それでなくても狭い家の 押入れや天袋、タンスや書棚には 不用品雑物が詰まっています。
残された家族が大変な目にあうことのないように 出来る限り思い切って整理処分しようと思い立ってからかなり経つのですが 正直 なかなか捗っていません。
先日 その気になって取り掛かった2階の押入れの一つの整理も 中断、引っ張り出したダンボール箱のいくつかが残っています。
そのひとつを 開けてみました。
なんと 古い手紙類(封書、葉書)がぎっちり詰まっていました。
多分 ほとんど手紙(封書や葉書)のやり取り等をしなくなった 20年位前までのものに違いなく とりあえずとっておこう等と 仕舞い込んで そのままになっていたものです。
既に 茶色く変色し、ボロボロになりつつある封筒や葉書も多く、中には 消印が 「昭和36年4月22日」なんていうものも有ります。
とにかく もらった手紙を全て 後生大事に保管していたことになり 我ながら 唖然としてしまいます。
中でも 母親からの手紙(封書)が最も多く よくまあ こんなに手紙を認め、よこしてくれたものだと 改めてびっくりしているところです。
母親からの手紙(封書)
消印 昭和36年4月22日の封書
昭和30年代から40年代は、学生寮や会社の独身寮で過していましたが その頃に受け取ったものが大半で、当時は まだ 実家に 電話が無かったり、電話が入ってからも 電話代を気にしたりしていた時代、寮の電話も呼び出し電話だったりして 余程のことが無い限りは 電話でやりとりをしなかった時代でした。
いろいろな連絡手段は まだまだ 手紙という時代だったのです。
結婚後 アパートや公社住宅で暮らすようになり 固定電話も入りましたが まだまだ 「長距離電話の電話代が もったいない」という頭がお互いにあって やはり 手紙でやり取りしていたように思います。
今思えば 筆まめな母親だったと言えます。
例によって とりあえず 見納めに(記念に)写真を撮り 「不用品処分命令」を 下しましたが・・・・、
「ちょっとお待ち下さい。お代官様」、
「なにとぞ 失効猶予を・・・」
ほんの1部でも 読み返してみたい気持ちも有り 気が済んだら廃棄処分する ということにしました。
エッ! こんな葉書も。
昭和38年3月消印の葉書が出てきました。54年前の葉書です。
全く 記憶の欠片も無かったので びっくり。でも 蘇ってきました。
学生時代、家庭教師のアルバイトをしていて ある年、仲良し女子中学生3人を 1軒の家に集めて 一緒に教えていたことがありました。
3人共 貧しい家庭の子で まともなアルバイト代が支払えない、なんとか安く まとめて教えてもらえないかという希望を受けて 引き受けていたものですが 3月、帰省していた実家宛てに 「無事 希望高校入試に合格した」ことを 3人連名で 連絡してくれた葉書なんです。
約束の時間 3人の内の1軒に出向くと 平屋の借家の狭い1室に 3人が集まっていて 冬等 炬燵を囲んで 出来るだけ平等に気を使いながら 接していた情景等まで 想い浮かんできました。
この葉書、現物は 廃棄しましたが とりあえず スキャナーで取り込んで 外付けHDに保管したところです。
あの子達も もう おばあちゃんになっているはず、どこで どんな暮らしをし どんなおばあちゃんになっているのかなぁー・・、
感慨無量です。