たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

未使用切手無料鑑定会

2019年06月20日 16時15分51秒 | 断捨離考

車で20分程のスーパーマーケットの店頭で 今日まで 
ダイヤ等の宝石類、時計やブランド品、切手、テレカ等の無料鑑定会が
行われているということで、
昨日 取り急ぎまとめた 未使用切手(シート、バラ)を 持参した。

これまでは まるで無関心でいた未使用切手売却、
相場も知らなければ 買い取り業者の情報にも疎く、
初めての試み。 
今回は 最初から 様子を探るために出掛けたようなもので 
結果は やっぱり その通りになった。

新聞の折り込み

未使用切手の一部

額面の総額を おおよそ計算して行ったこともあり 
鑑定(査定)後に 示された金額に
「えっ! そんなものなの?」
「それが 相場ですか?」

担当者曰く、
「ご不満でしたら 他社で相見積もりしてみてからにされてはいかがでしょうか」、
「都内の業者ですと もっといい値で買い取るところも有るかも知れません」

特に 急いで売却する必要性、まるで無し、
「少し 考えてからにします」

商談不成立、
とりあえず 未使用切手の売却は 保留、
引き上げてきたところだ。
「捕らぬ狸の皮算用」を もう少し楽しむことにする。
 

 

 

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「川端康成集」

2019年06月10日 22時01分19秒 | 断捨離考

押入れ、天袋、物置等に詰め込まれている不要雑物整理処分、
足腰大丈夫な内に 出来る限り綺麗さっぱりにしようと意を決してから久しいが、
正直 なかなか捗っていない。
時々は その気になって取り掛かるものの、なにしろ気まぐれな性分の爺さん、
懐かしい物が出てきたりすると ミイラとりがミイラになってしまったり?・・・、
徹底的に最後まで出来ないで、保留、放置・・・の繰り返しになっている。

もう半年以上前に廃棄処分するつもりで引っ張り出した文学全集等の古い書籍類も 
結局 未だに机横の壁際に積み上げたまま、埃が被っている始末。
どうするんですか?なんとかしないと・・・、
確かに 大半は 絶対読むことも無いであろう書籍類ばかりだが、
中には なんだかもう一度読んでみたくなるような本も混ざっていて 
その分別もおざなり、なおざりになっている。

そんな書籍の山積みの中で 今日 ふっと目に止まった1冊が有った。
「川端康成集」だ。
ブックケースも黄ばみ汚れ傷んでおり 本体も型がくずれているが、なんとも懐かしさを覚える本である。
本体の裏表紙の隅に 万年筆で 「40.10.23」と記されている。
多分 買った日付だと思う。
今から 54年前に買った本だ。

今年(2019年)の春、川端康成の小説「伊豆の踊り子」の舞台の一部、伊豆の「河津七滝」を訪れ 「踊り子歩道」を歩いた。
どうも 若かりし頃 この「川端康成集」の中の伊豆の踊り子」を読んで以来 ずっとイメージを膨らませていたようにも思えてくる。

2019年2月17日の記事 → 「河津七滝巡り」

「伊豆の踊り子」、「雪国」、「千羽鶴」、「紅いくたび」、「山の音」、「眠れる美女」の6編が収録されている「川端康成集」、
梅雨の候、雨でどうしようも無い日等に、もう一度読んでみようかなと思っているところだ。


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断捨離考

2018年11月20日 17時53分18秒 | 断捨離考

不要雑物、ガラクタを 出来る限り整理処分し、
狭い家に少しでも快適な空間を生み出し、
且つ、残された家族に迷惑を掛けないようにしたいものだと、
常々思っていながら、正直 なかなか難しく 進展しないものです。
時々 思い立って 押入れや天袋、物置等の整理に取り掛かるものの、
数十年振りに目にするモノ等が出てくると 懐かしくなってしまい、
たちまち手が止まってしまうこと 多々有り。

