自宅近くの銀行に行った。
ピッと押して待ち札を取ったやおら
「103番のお客様ぁ」とコールが流れて、
瞬時に私の望む件は終わった![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0042.gif)
ターミナル駅に近い店舗ということもあり、
コロナ以前は長椅子で待つ時間があった。
普段手にしない雑誌も読めて、
それはそれで、嬉しいひとときだったのだ。
が。
今やネットでの諸々の手続きが推奨され、
実際、多くの人が利用している結果だろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/04/c81e54ac0c8a33c478a7e9c6255bda54.jpg)
港区役所にも行った。
豊島区民なので初めての訪庁となったが、
なぜ役所とか病院ってのは緊張するのだろう。
あとホテルとか……私だけかしら。
その区役所は大門駅が最寄で、
その界隈自体、あまり縁がない場所。
それこそ友人の結婚式で数回行った街。
一度は高校の友人の祝宴。
披露宴の司会という大任を仰せつかった。
演劇制作仲間の時はバンドのライブ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/onpu.gif)
新郎もメンバーで…、と言いつつ、
私はといえば楽器はもたず、やはり司会。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/4b/52d70f7d6c0dd57404aa0393532d13a1.jpg)
《行った》をキーワードに、そんなエピソードを
重ねて、コロナ禍の生活の変化を綴ろうと
書きかけていたところに電話。
山さんが亡くなったと。
山田健之さんは、私が制作として
一番多く仕事をしている音響家だ。
東演、遊戯空間、はすいけタイムス、
劇団櫂人などなど複数のカンパニーで
演劇をともに紡いできた。
あるいは一観客として向かった劇場や
専門学校の発表会でも、
繊細でかつ芝居に寄り添った音を
山さんは聞かせてくれた。
満身創痍で、それでも真摯に演劇と
向き合ったアーティスト。
糖尿病から片足を失ってもいたが、
稽古場や劇場で義足を外して、
明るく健康の大切さを説いてもくれた。
合掌。
6月4日、山田健之が逝った。
ブログタイトルも紫苑に変更。
花言葉は「君を忘れない」
・・・そして、献盃。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/77/bc021072c0127a15dd01277f24838df7.jpg)
2007年秋、中国に行った。
天安門事件から18年経っていたが、
まだ広場の警備はゆるくはなかった
・・・と「六四」から31年目の思いを
最後に少し添える予定だったけれど、
それは改めて。
ただ、未だ不明な戦死者たちに、やはり紫苑を。
ピッと押して待ち札を取ったやおら
「103番のお客様ぁ」とコールが流れて、
瞬時に私の望む件は終わった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0042.gif)
ターミナル駅に近い店舗ということもあり、
コロナ以前は長椅子で待つ時間があった。
普段手にしない雑誌も読めて、
それはそれで、嬉しいひとときだったのだ。
が。
今やネットでの諸々の手続きが推奨され、
実際、多くの人が利用している結果だろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/04/c81e54ac0c8a33c478a7e9c6255bda54.jpg)
港区役所にも行った。
豊島区民なので初めての訪庁となったが、
なぜ役所とか病院ってのは緊張するのだろう。
あとホテルとか……私だけかしら。
その区役所は大門駅が最寄で、
その界隈自体、あまり縁がない場所。
それこそ友人の結婚式で数回行った街。
一度は高校の友人の祝宴。
披露宴の司会という大任を仰せつかった。
演劇制作仲間の時はバンドのライブ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/onpu.gif)
新郎もメンバーで…、と言いつつ、
私はといえば楽器はもたず、やはり司会。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/4b/52d70f7d6c0dd57404aa0393532d13a1.jpg)
《行った》をキーワードに、そんなエピソードを
重ねて、コロナ禍の生活の変化を綴ろうと
書きかけていたところに電話。
山さんが亡くなったと。
山田健之さんは、私が制作として
一番多く仕事をしている音響家だ。
東演、遊戯空間、はすいけタイムス、
劇団櫂人などなど複数のカンパニーで
演劇をともに紡いできた。
あるいは一観客として向かった劇場や
専門学校の発表会でも、
繊細でかつ芝居に寄り添った音を
山さんは聞かせてくれた。
満身創痍で、それでも真摯に演劇と
向き合ったアーティスト。
糖尿病から片足を失ってもいたが、
稽古場や劇場で義足を外して、
明るく健康の大切さを説いてもくれた。
合掌。
6月4日、山田健之が逝った。
ブログタイトルも紫苑に変更。
花言葉は「君を忘れない」
・・・そして、献盃。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/77/bc021072c0127a15dd01277f24838df7.jpg)
2007年秋、中国に行った。
天安門事件から18年経っていたが、
まだ広場の警備はゆるくはなかった
・・・と「六四」から31年目の思いを
最後に少し添える予定だったけれど、
それは改めて。
ただ、未だ不明な戦死者たちに、やはり紫苑を。
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