武田じゅうめい 愛と誠と正義

色即是空とは、すべての存在は虚無であると知る。
旗印は日本愛、 日本人には日の丸が足りない

江戸の風

2008年01月14日 | 人生の意味
江戸時代の末期、日本橋の桑名藩邸 (現・三重県の江戸屋敷) に住んでいた武士が日々の見聞を記した日記が見つかったそうな。
それによると、江戸ではつじ切りなどが頻発し、アメリカ、イギリス、フランス人が市中を歩き回っていた町の風情から、市井の生活と幕末の世相が書かれているという。
1853年、アメリカが派遣したペリー率いる4隻の黒船が浦賀沖に現れ、大砲で威嚇し居座り、徳川幕府に開国を迫った。そして日本の鎖国体制は終焉した。
幕府大老の井伊直弼は、尊王攘夷の水戸藩の浪士によって、今の警視庁がある皇居・桜田門の外で襲撃され暗殺された(桜田門外の変)。
また各地で異人斬りが横行する。薩摩藩士は、横浜・生麦で藩の行列を横切ろうとしたイギリス人に斬りつけ殺傷事件を起こす(生麦事件)。
この生麦事件の賠償問題がこじれたことから薩摩藩とイギリスの間に戦争が勃発(薩英戦争)。鹿児島市が大砲で破壊され、薩摩藩は降参した。
一方、近藤勇と土方歳三が率いる新撰組が、京都・池田屋事件で長州藩など勤皇の志士を殺害したため、長州藩は、新撰組や会津藩と激突した。
坂本龍馬、木戸孝允、西郷隆盛により薩長同盟が締結され、幕府との戦いが始まった。
そして、新撰組・近藤は板橋で斬首、土方は函館・五稜郭で奮戦するも死す。
長岡藩、会津藩は激闘の末に敗れ徳川の時代に幕を閉じた。
この頃、政情不安や物価の高騰による社会不安から世直し一揆が発生し、「ええじゃないか」なる狂乱踊りが流行した。
そして、押し込み強盗やつじ切りが頻発し、ある浪人が珍しい象の見せ物小屋で料金を払わず刀を抜き、「見せろ」と脅す事件も。
「将軍に会いたい」とたばこ屋の亭主が江戸城の奥まで入り込んだという記述もある。当時、「コロリ」と呼ばれたコレラが大流行し、毎日、多くの棺桶が日本橋を通り過ぎていくのを見たと言う。
これらは、まだ150年ほど前のことである。
(ムラマサ、虚空を一閃)
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