10年程前から 盛んに 「断捨離(だんしゃり)」という言葉が使われるようになっていますが、「断捨離」とは 不要なモノを減らし、生活に調和をもたらそうという生活術、処世術のことで クラターコンサルタント やましたひでこ氏が その著書等で 提唱した言葉です。
やましたひでこ氏が提唱した造語 「断捨離」は 2010年には 「流行語」にも選ばれ 今では広く使われていますが 商標登録されており 「断捨離」、「クラターコンサルタント」等を 商業目的、営業目的で使用する場合は 許可無しでは 使用することが出来ません。
やましたひでこ氏の「断捨離」関連の著書、数多発行されておりますが 先日 図書館から その内の1冊を 借りてきました。

クラターコンサルタント やましたひでこ著 「新片づけ術 断捨離」 (マガジンハウス) 

日本人は 伝統的に 「もったいない」という観念、考え方を持っており モノを捨てることがなかなか出来ず 結果 全く使わなくなったモノ、将来も使うはずの無いモノまで 押入れや天袋、物置等に詰め込んでしまい 膨大なモノが狭い家を余計に狭くしている傾向になりがちです。
その「もったいない」の観念(思い込み)を ヨーガの行法を応用して解きほぐし、自分自身の心の重荷から解放し、快適な暮らしを取り戻すための方法を 提唱しておられます。

「断行(だんぎょう)」=入ってくる要らないモノを断つ、
「捨行(しゃぎょう)」=家にはびこるガラクタを捨てる
「離行(りぎょう)」=モノへの執着から離れゆとりある自在の空間にいる私、

書の中で 「「もったいない」の本当の意味」について 著者は、
「もったいない」という感情は 「私が使う」ではなく 「このモノは使える」という風に 使用可能というだけで 捨てずらくなる心理。一般的には 「モノを大切にしている」という代名詞になってしまっていて 捨てることに後ろめさを感じてしまったりしている心理。
「もったいない」には もうひとつ 「モノを愛おしむ気持ち」という意味が有る。愛着有るモノ、思い出のモノ、それでいて 有ることさえ忘れていたり、メンテナンスもしていないモノ、これはモノを愛おしんでいるとは言えない。そもそも 「勿体無い」は 仏教用語。モノの本来の姿がなくなるのを惜しんだり、嘆いたりする気持ちを指すようだ。
と 述べています。

話が変わりますが、かなり以前の朝日新聞紙上 「異議あり」欄で、経済アナリスト 森永卓郎氏
「断捨離」、「すっきり」は リスクが高い。ストックあればパニックが起きない。単に捨てるだけでなく 必要と不必要を見極めることで人生が変わった。・・・・。心のガラクタは必要です。捨ててはいけません。だって全ての発想や豊かさの源ですから・・・。私なんか おかしいんじゃないかと思うような物 集めています。ミニカー2万台、ペットボトルのふた、消費者金融のティッシュ、空き缶・・・とか。
等と 述べていました。

心のガラクタ・・・思い当たる節があります。
古い写真、大量のアルバム、若い頃買った本、レコード盤、弾くことのなくなっている楽器、等々、

「断捨離」は 何もかも捨て去り、外見的にすっきりすれば良しというものではなく 第三者にはゴミ同然のモノであっても 自分にとっては 心の拠り所的のモノも有り どのように折り合いをつけるか それが難しく 悩むところになります。

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家の中で時々「邪魔だ」と思うモノ ランキング

2018年11月12日 07時45分35秒 | 断捨離考

時々 思い出したように 不要雑物整理処分に 取り掛かったりする昨今ですが、直ぐに手が止まってしまったりして、正直 なかなか進展しません。
昨日も 何冊かのファイルを整理中、数年前の朝日新聞の切り抜き記事が また 出てきて・・・。
新聞読者アンケートを集計した記事ですが、多分 「なるほど・・」等と 頷いたり、共感したりして、切り抜いていたのだと思います。

