「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のこと。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると すっかり喪失してしまっていた記憶が 断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。(以上 コピペ文)
その29 「いなご(蝗)とり」
昭和30年(1955年)10月7日(金)、天気 曇、
起床6時、
1限目 職業、いなご(蝗)とり
2限目 数学、いなご(蝗)とり
3限目 理科、
4限目 国語、辞書の引き方、
5限目 図画、風景画、
6限目 社会、中部地方の地形、
1、こうもり(蝙蝠傘)をもっていったが(持って行ったが)、
じゃま(邪魔)なので こっそり はさ(稲架)の中にかくして(隠して)おいた、
2、いなご(蝗)とりを 別にやった、
帰家(宅) 16時、
この日、1限目、2限目の授業は無しだったようだ。「いなご(蝗)とり」と書いてある。
記憶曖昧だが、M男達中学生、小学生、生徒児童全員が各毎に集合し、田んぼの中をいなご(蝗)を捕りながら、登校したような気がする。
当時はまだ、水田に農薬散布等していなかった時代、毎年、いなご(蝗)の発生量は半端無しで、稲穂が実る頃等、人が田んぼに近づくと一斉に飛び立つ様は見事?な程だったが、稲刈りが終わった後の田んぼにも、まだまだ いなご(蝗)の群れが残っていた。そんないなご(蝗)を、田んぼの中を歩き回りながら捕まえて、各自持参した布製の袋等に詰め込みながら(現在のようなビニール袋等無かった時代)登校したような気がする。
いなご(蝗)は、稲には害虫?だったが、中学生小学生がしていた「いなご(蝗)とり」は、害虫駆除を目的としたものでなく、集めた大量のいなご(蝗)を、食品か薬品かなにかの原材料とする業者に買い取ってもらい、貧弱だった図書室の「図書購入費」に 充当することだったのである。
ビニール製の手袋等無かった時代、素手で掴まえ、袋に詰め込んでいる内に、いなご(蝗)独特の嫌な臭いが漂い、手や指には 黄色い色も染み付いて、洗ってもなかなか消えず、いなご(蝗)とりは苦手だった。後年になっても、その情景を思い浮かべるだけで、その臭いと色が蘇ってしまい、畑地等でいなご(蝗)類を見つけても、捕まえる気がしなくなっている。
雨が降り出しそうな天候だったのだろうか。こうもり(蝙蝠傘)を持って家を出たようだが、当時のこうもり(蝙蝠傘)は、黒い布製、大きくて重かったように思う。いなご(蝗)とりには、邪魔だったようで、途中、どこかの田んぼのはさ(稲架・稲を乾燥するための木組)の中に こっそり隠して登校、下校時に持ち帰ったようだ。
(ネットから拝借画像)
いなご(蝗)
楽しそう…ごめんなさいね
田舎の生活が好きなんですよ?
コメントいただき有難うございます。