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かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを

2022年11月30日 15時18分41秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その23

かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを

出典
後拾遺集(巻十一)

歌番号
51

作者
藤原実方朝臣

歌意
こんなにもあなたを恋い慕っていることさえも
私は打ち明けることが出来ないのですから、
まして、伊吹山のさしも草ではないが、
こんなに燃えさかっている私の思いを
あなたはよもやご存知ないことでしょうね

注釈
「かくとだに」=「このように(恋い慕って)いることさえも」の意。
「だに」は、軽いものを上げ、言外に重いものを推測させる語。
「えやはいぶきの」の「え」は、打ち消し、不可能の意を表す副詞。
「やは」」は、反語の係助詞。
「いぶき」は、「言う」と「伊吹(山)」の掛詞。
伊吹山は、滋賀県、岐阜県県境の山ではなく
栃木県の山であるという説が有る。さしも草の名産地。
「さしも草」=お灸に用いるもぐさ・よもぎの別名。
「さしも」の序詞。「燃ゆる」の縁語。
「さしも知らじな」の「さ」は、指示の働きをする助詞。
「しも」は、強調の副助詞。「な」は、詠嘆の終助詞。
「思ひ」=「思ひ」の「ひ」は、「火」を掛けた掛詞。

恋の心情、熱い思いを訴えるのに、ストレートでは無く
係り結び、掛詞、縁語、序詞、倒置法等、
幻惑させるような、豊かな言語技法を複雑に駆使して
表現している作品。


藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん)

左大臣藤原師尹(ふじわらのもろただ)の孫。
左近中将の時、殿上で頭中将藤原行成(ふじわらのゆきなり)と諍い
暴力をふるったため、一条天皇の怒りをかい、
陸奥守に左遷され、その地で没したとされている。
プレーボーイで、清少納言とも交際していたと言われている。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


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