今日8月9日は 長崎が アメリカによる原爆投下から75年となる日だ。
今日の朝日新聞の「天声人語」に 公開されたアメリカ機密文書をもとに 広島の次の投下先が決まるまでの過程を調べた結果の一部が紹介されていた。
米軍は 原爆投下の標的にした都市には あらかじめ、原爆の破壊力を確かめ易くするため、通常爆弾を落とさず無傷のまま残しておくように命令が出ていたのだそうだ。東京、大阪は すでに大規模な空襲を受けていたため除外、京都は 歴史的な価値があるため除外、広島に続く投下先として候補に上がっていたのは、新潟、小倉等だったという。基地から遠い新潟が除外され、米軍機が向かったのは諸条件が揃った小倉だったが、予想外の視界不良で 急遽長崎に転じたのだという。戦況の定まったあの時期に あれ程の非人道的な新型兵器を使う必要があったのか。二転三転、四転五転の果てに選ばれた被爆地の無念さが思われてならない。一瞬で失った何万もの尊い命を悼みつつ、戦争そのものの持つおぞましさを胸に刻みたいものだ。核保有国が 核軍縮に向かう約束事を反故にしようとする動きが有る中、唯一の戦争被爆国日本が そのアメリカに遠慮して 核兵器禁止条約批准国にもなれないでいる?・・というのも、おかしな話ではないかとも思う。
(参照・引用 2020年8月9日 朝日新聞「天声人語」)
毎年 この日になると 必ず思い浮かんでくる曲、「長崎の鐘」
「長崎の鐘」については、「ブログ内検索」してみたら、2年前にも書き込んでいることが分かり、また同じことを書き込む寸前で取りやめ、「以下同文」とすることにした。
2年前、2018年8月9日の記事 → 「長崎の鐘」
天声人語、私の心の師みたいなものですが最近は読めてなくて・・・
確か、真珠湾攻撃事も以前に観た記憶があります。
これからもよろしくお願いします。
出来るだけ多くの方のブログ拝見したいものですから、読み逃げ専門爺さんですが これからもよろしくお願いします。
この日が来ると、小学生低学年の時に母に連れられて、放射線研究所という所に行った事を思い出します。
被曝二世に対する影響を調べていたのでしょう。
うろ覚えですが、何だか怖かった事を覚えています。
暗い洋館の建物でした。
周りを見ていると被曝二世は、やはり特有の病気をしている人が多いです。
私も、ちょっと病気しました。今は元気です😉
来年の5月頃には、コロナが終息するそうです。
緑萌える季節にお越し下さいませ。
水辺の森公園も、候補に入れて下さいね。
ここは、景色が美しいのはもちろんですが、癒されて元気になる場所です。^_^