長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳に出掛けたものだったが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。息子達が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力減退、登山からは遠のき、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっている。今となってみれば、あの頃、思い切って山に出掛けていたことが、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな古い山歩きの写真を引っ張り出しては、「デジブック」にし、ブログに貼り付け、「山歩記」にしていたものだが、肝心の「デジブック」が終了してしまったため、中身の無い備忘録・懐古録になってしまっている。少しづつそんな記事をリメイクしよう等と思っていながら、気まぐれな性分、ずるずると数年が経ってしまった。やおら重い腰を上げ、ポツリポツリ、過去記事をコピペしながら、リメイクているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。
古い写真から蘇る思い出の山旅・その19
「燕岳から餓鬼岳」
かれこれ22年前の2000年8月のこと、妻と次男(当時、大学生)の3人で、燕岳から餓鬼岳を歩いたことが有った。「ブログ内検索」してみたら、5年前にも、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んでいることが分かったが、今年も夏山シーズンを迎え、NHKテレビ等の山番組をチラ見するたび、なんだか懐かしくなり、改めて、コピペ・リメイクしてみることにした。当時はまだ、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、後年になって、アルバムに貼って有った紙焼き写真をスキャナーで取り込んだ写真が外付けHDに残っており、改めて引っ張り出しているところだ。記憶は、どんどん曖昧になってきている爺さんではあるが、写真や記録・メモ等を見ると、あの日、あの場所の情景が蘇ってくるから不思議だと思う。
その年の夏、「燕岳から餓鬼岳」を歩こうと決めたのは、長年、一度は訪れたいと思っていた燕岳、燕山荘、その内いつか・・等と言ってられない歳になり、「今でしょ!」と思い込んだことと、山雑誌等で見掛けた「北燕岳のコマクサの群落」を、是非見たいという思いが重なったことだったように思う。ただ、何分、体力、経験に自信の無い夫婦、次男の強力なサポートも有り、山小屋2泊、ゆっくり、のんびりの山歩きにしたのだった。
山行コース・歩程等
(1日目)中房温泉・燕岳登山口(標高1,462m)→(合戦尾根)→大ベンチ→第2ベンチ→
第3ベンチ→富士見ベンチ→合戦小屋(標高2,350m)→
合戦ノ頭(標高2,489m)→燕山荘(標高2,680m)(泊)
(標準歩行所要時間=約4時間10分)(標高差=約1,266m)
(2日目)燕山荘→燕岳山頂(標高2,7629m)→北燕岳→東沢乗越→(丸山新道)→
東沢岳山頂(標高2,497m))→餓鬼岳小屋(標高2,600m)(泊)
(標準歩行所要時間=約7時間)
(3日目)餓鬼岳小屋→餓鬼岳山頂(標高2、647.2m)→餓鬼岳小屋→
百曲り→大凪山山頂(標高2,079m)→白沢原頭部→場→魚止ノ滝→常念小屋→
紅葉ノ滝→白沢登山口(標高993m)
(標準歩行所要時間=4時間)(標高差=約1,600m)
(昭文社の「山と高原地図(36)」から拝借)
(1日目)
やはり、前日、仕事を早めに切り上げ仮眠、真夜中に自宅を出発したようだ。中央自動車道を走り、7時30分頃、予定通り、長野県豊科(現在の安曇野市)の安曇野観光タクシー会社の駐車場に到着、無料駐車で車を預ってもらい、タクシーで中房温泉に向ったのだった。
8時頃には、中房温泉に到着し、8時30分頃、燕岳登山口を出発したようだ。
北アルプスの「三大急登」の一つ等と言われている合戦尾根、
いささか緊張して登り始めたような気がする。
バテないように、ゆっくり、のんびり。
第1ベンチ、第2ベンチ、第3ベンチ、富士見ベンチを、順調に通過し、
11時頃、合戦小屋に到着、
合戦小屋は、休憩のみの小屋であるが、売店有り、
スイカが名物。
早速ゲット、火照った体には最高!
弁当で昼食、休憩している最中に、天気急変・・・、
ものすごい稲妻、雷鳴が轟き渡り、激しく雨が降り出した。
多くのハイカー共々、小屋内に退避、
小止みになるまで、約1時間半、
足止めを食ったのだった。
どうなることかと不安が過ったことが思い出される。
どうやら、雷がおさまり、雨が小止みになったところで、
13時頃、合戦小屋を出発、
その後も、不安定な雲行きが続いていたが、合戦ノ頭付近では、
ところどころ青空も見え出し、
稜線上に槍の穂先が見え隠れ、燕岳と対面、
蒸し暑さは最悪、バテ気味だったが、
どうやら天気回復に安堵したものだった。
前方に、燕山荘が、見え出して、ホッ!、
燕山荘直下のお花畑で、しばし、癒やされ・・、
ゴゼンタチバナ? ハクサンチドリ?
マイズルソウ? モミジカラマツ?
14時頃、燕山荘に到着、
一面ガスが掛かってしまい、展望は、絶望、
大正10年に創設されたという燕山荘、
洗練されたおしゃれな感じの山小屋である。
喫茶ルームで、憩う。
夕景写真も無し・・・・残念
山小屋の灯・・、
19時30分頃、小屋主赤沼健至氏のアルプホルン演奏と
ユーモアあふれるおしゃべりタイムが有リ、
燕山荘に宿泊した者のみが味わえる寛ぎのひとときだった。
スタッフから写真撮影OKをいただき、パシャ!、
消灯は、21時、
「燕岳から餓鬼岳」1日目が、終わったのだった。
(つづく)