
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私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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出典、『死生観』
死といかに向き合うか3
(ネットより画像引用)