麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

ひゃくはち(前編)

2008年09月01日 | 鑑賞
爽やかな映画ではあった。
「であった」ではなく、クッツキの「は」が付いているのが味噌だ。

               

                       【文中敬称略】

 タイトルにもあるように映画『ひゃくはち』のお話しです。

 『(前略)基本的に多くの野球映画は、このように悪く言えば“ありきたり”の展開が持ち味になるのだが、そこに突如、現れたのが“お約束”をいちいちハズしまくる、この「ひゃくはち」だ』(斉藤博昭/映画ライター)
 パンフレットに寄せられた文章の抜粋だが、それほどお約束をハズしまくってはいない、と僕は思った。
 ちなみに“お約束”は『主人公の痛快な活躍、ダメダメ選手による信じられない逆転劇(以下略)』などを差すと筆者は書いている。

 なるほど、その手の“お約束な筋書き”ではなかった。

 『高校野球を題材にした熱い青春映画でありながら、ちょっと変化球の目線で描いたところが、本作の魅力だ』(吉村未来/ライター)
 同じくパンフレットの他の文章。“ちょっと”を付けてるのはややコズルイけれど的確とも言え、要はベンチ入り出来るか否かの当落線上の「補欠」を主人公に展開するストーリーは、なるほど変化球的な運びである。

 で、その二人の補欠の、特に雅人を演じた斎藤嘉樹がバツグンに良くて、それがこの映画の爽やかさを確固たるモノにしている。

 ただ脚本と監督(あと編集も)を担った森義隆のホンが、残念ながら甘く、思春期特有の妄想や、監督とスカウトの癒着、実は清廉ではない野球部員たちの生活ぶりなどが、言えば伸びのない直球で、作品を膨らますエピソードになりえていなかったのが残念だ。
 そもそもの着想は素敵だし、元高校球児でもある監督が目指した『とにかく野球シーンを徹底的に厳しく演出すること』(パンフレットより)は効を奏し、売り出し中のイケメンがヘナチョコフォームで投げてるのに“すごい選手”って設定でシラケちゃうよーな映画とは一線を画していることは万人が拍手を送ることだろう…。

 さて。出演者も若いけれど、監督も何と29歳の若さだと言う。しかもこれが初監督。ならば、タイトルの「ひゃくはち」を語るシーンが、思いっ切り説明になっちゃってるあたりも致し方ないというところか。
 
 フィルムに刻まれた“熱さ”そのまま、迸る才能に期待できる「映画監督」が日本映画界にベンチ入りしたのは間違いない

 何故なら、まだまだ書きたいことが沢山あって、明日に続くくらい魅力的な映画でもあったのである。

コメント
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