たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「中学生日記より」その35(再)

2021年06月12日 14時48分16秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のこと。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。(以上 過去記事コピペ文)


その35「田植え、結い」

昭和30年(1955年)6月7日(火)、天気 晴、

1、(うち)の田植え、大勢が手伝いにきた。
2、明日は オケヤの田植え、
3、子供ねこ(子猫)、川原にぴしゃりにいった、1匹、
4、父 休む、

この日の前後の日記から、この年の「田植え休み」は 6月4日から6月10日までだったようだ。当時はまだ、田植え機等が無かった時代、田植えも全てが人力、大勢の人手が必要で、一挙に終わらせるため、親類や近所隣りの親しい家同士が、お互いに手伝い合う「結い(ゆい)」が行われていた。予め仲間同士で打ち合わせした順番通り、次々と田植えを終わらせ、この日は M男の家の田植えをする日だったようだ。
「父、休む」と書いて有る。隣り町の小さな印刷店兼文房具店に勤めて居た父親も休暇をとり、主役をつとめたはずだ。
「大勢が手伝いにきた」と書いてある。もともと、戦後に定住、専業農家ではなかったM男の家の田畑は少なく、記憶曖昧だが、午前中で、ほとんど終わったような記憶が有る。M男達、男子中学生ともなると、男衆の頭数に入っていたが、每年、仕事の分担、役割は ほとんど決まっていて、大人達がそれぞれが手際良く段取りするので、その助手という感じだったように思う。
「明日は オケヤの田植え」と書いて有る。オケヤとは 父親の実家(本家)の屋号のことで、大農家だったが、午後は そのオケヤの田植えの下準備の手伝いに回ったのかも知れない。
「子猫を川原に ぴしゃりに行った」と書いて有る。「ぴしゃる」とは 「捨てる」の意の方言?。
当時の農家は、どの家も、だいたい猫を飼っていたが、現在のようなペットとしての存在ではなく 作納屋、米蔵等から、ネズミ被害を防ぐ、用心棒?だった。「猫の手も借りたい・・・」等という言葉が有るが、当時の農家には、猫をペットとして、大切に可愛がって過ごす程の余裕が無かった時代。大抵は、放ったらかしで 周辺の田んぼ畑等で、何かを掴まえて食べて来るのに任せ、家に戻ってきても 残飯や魚の骨くらいを与えられる位で、出入り自由の半野良猫の扱いをしていたような気がする。ある日、ふっと居なくなってしまったり 病気や毒で死んでしまったりもしていたが、避妊手術等考えもしなかった時代、作納屋の2階等で、ぞろぞろ子猫を生むことも度々有り、その処分の方法も実に残忍だったと思う。川原にぴしゃる(捨てる)等ということが、当たり前に行われていたということが分かる。


真夏日は散歩ウオーキング朝よろし

2021年06月12日 08時19分09秒 | 散歩・ウオーキング

天気予報によると、今日は、西日本から東日本へ、雨の範囲が次第に広がってくるようだが、当地今朝は、薄い雲が掛ってきているものの、まだまだ好天の兆し。
日中は 30℃前後の猛暑になりそうだが、早朝は ひんやり、しゃきっとして 気持ち良い。
当地、今日の日の出時刻は 4時26分頃、
5時過ぎに、近くをちょこっと歩いてきた。
   君の名は?花に尋ねつ朝散歩
スマホの歩数計で 約5,000歩、 

マツヨイグサ(待宵草)・・・かな?

 

 

ホウズキ

モミジの種

君の名は?

スカシユリ(透百合)・・・かな?

タイサンボク(泰山木)?

キミガヨラン(君が代蘭)・ユッカ

 

おまけ
ヤマトシジミ・・・?