外付けHDにやたら保存してある大量の写真やドキュメントを、時々覗いては、少しづつ取捨選択整理したりしているが、中には、すっかり忘れていたものに目が止まり、「そう言えば・・・」、
懐かしくなり、以前書き込んだブログ記事を検索、懐かしくなってしまったりしている。
まだ自営の仕事をしていた頃の話、時々ではあるが、興味関心を持った新聞記事を切り抜きしていたことが有った。切り抜いた記事が、後日、何かの役に立ったかと問われれば、ほぼ、NOで、結局は、山となった新聞切り抜き記事は、ある時期に、ゴミとして廃棄処分していたもので、単なる無駄な努力をしていただけだった気がするが、ブログを始めてからのこと、どうしても捨て難たい新聞切り抜き記事については、廃棄する前に、スキャナーでパソコンに取り込んで、保存したりもした。
平成26年(2014年)1月4日の朝日新聞掲載の記事、作家で元経済企画庁長官だった、故堺屋太一氏のエッセイ「作家の口福、自宅で飼った山羊の乳」もそのひとつだった。
以前書き込んだブログ記事を、コピペ、再編集(リメイク)してみた。
その記事を切り抜きした理由は、
東京から北陸の山村に疎開し、そのままその地に定住したM男の家でも、戦後まもない頃、山羊を飼っていて、その世話や乳搾りは、小学生高学年から、中学生、高校生だったM男が主に担っていたことがあり、全く似たような体験をされておられた堺屋太一氏に共感したからであった。
記事冒頭に「生涯忘れられない 美味しいものがある。幼年時代に 自宅の裏庭で飼った山羊の乳だ」とある。
「散歩に連れて行くと 路傍の雑草をむさぼり喰い 黒豆のような小粒の糞を出した・・・」
「私は 小学校から帰ると 山羊の足を 小さな杭に縛り 乳を搾った・・・」
「私の 山羊飼いは 小学校5年生から中学校3年生の春まで 5年ほど続いた。生涯忘れ得ぬ思い出だ・・・」
等とも書かれている。
M男も まさに 同じような体験をしていたのだが・・・、
当時のM男には 餌やりや、山羊小屋の掃除(糞の片付け堆肥作り)、乳搾り等 一連の世話は、臭くて、汚くて、蚊(か)や蚋(ぶよ)や虻(あぶ)に悩まされる仕事で、かなり、いやいやしていたような気がするし、当時は、搾った乳も そこまで美味しい飲み物とは、思ったことがなかった。むしろ、生臭くて、飲み難く、少し砂糖を入れるかしてごまかして飲んでいたような気もする。
農村の生活改善運動?の一つだったのかどうか、
「雑草を食べさせれば 飼える山羊」「貧者の牛乳」等と奨励されて、父母が、戦後の食糧事情が悪い中、M男達発育盛りの子供のために、飼ったものと思われるが、自宅で山羊を飼い、乳を搾り、その乳を飲んだ等という体験は、その時代の山村の暮らしだったからこそで、今から思うと、貴重な体験だったと言える。
牛乳の流通が普及、全国津々浦々で販売、配達され、一般庶民のレギュラー食品になってくる前の話である。
コメントいただき有難うございます。
コメントいただき有難うございます。
私は小学校の給食で特にミルク・牛乳が嫌いで
登校拒否をしていました?いまだに
牛乳が飲めなくて孫たちが幼稚園に行けないね?と
言っていますよ。
田舎でも誰でもが飼える訳でなく、況してや無料でもなかった。
娘が小さかった頃、分けて貰えた時にはうれしく、懐かしい想いです。
最近は、専門に山羊だけを飼い、販売・製造している人もいるようで、農園経営が多くみられる。
あの独特の匂いが好いのだが、加工過程で消えてしまっている。