年末の大掃除シーズン直前に実施されたアンケートでした。
家の中で時々「邪魔だ」と思うモノ

11月も中旬、日本では 年末に掛けて大掃除をし 家の中や気持ちをすっきりさせ、新年を迎える習慣が有りますが 今年も そろそろそんな時期が近づいてきました。
大掃除の時期でなくても 「これ 邪魔だ」と思いながら なぜかなかなか捨てられないモノ、家の中には ぞろぞろ有るものです。

家の中で時々「邪魔だ」と思うモノ ランキング、

1位 古いパソコン、
    「まだ使えるかも知れない」、「粗大ゴミには出せない」、
        「捨て方が面倒」・・・、等々の理由も有ってか。
2位 本、
    特に 20代30代の頃買った「世界文学全集」や「日本文学全集」
    等々、全く読まないのに捨てられない。
    狭い家の壁にになっているが・・・。
3位 ビデオテープ、
    テレビ映画放送を録画したもの、家族の思い出のビデオテープ、
    VHSビデオデッキが無くなり DVD等にダビングする気も
    無しなのに・・・。
4位 雑誌、
    定期購読していた雑誌、切り抜きスクラップしたりしたが
    活用したこと無し、
    いつか役に立つかも等と思ってしまい・・・。
5位 ぬいぐるみ、
    自分、娘、孫 三代分のぬいぐるみが部屋にあふれているが
    思い入れや思い出が有って捨てられない、
6位 食器、
    普段使うものは決まっていて ほとんど使わないモノばかりだが
    勿体無くて捨てられない。もらい物等で 増える一方・・・。
7位 ゴルフセット、
    夫は ゴルフをやめてしまっているのに 大きなゴルフセットが、
    デンと置かれている。
8位 仕事関係の書類、
    必要が無くなり まったく役に立たないのに 長年の実績、足跡が
    消えてしまう気がしてしまうのか・・・、
9位 表彰状・トロフィー、
    額に入れて飾って有る表彰状、ガラス戸棚を占領しているトロフィー、
10位 バランスボール、
    誰も使わないまま 部屋に転がっている。

11位 座椅子、12位 古新聞、13位 カセットテープ、14位 おもちゃ、15位 ひな人形、五月人形、16位 スキー用品、17位 古い携帯電話、18位 百科事典、19位 古いプリンター、20位 室内用ウオーキングマシーン(大型健康器具)

さてさて わが家わが身に置き換えると 古いパソコンも、ビデオテープも、古い携帯電話も、百科事典も だいたい整理処分済みですが 問題は 文学全集等の本類、大量のアルバム、大量の仕事関係の書類。
「老前整理」という言葉を聞きますが 気力体力減退、先が思いやられます。
    

 


東京五輪メダルになるならば

2018年08月06日 16時27分32秒 | 断捨離考

今日も 当地 最高気温35℃超の猛暑日でした。
ところが 16時過ぎ 一転にわかに掻き曇り 遠くから雷鳴が聞えてきたと思ったら 瞬く間に上空で 最近では余り経験したことが無い程の 稲妻、雷鳴の来襲、一時 バケツをひっくり返したような雨となりました。
珍しく 1回、2回、停電発生、
極端過ぎます
稲妻、雷鳴は 遠ざかりましたが 本降りの雨になっています。
本当に久し振り、涼しい夕方、夜になりそうです。
庭の草花、畑の野菜には 恵みの雨になったはずです。

まだ暑い盛りの昼頃、妻が 使っているスマホの契約内容を見直しをしたいということで 最寄りのドコモショップに足を運びました。
たまたま 雑物整理中にゴロゴロ出てきた 古い携帯電話機、なんとか始末しなければと考えていた矢先、
丁度いい機会、処分してもらおうと 袋に入れて 持参しました。

夫婦で 使っていた古い携帯電話機です。
代替するたびに 処分していれば なんの問題も無しだったはずですが 
「とりあえず・・・」、「念のため・・・」、等と 手元に残していて そのままになっていたものです。
いずれも 何年間か愛用した携帯電話機、なんとも懐かしく感じますが 何の役にも立ちません。
処分することにしました。

