新潮文庫 平成8年
1996年に書下ろしされた「亜細亜ふむふむ紀行」につづくアジア
紀行文。
タイ、上海にいったことがつづられるが、日常の延長線上の旅行とい
った感じだ。
そこには、それでも著者の驚きや、発見があるのだが、女と男のチガイ
か、なんかしっくりとこない。そこじゃないんだよな、という気がする
しね。いや、それでこそ群さんだ、という見解もあるにはあるのだが。
京都篇では、母上との京都旅行で何百万円も散財する様が描かれる。
この時点でわかっていくのだが、もうおカネに関しても、群さんは常識人
ではなくなっているのである。
そこいら辺の感覚が、後年のエッセイをつまらなくさせている原因である
ように思う。
初期の頃はホントに面白かったもんなあ、と感慨深く思う、おれっちだ
った。
1996年に書下ろしされた「亜細亜ふむふむ紀行」につづくアジア
紀行文。
タイ、上海にいったことがつづられるが、日常の延長線上の旅行とい
った感じだ。
そこには、それでも著者の驚きや、発見があるのだが、女と男のチガイ
か、なんかしっくりとこない。そこじゃないんだよな、という気がする
しね。いや、それでこそ群さんだ、という見解もあるにはあるのだが。
京都篇では、母上との京都旅行で何百万円も散財する様が描かれる。
この時点でわかっていくのだが、もうおカネに関しても、群さんは常識人
ではなくなっているのである。
そこいら辺の感覚が、後年のエッセイをつまらなくさせている原因である
ように思う。
初期の頃はホントに面白かったもんなあ、と感慨深く思う、おれっちだ
った。