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インド帝国の成立4(近代の中東・インド)

2021年03月21日 | 歴史
🌸インド帝国の成立4(近代の中東・インド)

⛳インドもヨーロッパ諸国の進出を受けて弱体化した
 ☆イギリスは、フランス勢力をインド国内から追い払う
 ☆インドヘの支配を確立した
 ☆イギリスのインド支配を担当した東インド会社
 *「貿易会社」だった東インド会社
 *イギリスの個人や様々な企業がアジアに参入する
 ☆「国策貿易会社」は不要となり「インド統治機関」へと変容した
 *東インド会社は新しい土地と税の制度を施行した
 *そこにインド人のの不満が高まっていく
 ☆東インド会社が雇つていたインド人の傭兵が暴動起こす
 *暴動が、全インドを巻き込むインド大反乱に発展した
 ☆2年間の長期間続いたインドの反乱を鎮めたイギリス
 *この反乱の責任をインド会社に押し付けた
 *「東インド会社」の統治能力の限界として解散させた
 ☆イギリスはムガル帝国を滅亡させた
 *インドを「最重要植民地」と考えていたイギリス
 *官僚組織や司法制度を整備した
 *イギリスの統治が隅々までゆきわたる仕組みづくりを行う

「ガス抜き」に失敗し不満貯まる
 ☆インド帝国が成立すると、インドでイギリスへの不満が高まる
 *「植民地慣れ」しているイギリスにとり、それは「想定外」だった
 ☆イギリスは、インド国民会議を年4回程度の会議を開き
 *インド人の不満を聞きつつ、植民地協力者としてとりこもうとした
 ☆「穏健でいこう」というイギリスの思惑どおり行かず
 ☆急進的なティラクという人物が指導者となり
 *自治・独立を訴え国民会議は急速に反イギリスの声をあげる
 *反イギリスの声と、独立・自治の要求が強くなる
 ☆イギリスは、インドを「仲間割れ」させ不満をそらそうとした
 *独立運動が激しいベンガル州でイスラム教徒を取り込もうとした
 (親英的な州をつくろうとした)
 *勢力を削がれる格好となったヒンドゥー教中心の独立派は反発した

「仲間割れ」を起こして矛先をかわそうとしたイギリス
 ☆イギリスの「仲間割れ作戦」に、反イギリス派は怒る
 ☆カルカッタで開催されたインド国民会議
 *「英貨排斥・国産品愛用(イギリス製品の不買)」国内産業を守る
 *「民族教育・自治獲得」
 *「4綱領」を定めて民族運動を盛り上げる
 *国民会議派が正面切って独立を訴える
 ☆イギリスは当初の仲間割れを隠し立てもせず堂々と進める
 *イスラーム教徒を支援して全インド=ムスリム連盟を結成させる
 *ヒンドゥー教徒との仲間割れを推し進める
 *インドを2つに割ろうとしたイギリス
 ☆イギリスの作戦にインドは分裂する
 *イスラーム教徒は親イギリス的な性格を持つ全インド=ムスリム同盟
 *反イギリス的性格を持つヒンドゥー教徒中心のインド国民会議派
 ☆両派の対立は、現在も続く
 *インドとパキスタンの対立の原因にもなっている
                      (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、「世界史の教科書」


インド帝国の成立4(近代の中東・インド)
「世界史の教科書」記事より画像引用)

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