ドコモでは 2020年東京オリンピックのメダルの原材料金属として 使われなくなった携帯電話を集めるプロジェクトに参加しているところでした。「都市鉱山からつくる 五輪メダルを!」。



目の前で バッテリーを取り外し メモリーカードを切断、機体の要所に穴をあけ 回収されました。
回収期間は 2017年4月~2019年春頃までとなっているようですが 必要量が集まった時点で このプロジェクトは終了する場合もあるようです。
金メダル、銀メダル、銅メダル、世界のアスリートの首に掛かるメダルの原材料になるならば・・・。


「中学生日記」

2018年06月16日 13時57分52秒 | 断捨離考

「中学生日記」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 1度書き込んだことが有って 同じような内容の記事になってしまいますが 思い出しながら 改めて書き込んでみよう等と 思い立っています。

高校卒業まで暮していた北陸の山村の実家は 長い年月空き家状態になっていました。
全国的に 空き家廃屋放置が社会問題化していることも有って 気になり、出来る限り速やかに取り壊しを と考え 苦労しましたが 数年前に 取り壊し(解体工事)を 済ませました。
取り壊す前の数年間は 年間数回、座敷、茶の間、台所、2階、作納屋、物置や押入れの奥の奥まで詰まった 気の遠くなるような家財道具類、雑物等の分別、整理廃棄処分のため 足繁く往復したものです。
そんなある時 2階の押入れの隅のリンゴ箱に詰まった 小学、中学、高校時代の教科書やノート等が まとまって出てきたことがありました。
子供のものでも 一切捨てることを考えない母親が なんでもかんでも保管していたものでした。
ほとんどは 汚損、腐食激しく 廃棄処分しましたが タイムカプセルを開くが如しで 中には 「えっ!こんなものが」、ある種 感動さえも有って 一部 とりあえずダンボール箱に詰め込んで 持ち帰っていたものも有ったのです。
その中に 中学生時代の1時期に付けていたと思われる ボロボロの「日記帳」が 有りました。
日記を付けていたこと自体の記憶も無く、「こんな日記 書いていたかなあ?」、
半信半疑、ページを捲ってみると 間違いなし。当時の自分の字にも びっくり、井の中の蛙、田舎の中学生にタイプスリップするかのような錯覚を覚えてしまい、しばし感無量になったものでした。

多分 国語担当のH教師から 「日記を付けろ」というような話が有って始めたことを 思い出したのでした。
中学1年生の6月から始まり 中学2年生の8月で 途切れています。
当時 父親は 農業をしながら 隣町の小さな印刷所兼文房具店に勤めていて ノート、鉛筆、クレヨン等の文房具類を よく貰ってきたり安く買ってきていましたが 多分、その粗末なノート日記帳も 売れ残りを貰ってきてくれたものかも知れません。

それにしても 下手な文章、下手の文字、誤字脱字多過ぎ、
後期高齢者になった今でも まるで変ってはいませんが・・・。
ただ ページを捲ると なんだか中学生時代の暮らしが一気に蘇ってきてしまい、これは「大切な資料?」等という気になり 結局未だに仕舞い込んでいるという次第です。
第三者から見れば 汚いゴミ同然の代物、少しずつ ブログ「あの日あの頃」に書き留めながら やはり 処分しなければ と 思っているところです。

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振り返り記事 「ウクレレ」

2018年03月13日 19時36分27秒 | 断捨離考

gooブログから 丁度1年前に書き込んでいた記事が 届きました。
1年前のこと等 覚えているはず無い爺さん、
「なんだか ずいぶん前だったような気がするけど 1年前だったっけ?・・・」
記憶が 蘇ってきました。

      2017年3月13日の記事 「ミイラ取りがミイラになってしまい?」
              ▼

 
ミイラ取りがミイラになってしまい?
押入れや物置に詰まっていて 過去10年も、20年も、それ以上も 全く 目にしない雑物のなんと多いことか、少しずつ 整理廃棄処分していこう等と思い始めて久しいのですが なかなか 捗り......
 

