🌸10代崇神天皇・11代垂仁天皇
⛳崇神天皇の時代伝染病の流行
☆崇神天皇、奈良県磯城郡の水垣の宮で天下を治めていた
☆疫病が大流行した,人々は次々と倒れ、死者は国中にあふれた
☆天つ神の御子である天皇、神床(神意をうかがう寝床)に寝た
☆国つ神大物主神が夢に現われ天皇に伝える
*疫病は私(大物主神)の仕業だ
*河内国のオオタタネコに、私を祀らせれば祟りは収まる
☆オオタタネコは朝廷に差し出された
*オオタタネコが神の子孫だとわかった
☆天皇はオオタタネコを神主として、大物主神を三輪山に祀った
☆結果、疫病の流行もおさまり、天下は穏やかになった
⛳オオタタネコが神と判明した理由
☆神と契る容姿の美しい娘イクタマヨリビメ
☆イクタマョリビメの部屋へ一人の男が入つてきた
*抱かれながらイクタマヨリビメは、誰かなと思った
*毎晩、男は訪ねてきて彼女は身ごもった
☆両親は、「お前は夫もいないのに身ごもったのか」と質問した
☆娘はありのままに答えた
☆そんな馬鹿なことがあるのかと両親は思った
*家の者に気づかれずに娘の部屋に人れるはずがない
☆両親は男の素性を探ろうと、娘に言い聞かせた
*糸巻きに巻いた麻糸をそっと訪問する男に刺しておきなさい
☆娘は両親の指示に従った
*麻糸は戸口の鍵穴から外へ脱け出ていた
*糸を追うと、大物主神を祀る山の神社へたどり着いた
*娘を訪ねてきていたのは大物主神であった
☆生まれた子、オオタタネコは神の子大物主神の子孫だった
☆ 崇神天皇は168歳の高齢で没した
☆崇神天皇は『古事記』『日本書紀』では、第一代の天皇と伝えている
⛳垂仁天皇暗殺計画
☆第11代の垂仁天皇は、崇神天皇の子
☆垂仁天皇が奈良県磯城群の玉垣の宮で天下を治めていた
☆天皇はサホビコの妹、サホビメを妻として寵愛していた
☆兄のサホビコは、妹のサホビメに聞いた
*夫・天皇と兄・私と、どちらをいとおしく思うか
*私をいとおしいと思うならば、お前と二人で天下を取ろう
☆ある日、短刀をサホビメに手渡して、天皇暗殺を妹に命じた
*「この短刀で、天皇の眠つている隙を見て刺し殺せ」
☆サホビメは、寝ている天皇を刺そうと思い短刀を振り上げたが
*悲しい思いに耐えられず刺すことができず泣いてしまった
*その涙が天皇の寝顔にこぼれ落ち天皇は目覚めた
☆サホビメはもう隠し切れないと思い
*兄の謀反に加担したことを打ち明けた
☆天皇は、ただちに召集をかけ、サホビコ討伐の軍を起こした
(敬称略)
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⛳出典、『眠れないほど面白い古事記』
10代崇神天皇・11代垂仁天皇
(ネットより画像引用)
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