たけじいの気まぐれブログ

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ジイチャとバアチャ その9(再)

2024年01月14日 21時27分12秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

その9
「バアチャのおむすび、菜飯、おやつ」(再)

昭和20年代から30年半ば、M男が、小学生、中学生、高校生だった頃の話である。
当時、M男は、北陸の山村で、祖父母、父母、弟、妹、3世代、7人家族で暮らしていたが、祖母のことを、「バアチャ」と呼んでいた。
「バアチャ」は、誰に対しても如才無く、家族には献身的で、M男にとっては、母親より母親的であり、最も頼りにしていた人だったと思っている。
ほとんど、記憶は曖昧になっているが、脳裏に焼き付いている「バアチャ」の断片的な記憶を炙り出して見ることにした。

▢醤油でまぶしたおむすび

当時はまだ、プロパンガス等も普及しておらず、三度の食事の煮炊等は、竈(かまど、へっつい)や、囲炉裏(いろり)で、をくべて(燃やして)行っていた時代、パン食等、想像も出来なかった時代であり、もっぱら、主食は、ごはんの時代だった。
M男の家の台所にも、隅に竈が有り、朝夕、お釜(おかま)で、炊飯していた。炊飯も、一家の食事を一切賄っていた「バアチャ」の役目で、朝は早起きし、きちっと朝食に間に合わせ、夕方も、きちっと夕食に間に合わせていた。炊き上がったご飯は、お釜からお鉢(おはち、お櫃とは呼んでいなかった)に移すのも「バアチャ」がしていたが、こげつき(おこげ)が出来た時等は、お釜に少し多めにごはんを残し、醤油でまぶして、おむすびにし、夕食前、腹ペコの食べ盛りのM男達に食べさせてくれたものだった。これが、熱々で、たまらなく美味しく、飛びついて食べたものだった。

(ネットから拝借画像)
竈(かまど)・へっつい      囲炉裏(いろり)
   
 

▢焼きおにぎり

当時は、冷蔵庫も保温器具も無かった時代、お鉢(お櫃)に移したごはんも、季節によっては、時間が経過すると、ニオイが付いたり悪くなり、捨てるには勿体無いという状態になることが多かったのだと思う。そんな時、「バアチャ」は、そんなごはんを、固く握って、囲炉裏の脇に炭火を寄せて、焼きおにぎりにして、M男達のおやつにしてくれた。
記憶曖昧だが、味噌を塗りつけたり、でまぶしたり、醤油を付けて焼いたり、いろいろ工夫していたような気がする。

▢大根の葉の菜飯おむすび

多分、季節は限られていたはずだが、「バアチャ」は、収穫した大根を沢庵漬けした後の大根の葉も捨ててしまわず、塩漬けし、これを細かく切り刻んで、やはり、炊きたてごはんにまぶして、おむすびにしてくれた。これが、また、絶妙に美味しく、その味が未だに忘れられず、今でも、時々、大根の葉を塩漬けにし、菜飯にして食している。

▢おやつ(「こびり」と言っていたが)

菓子類等食料品が溢れかえっている現在とは大違い、当時の農村では、「おやつに、市販の菓子等・・・」という概念が無かったように思う。大人も、子供も、おやつ(「こびり」と言っていたが)は、ほとんど、自家製のものだった。当然、季節によって、違ってはいたと思うが、思い出してみる。

(1)蒸したサツマイモ、蒸したジャガイモ、蒸したサトイモ、
(2)カボチャの煮物
(3)茹でたトウモロコシ
(4)蒸し饅頭(小麦粉?を練って、重曹?、砂糖少々で蒸した饅頭)
(5)かき餅(家でついたのし餅を薄く切り乾燥させたもの)
(6)あられ(家でついたのし餅を細かく切り刻んで乾燥させたもの)
(7)焼き餅(小麦粉を練って砲丸形にし、炭火で焼いたもの)
(8)干し栗(秋、茹でた山栗を綿糸で数珠繋ぎにして乾燥させたもの)
(9)干し柿(渋柿の皮を剥いて、藁縄に数珠繋ぎして乾燥させたもの)
(10)茹でた枝豆
(11)炊きたてごはんのおむすび、菜飯おむすび、焼きおにぎり
(12)野沢菜漬け、沢庵、白菜漬け、キュウリやナスの糠漬け、

(つづく)


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