 

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ミイラ取り ミイラになって 遊ぶ爺 

2018年03月08日 17時04分28秒 | 断捨離考

押し入れや天袋、物置等に詰め込んだまま数十年、ほとんど忘れてしまっているような不要雑物の類、結構有るものです。
出来る限り 足腰大丈夫な内に 整理処分し 残された者に負担を掛けたくないものだと 思い始めてから久しいのですが 正直 なかなか捗りません。
数年前に、長年空き家になっていた北陸の山村の実家を取壊しましたが 家中にぎっしり詰まった家財や道具の始末に 数年間掛かり 草臥れ果てた経験があり、生きている間に 出来る限り 不要雑物は整理処分して すっきりさせておくべきと 思っている次第です。
とはいうものの 時々 気まぐれに思い立って 整理処分に取り掛かったりしても 懐かしい物が出てきたりすると たちまち 手が止まってしまいます。
そして ミイラ取りが ミイラになってしまうこと たびたび・・・。

大風呂敷に包まれた大物が 出てきました。
中身は CASIOの キーボード CTK-550 でした。
多分 息子達が まだ小学生の頃 (次男は 一時 近所のピアノ教室で習っていたこともありましたが)、30年位前に 買った物のはずです。
キーボード熱、興味関心も ほんの一過性で その後は 邪魔になって、押入れ行きとなったように思います。

多少 使った後は見えますが 大きなキズも無し、風呂敷で包んであったことで 比較的綺麗です。
仕事をしていた頃には 考えられないことですが これ 面白そう、少し遊んでみようかな等と またまた 余計なことを考えているところです。

ただ 「取扱説明書」も何も無いし、どこを どうすれば?・・・、
電源は 乾電池?・・・、
乾電池をセット、ON、
「トーン」を選択、「リズム」を選択、ボリュームは 上下、・・
とりあえず 「スタート」・・・、
「リズム」が ズン チャチャ、ズン チャチャ・・・・、
鍵盤を 押す(たたく?)と ちゃんと ピアノ、バイオリン、アコーディオン・・・・・夫々の「トーン」が・・。
は長調で? 聖者の行進?・・
出鱈目ですが なんとか 曲になります。
楽譜も読めないし 指も動きませんが 幼児のピアノおもちゃ感覚で 時々は 気まぐれに 弾いてみることにし 炬燵の上に出してきました。

「ミイラ取り ミイラになって 遊ぶ爺」 

数十年振り 日の目見た キーボード

因みに ネットで CASIOの キーボード CTK-550を 検索してみましたら その中古品が数多 5,000円~1万円で 売買されている様で まだ世の中に 愛用者がおられるということなんでしょうか。

爺さんの遊び、一過性で終わり 再び 押入れ行きになる可能性 大いに有りではありますが。

 

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父親からの2通の手紙

2018年01月28日 10時50分50秒 | 断捨離考

物置、押入れ、天袋等に詰まっている不要雑物、出来る限り整理処分し、すっきりしたいと思い始めてから久しいのですが 正直なかなか捗りません。
時々 気まぐれに思い立って取り掛かったりはするものの 数十年振りに目にする懐かしい物、思い出の有る物等が出てくると たちまち手が止まってしまったり 整理処分し切れず 場所を移動するに止まってしまうことも度々。

昨年 押入れの奥のダンボール箱の詰まっていた 古い手紙類が出てきて その大半を整理処分したことを書き込んだことがありましたが 独身時代からずっと貰っていた母親からの大量の手紙の束は やはり即処分が出来ず とりあえず保管していました。
先日 その束をバラしてみますと その中に 父親直筆、父親からもらった手紙が2通、通だけ 混入していたのです。
父親から手紙をもらった等という記憶は、全く失せていましたので その書体や文章に 当時の父親の面影を追って しんみりしてしまいました。

