数年前に、書棚や押入れや天袋に何十年も眠っていた、世界文学全集、百科事典、古い本類や辞書類等々を、かなり大胆に整理処分したことが有ったが、「もったいない」、「改めて読んでみたい」等という気が働いてしまい、処分し切れずにいる小説類も、まだ結構有る。
戦後、間もない頃、貧しい家で育ち、書籍等をおいそれと買ってもらえず、「本は大切な物」という観念が出来上がっている古い人間、思い切った断捨離を心掛けている一方で、いざ処分するとなると決断が鈍ってしまい、迷ってしまうのである。
自分で、書店等で買い求めた記憶がまるで無く、もしかしたら、本好きだった亡き義母から妻が譲り受けた本なのか、長男、次男が学生の頃に買い揃え、置いていった本なのかは、不明だが、夏目漱石の一連の著作品、文庫本14冊も、それで、その内読んでみたい等として残してある。
ブログで検索してみると、4年前にも、その気になり、その中から、「三四郎」、「それから」、「門」は、読んでいたことが分かったが、その後は、また放ったらかし状態、
何時読むの?読む気有るの?積読本
その内いつか、って、何時なのよ
時々、自問自答している。
9月の中旬から約2週間、利用している図書館が、システムの更新、機器の入替等のため休館になり、その後もあれやこれや有って、図書館通いを、一時休止することにしていたが、その間に、手持ち無沙汰となり、やっとその気になり、その中の1冊、「道草」に手を伸ばしてみた。
つい数年前までは、読書の習慣等、まるで無かった爺さん、ブログをやるようになってからのこと、相互フォロワー登録している方から、薦められ、肩の凝らない、読みやすい、時代小説を中心に、ずっと読むようになっているが、夏目漱石の作品は、若い頃には、一度は読んでみたいと思っていたことは確かなことで、八十路過ぎてから、やっと手を伸ばす気になった、ということだ。
夏目漱石著 「道草」(角川文庫)を、やっと、やっと、読み終えた。
ネットで調べてみると、「道草」は、1915年(大正4年)6月3日から9月14日まで、朝日新聞に連載された長編小説だった。
「道草」は、「吾輩は猫である」を執筆中の生活を元にした漱石自身の自伝的作品とされているようだ。
例えば、主人公の「健三」は、漱石自身であり、金をせびりに来る「島田」は、漱石の実際の養父塩原昌之助なのだという。
▢目次
(一)~(一〇二)
解説 荒 正人
▢主な登場人物
健三(主人公、東京駒込在住、36歳、教員)
お住(健三の妻)
島田平吉(健三の養父)
お常(島田の妻、健三の養母、島田と離婚後、波多野(警部)と再婚したが波多野死去)
長太郎(健三の兄、市ヶ谷薬王寺在住)
お夏(健三の腹違いの姉、四ツ谷津ノ守坂在住、比田寅八の妻、51歳)
比田寅八(お夏の夫、)
お藤(島田の後妻、前夫遠山は死去)
お縫(遠山とお藤の娘)
▢あらすじ等
ヨーロッパから帰国し東京駒込に居を構えて数年、健三は、大学教師として多忙な日々を
送っているが、妻のお住は、そんな夫を世間渡りの下手な偏屈者と見ている。
そんな折に、健三が幼少の頃の養父で、絶縁したはずの島田平助が現れ、執拗に金を無心する
ようになる。
さらに腹違いの姉お夏や妻の父までが現れ、金銭等を要求され、収入が少ない苦しい暮らしを
している健三とお住を悩ませる。
健三は、その都度、なんとか金銭を工面しては、区切りをつけるのだが・・・、
健三の収入源を当てにして、容赦無く金づるに群がってくる周りの人達、
当時(明治時代から大正時代)の庶民の世相は、そんなものだったのだろうか。
健三の生い立ちや性格が、そうさせていたのだろうか。
どろどろとした人間模様に圧倒されてしまう。
3人目を出産した妻お住とは、心相入れることなく平行線のまま・・・・、
健康不安、人間的苦悩を抱えながら、稼がないとならない健三。
最後には、
「世の中に片付くなんてものは、ほとんどありゃしない。一ぺん起こったことは
いつまでも続くのさ。ただいろいろな形に変わるからひとにも自分にもわからなくなるだけの
ことさ」と、健三は、苦々しく吐き出すのだった。
振り返り記事
「三四郎」 👉️ こちら
「それから」 👉️ こちら
「門」 👉️ こちら