gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
先日、6年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「蘇州夜曲」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。
「蘇州夜曲」(再)
かれこれ18年前になる、2005年12月に、当時、次男が駐在していた中国の蘇州を、訪ねたことが有った。海外旅行等不慣れな老夫婦、まだまだ自営業を続けていた頃でもあり、時間的、経済的に余裕も無かった頃だったが、「今、行くしか無し」と、清水の舞台から飛び降りる思いで、出掛けたものだった。
日本語で通じる添乗員付きのツアー旅行ならまだしも、中国語たるや、「ニーハオ」、「シェイシェイ」、「ハウチー」位しか知らない老夫婦のこと、航空券の手配、ホテルの手配等は旅行会社にしてもらい、次男には、上海浦東空港まで迎えに来てもらい、送ってもらうまで、何から何まで次男を頼った旅だった。中国滞在中は、鉄道、路線バス、タクシーで移動し、乗り方も分からず、上海や蘇州の街中をそぞろ歩き、食堂や土産店に入り、駅の待合室で並んだり、一般の観光ツアー旅行では味わえない体験が出来、それぞれ思い出になっている。
確か、蘇州で、2泊したはずだが、次男の案内で、蘇州の名所旧跡を1日掛けて巡った写真が有る。記憶があてにならない老脳であるが、訪ねた先々で撮った写真を見ると、記憶が蘇ってくる。
つい先日のことだったような、ずいぶんと昔のことだったような思いがする。
蘇州で訪ねた先の一つに 「寒山寺」が有る。
戦前の歌謡曲「蘇州夜曲」の歌詞に出てくる有名な地名だが、実際に訪れることが出来て感激し、旅情に浸ったものだった。
「寒山寺」
参観券=20元(約300円)、
小雪が舞う 寒さ厳しい中、日曜日とて、参拝客、観光客で大賑わいでした。
「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」 張継(ちょうけい)
月落ちて(つきおちて)烏(からす)啼(な)きて霜(しも)天に満つ、
江楓(こうふう)の漁火(ぎょか)愁眠(しゅうみん)に対(たい)す。
姑蘇城外(こそじょうがい)の寒山寺(かんざんじ)、
夜半(やはん)の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到(いた)る。
今更になってネットで調べてみると、
「蘇州夜曲」は、1940年(昭和15年)に公開された映画「支那の夜」の劇中歌として、主演の李香蘭(山口淑子)の歌唱を前提に、作詞 西條八十、作曲、服部良一、で発表された歌謡曲だったが、同年に、渡辺はま子・霧島昇歌唱のレコードが発売されたのだという。
「蘇州夜曲」 (YouTubeから共有)
♫
ご次男さん、中国に駐在さ!てたのですか?
私も、中国語の勉強を始めるまでは、添乗員つきでも、格安のツアーで、何度も行きました。
お店では、「不要(buyao)」要らないときはそのようにと、日本人の私達には、ブヨ(蚊の仲間)と言いなさいと。
今となっては、大笑いです。
「寒山寺」月落ちて…有名ですよね。
その後は、何度も個人旅行をしましたが、まだまだ個人旅行は無理、更に、歳を重ねてます。
夫は、行く予定もなければ、中国語を使う機会もないのにと、呆れてますが、皆さん、サロンのような集まりです。
中国語の勉強をされておられるんですか。旅行好きのおとめさん、いつか、役に立つのではないでしょうか。あの頃と比べ、政治的に、日中、険悪?、旅行も簡単に出来そうに有りませんが。
コメントいただき有難うございます。