図書館から借りていた、藤沢周平著、「喜多川歌麿女絵草紙」(青樹社)を、読み終えた。本書には、1975年6月から1976年4月に掛けて、「オール読物」に連載された「歌麿おんな絵暦」の作品、「さくら花散る」「梅雨降る町で」「蜩の朝」「赤い鱗雲」「霧にひとり」「夜に凍えて」の連作短編6篇が収録されている。江戸時代、浮世絵師、喜多川歌麿が、美人絵で人気、実力ともに、絶頂にある頃の、歌麿のモデルになった女性達との交歓、版元や弟子との交流等を、著者独自の手法、構成で、情緒豊かに描いた作品となっている。
▢主な登場人物
喜多川歌麿(主人公)、おりよ(亡妻)、
千代(歌麿の弟子)、花麿(歌麿の弟子)、竹麿(歌麿の弟子)、
蔦屋重三郎(耕書堂主人)、
石蔵(若狭屋番頭)、
鶴喜喜右衛門、六兵衛(鶴喜番頭)
善右衛門(村治番頭)
和泉屋市兵衛(泉市)
滝澤(曲亭)馬琴(左五郎)
辰次(岡っ引き、絵草紙屋)、伊三郎、
写楽、
古賀庄左衛門、玄助、栄次郎、
▢各篇で、歌麿のモデルになった女性
「さくら花散る」・おこん
「梅雨降る町で」・おくら
「蜩の朝」・お糸
「赤い鱗雲」・お品
「霧にひとり」・おさと、
「夜に凍えて」・
▢時は、寛政年間、老中松平定信の改革の影響で、「洒落本」「美人絵」等の取締りが厳しくなり、歌麿にとって恩義が有る蔦屋重三郎(耕書堂)も大打撃を受け、歌麿も、取締りを受けない「役者絵」への転向要請を受ける事態になったが、鬱々とした中で、あくまでも「美人絵」を描き続ける歌麿の姿を描いた作品だ。
歌麿を取り立てていた蔦屋重三郎が言う。「近頃、筆が荒れていませんか」・・・、「顔が同じなんですよ。どの女も」
最終篇「夜に凍えて」では、妻女のように身の回りの世話をしてくれた通い弟子千代が去り、絵師としての自信も出しつくした感の歌麿、寂寞感、焦燥感に駆られ、「あそこに行ってみよう」と、雪の中を狂ったように歩き出し、たどり着いたのは、かって艶本を描いていた頃のモデルで、自堕落に生きている女の家だった。そこでの歌麿のとった唐突な行動は・・・・、それまでの歌麿のキャラクターを吹き飛ばして、小説は終わっている。
▢「あとがき」・・藤沢周平、 (一部転記)
浮世絵師という存在に惹かれるのは、彼らの描き残した作品が、官製の匂いをもたず、自由に人間や風景を写していることの他に、もうひとつ、彼らの素性のあいまいさということがあるように思われる。わからないものほど、興味をひくものはない。
浮世絵師たちは、ごく身近な町の人びとを生き生きと描いたが、彼ら自身も多くは町の人間だった。しかつめらしく素性を問われる種類の人間ではなかったわけである。なかには初代豊国とか、武家出の栄之、栄泉、広重といった、比較的素性が知れているひともいるが、歌麿も北斎も、春潮も素性が明確でない組に入る。ことに写楽はその最たるものだろう。
歌麿についても、わかっているのはおぼろな経歴と残された作品だけで、その経歴と絵をどう読むかは、読む人にまかせられていると言っていいだろう。ここに集めた小説も、そういう意味で、歌麿の読み方のひとつといったものである。しかしこれが歌麿だと力んだりしたわけではない。
ただ、浮世絵師歌麿といえば、ただちに好色の絵師といった図式には賛成しかねる気分が、この小説の下地になっているかも知れない。(後略)