たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

古い写真から蘇る思い出の山旅・その77

2025年01月12日 11時10分11秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その77
「2回目の茅ヶ岳」(再)


かれこれ24年前の2001年5月中旬、妻と二人で、山梨県の「茅ヶ岳」を訪ねたことが有った。
当時はまだ自営業を続けていた頃で、時間的、精神的余裕が無い頃だったが、その日は、全国的に広く高気圧に覆われ、北海道から九州まで、ほとんどが安定した快晴の日曜日、絶好の行楽日和だったようで、矢も盾もたまらず、急遽、山歩きする気になったのだと思う。
「どこへ行く?」、「日帰りで、とっつきやすい山?」、「そうだ、茅ヶ岳へ行こう!」、
そんな風だったのかも知れない。
「茅ヶ岳」は、2,000mにも満たない山ではあるが、「日本百名山」の著者、深田久弥氏が登山中に急逝された山として知られる山で、シルエットが八ヶ岳と似ていて、見誤りそうになるところから「ニセ八ツ(にせやつ)」等とも呼ばれ、親しまれている山である。独立峰だけに山頂からの展望も良く、特に難しい箇所もなく比較的気軽に登れることから、大変人気が有る山でもある。
「茅ヶ岳」には、その数年前にも、当時一時所属していた山の会の仲間と1回訪れていたが、どうしても妻とも登りたかった、拘りの?山だったのだ。
当時はまだ、バカチョンカメラ(ポケットサイズのフィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、ピンボケ、拙劣写真ばかりだが、撮った写真は、プリントして、アルバムに貼ってあり、「OCNブログ人」でブログを始めてまもなくの頃、スキャナーで取り込んで、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き留めたことが有った。その写真が、外付けHDに残っており、久し振りに引っ張り出して、改めて「古い写真から蘇る思い出の山旅」の一つに加えることにした。
古い写真を懐かしがり、昔のことを思い出す等は 老人の最も老人たるところ・・、等と自嘲しながら。


山行コース・歩程等

登山口(深田記念公園駐車場)→女岩→深田久弥終焉の地→茅ヶ岳山頂→岩門→金ヶ岳南峰→金ヶ岳北峰→金ヶ岳南峰→岩門→茅ヶ岳山頂→南尾根道(防火帯)→深田記念公園→登山口(深田記念公園駐車場)
(標準歩行所要時間=約6時間)、


自宅を夜明け前に出発、
登山口である「深田記念公園駐車場」には、8時頃到着したようだ。
流石に人気の有る山、広い駐車場も、ほぼ満車状態、
なんとか滑り込みセーフだったような気がする。
出発してしばらくは、樹林帯の中、たんたんとした林道歩き、
エンレイソウ、ニリンソウ、ヒトリシズカ等が見られたが、みなピンボケ・・、

 

 

 


水源函養林の看板が有るあたりはカラマツ林、
50分程歩くと、「女岩」に着く。
先発の夫婦連れやグループ等、大勢が休憩中、
したたり落ちる程度の水場が有る。
(注)その8年前に訪れた時には、落石等で危険とされ、
女岩への立ち入りは禁止となっていたような気がする。

「女岩」から、しばらくはジグザグ急登、
気温上昇、真夏の暑さとなり、半袖でも、汗だくになった気がする。

振り返らば、展望が広がり出し・・・、

9時30分頃、尾根道の鞍部に到着、小休憩、
左へ進んだところに、「深田久弥氏終焉の地の碑」が立っている。

10時頃、茅ヶ岳山頂(標高1,704m)に到着、
南方、南アルプスの峰々、甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山、
10数人のハイカーでいっぱい。座る場所も無い程。

 

「茅ヶ岳」山頂から、「金ヶ岳」へ向かう。

岩門、

金ヶ岳南峰山頂(標高1,764m)

金ヶ岳南峰で、早目の昼食、
12時30分頃、「茅ヶ岳山頂」まで戻り、
下山は、明るい南尾根道(防火帯)を辿った。

14時頃には、深田記念公園に帰りついたようだ。
園内には、深田久弥氏自筆の「百の頂きに百の喜びあり」の石碑が有る。

行楽シーズンの日曜日、中央自動車道の大渋滞が予想され、早目に退散したのだったが、
それでも、数カ所で自然渋滞が発生、帰宅出来たのは、20時頃だったような気がする。
その当時、「茅ヶ岳」は、季節を変えて何度でも訪れたい山等と思っていたはずだが、結局、後年になって、旧い友人と二人で、1回訪れ、3回訪れたことに留まった。
足、腰、痛!、痛!の今となっては、「茅ヶ岳」もまた、近くて遠い、思い出の山となってしまっている。

 


コメント    この記事についてブログを書く
« 1月11日、陽だまり散歩・... | トップ |   

コメントを投稿

山歩記」カテゴリの最新記事