🌸震災の歴史に学ぶ3(高浜原発他)
⛳江戸時代の「津波震災タワー」
☆震災後の津波の古文書から、今後の津波の声が聞こえてくる
☆浜松の駅の西に高塚駅名の由来
*駅の近くの熊野神社に、高い塚があるので高塚
*高塚の地名は江戸初期にはある
*高塚周辺は、明応津波で、高塚集落は一度壊滅した
☆安政の大地震が起り津波のために付近では多くの死者が出た
☆安政の大地震が起り津波のために付近では多くの死者が出た
*高塚の人達は高い塚に避難して被害を免がれた
☆高塚タワーは機能した
*高塚では、神主の発案でこの避難タワーを作った
*維新頃に至るまで毎年正月元旦に氏子が土砂を盛っていた
⛳フロイスの地震記事を追う
☆戦国時代の宣教師フロイスは『フロイス日本史』を書いた
☆フロイスは天正地震について書いた
*福井県の長浜城下で「家屋と多数の人が呑込まれ」と
*町は、ほとんど痕跡を留めないまでに破壊してしまった
*地震が起きた時、 フロイスは島原半島にいた
*地震が起きた時、 フロイスは島原半島にいた
☆福井県には「長浜」という町はない、長浜は「高浜の誤り」
*『日本教会史』では、若狭の港町に津波がきたと結論している
☆江戸の知識人たちは、天正地震が津波を伴ったこと知っていた
☆江戸の知識人たちは、天正地震が津波を伴ったこと知っていた
*17世紀中頃まで若狭敦賀の人々は津波の恐ろしい記憶を保持していた
☆現代の人は、津波の場所高浜(長浜)に原発を作った
*あの一帯は原発銀座で、原発に大津波がくるという話
⛳津波ではじけた千拓バブル
☆日本人口の歴史的推移を示したグラフをみて不思議に思った
*江戸時代の人口は関ヶ原合戦頃から急速に増えた
*1700年頃に3千万人に達すると、増加がピタリと止まる
☆今回の、東日本大震災でその理由が分かった
*江戸前期の急速な人口・経済成長を停止させた最後のトドメ
*宝永の地震津波と富士山噴火だったのだ
☆人口が増えたのは、西日本の低湿地の開発が進んだから
*海の干潟を千拓。広大な新田耕地を生みだし、 コメを猛烈に増産
*まさに干拓バブル
☆東海から瀬戸内・四国・九州の沿岸部で急速に人口が増えた
☆1707年南海トラフが動き、宝永の東南海地震が発生
*東海から西日本一帯の低地を津波が襲った
*富士山が噴火し、関東に火山灰を降らし、農業にダメージを与えた
*津波の恐怖が西日本一帯にひろがった
☆西日本の低湿地開発は鈍り人口成長も止まった
(敬称略)
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⛳出典、『歴史の愉しみ方』より
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