お疲れ顔の紳士たち
島の南の広場。一部に雑草の生えた学校の運動場+ゴミ捨て場、と言いたいようなこの広場で見る鳥は、北側の畑で見る鳥とは様子が違っていました。壮絶な渡りの現場、と言えば良いのでしょうか、ここで見る鳥は皆さまお疲れの様子でした。
広場でゴロゴロしていたコホオアカ。私たちが近づいても俊敏に逃げるだけの体力が残っていないようでした。本当にお疲れなのです。
シマアオジも広大な草原で風のような歌を唄っているあのシマアオジとはまったく違います。ここで見たシマアオジはすべてお疲れ顔の、草原の歌い手とは別物のシマアオジです。
このサバクヒタキはまだ元気だったほうです。この写真はノー・トリミングです。この距離まで寄ることの出来る鳥かどうか、あまり見かけない鳥なので私には分かりませんが、これでも人の存在を気にするよりは餌を採るのが先だったようです。
このような離島での探鳥経験の少ない私の印象では、離島ではチョッとした天気の変化で「入れ食い状態」の探鳥になる、と言うことです。このような状態では多くの鳥を間じかに見ることが出来ますが、その鳥たちはお疲れ顔で、いつもの精気が感じられません。このような鳥の見方がフェアーなものかどうか、タカ長の頭の中ではうまく整理できないでいます。
やはり野鳥は活き活きしていないといけません。表情に精気が感じられないといけません。疲れの極限、よろよろの野鳥を見ることに意味があるのか、自問自答しているのです。
とは言っても狭い範囲でたくさんの鳥を見ることが出来るとなると、バーダーとしては気持ちが動くのは当たり前です。お疲れの鳥はそっと見守る優しい気持ちを忘れないで離島の探鳥を楽しみたいと考えています。
島の南の広場。一部に雑草の生えた学校の運動場+ゴミ捨て場、と言いたいようなこの広場で見る鳥は、北側の畑で見る鳥とは様子が違っていました。壮絶な渡りの現場、と言えば良いのでしょうか、ここで見る鳥は皆さまお疲れの様子でした。
広場でゴロゴロしていたコホオアカ。私たちが近づいても俊敏に逃げるだけの体力が残っていないようでした。本当にお疲れなのです。
シマアオジも広大な草原で風のような歌を唄っているあのシマアオジとはまったく違います。ここで見たシマアオジはすべてお疲れ顔の、草原の歌い手とは別物のシマアオジです。
このサバクヒタキはまだ元気だったほうです。この写真はノー・トリミングです。この距離まで寄ることの出来る鳥かどうか、あまり見かけない鳥なので私には分かりませんが、これでも人の存在を気にするよりは餌を採るのが先だったようです。
このような離島での探鳥経験の少ない私の印象では、離島ではチョッとした天気の変化で「入れ食い状態」の探鳥になる、と言うことです。このような状態では多くの鳥を間じかに見ることが出来ますが、その鳥たちはお疲れ顔で、いつもの精気が感じられません。このような鳥の見方がフェアーなものかどうか、タカ長の頭の中ではうまく整理できないでいます。
やはり野鳥は活き活きしていないといけません。表情に精気が感じられないといけません。疲れの極限、よろよろの野鳥を見ることに意味があるのか、自問自答しているのです。
とは言っても狭い範囲でたくさんの鳥を見ることが出来るとなると、バーダーとしては気持ちが動くのは当たり前です。お疲れの鳥はそっと見守る優しい気持ちを忘れないで離島の探鳥を楽しみたいと考えています。