(1)

「待ちに待った便りは 今日着いた。
毎日心配していた。帰宅以来やっとホットした。出来るだけ手紙は書くべきだ。・・(中略)・・、
お金のことは心配しないで 何時でも知らせてよこせ。・・(中略)・・、
お前もなれない寮、学生生活で大変であろうが 頑張ってくれ。毎晩毎晩、お前のうわさでもちきりになって居る。何をおいても健康は第1だ。呉々も気を付ける様に。お友達とは仲良く。お付き合いくらいはしなくてはならない。・・(中略)・・、
では 呉々も 体を大切に」

(2)

「用件のみ、
上から六段目 収入内容の欄、農業所得 年収税込は・・(略)・・とあるは 注意書の(6)に 粗収入から 経費を引いたものと書いてある。・・(略)・・は 粗収入であって 純益は・・(略)・・である。
それから その下、家族の所、・・(略)・・、農業ー(年収を書き込む事)、
※授業料年額9000円、学校納付額?、分納年二回、
裏の奨学金希望理由よろしくたのむ、
その下 間違うとこまるので書き込まない。
わからない所は学校へよく聞いて、間違いのない様に書いてくれ。
急用な書類はすぐ速達で連絡してくれ。
今日 本立と古い長くつ、ずっくを送った。
ヒキ出しは見つからないから出てくれば送る。
また後便にて。
体に気を付けて」

昭和30年代中頃、高校を卒業し 初めて北陸の山村の実家を出て 学生寮に入寮しましたが その当時の手紙、もう60年程前の手紙です。
奨学金を申し込む際の書類のこと等、内容は たいしたことは書いてないですが 井の中の蛙の如くの世間知らずの息子を送り出した父親の 心配で仕方無い心情が伝わってきます。
父親からもらった手紙、多分 後にも先にも この2通しか無いはずで この歳になってやっと実感しているところです。

経済アナリストの森永卓郎氏が 7~8年前の朝日新聞の記事、「断捨離に 異議有り」の中で 「心のガラクタは必要なんです。捨ててはいけませんだって 全ての発想は豊かさの源ですから」と等と 述べておられたのを読んだことがありました。
第三者には ガラクタ、不要雑物ですが なかなか捨て難くなるもの、まだまだ有りそうで 悩みです。

廃棄処分する前にスキャナーで取り込み、外付けHDに とりあえず保管したところです。

 

 


 

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不用品処分命令 その8 「初めて買ったミニコンポ」

2017年11月02日 09時46分08秒 | 断捨離考

昭和40年代前半、就職してまもない頃に 薄給だったにもかかわらず どうしても欲しくて 相当無理をして買ったミニコンポ、SONY インテグレート100が 押し入れの最奥から出てきました。
当時 ろくな家財も無しのガラーンとした独身寮の部屋で まるで宝物の如く 大切な物の一つだったように思います。
結婚後には 代替したのですが それまでの十数年間 暇さえ有れば レコードを聴いていた 愛着があったミニコンポ、
代替した時点で廃棄すべきものを 未練がましく ポイ!出来ず 例によって 押入れの奥にしまいこみ そのままになっていたものです。 
ダンボール箱の中には SONY インテグレート100の雑誌の広告を切り取ったものと 買い上げ伝票まで 一緒に入っていました。
買い上げ日 「昭和43年10月26日」。なんと 49年前に買ったものです。

見納めに(記念に) 写真を撮り 「不用品処分命令」を 自分に下し 即刻 実施したところです。

それでなくても狭い家の 押し入れや天袋、タンスや引き出し、書棚には まだまだ 不用品雑物が詰まっていますが、何十年ぶりに目にして 懐かしくなってしまったりして 手が止まってしまい なかなか 整理処分が進みません。
残された家族が困らないように 出来る限り思い切ろうと 言い聞かせながら・・・・。

 

 

 

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