映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

奇跡のひと マリーとマグリット

2015年07月23日 | 映画(か行)
閉じ込められていた知性を解き放つ



* * * * * * * * * *

19世紀末フランス。
聴覚障害の少女たちが暮らす修道院に、
マリーという少女がやって来ました。
彼女は生まれつき目も耳も不自由で、
一切教育を受けずに育ったため、全くの野生児。
そんな彼女の“魂の輝き”を見とった修道女マルグリットが、
周囲の反対を押し切って彼女を教育することを志願します。



いわばこれは、フランス版のヘレン・ケラーの物語ですが、
ヘレン・ケラーが生まれたのが1880年ということで、
実際同時代のことなんですね。
生まれた時から真っ暗で音のない世界。
想像するのも辛いのですが、
「言葉」を持たなければ「思考」することができない。
ただ好悪の感情があるだけ。
これでは動物と変わりません。
マグリットがマリーの髪を梳かそうとするのにも
嫌がって格闘シーンになってしまう。
この彼女が、初めて物に『名前』があることを理解する時、
彼女の周りの世界は一変します。
そのきっかけは、ヘレン・ケラーの場合は「水」でしたが、
こちらのマリーの場合は「ナイフ」でした。
マリーがこの修道院に来てからそれまでに8ヶ月を要したわけですが、
それからは怒涛のように知識を身につけていきます。
なんて劇的な瞬間。
確かに彼女の知性は閉じ込められていたわけでした。



こうしてマリーはめざましい成長を遂げていくのですが、ひとつ問題が。
それはマルグリットには不治の病があり、
もう余命幾ばくもない状態になってしまっていたのです。
マルグリットが「死」の意味をマリーに教えるシーンが印象的です。
神様って何? 見ることも触ることもできないから分からない、というマリー。
はっとしますね。
見ることも触ることもできないのは私達も同じ。
神のことに関しては、私達も見えなくて聞こえない、マリーと同じ状態。
神様はどこにでもいる。
身の回りや胸を指さして教えるマルグリット。
もしかしたらマリーのほうが神を近くに感じることができるのではないかと思いました。



映画の冒頭に映しだされる赤いトマトがみすみすしく印象的なのですが、
ラスト近くにも出てきます。
このトマトを、見えていないはずのマリーが
「きれい」と表現する。
きっとそのつややかな手触りや新鮮な香りに、
彼女は「美」を感じたのでしょう。
そしてそれはまた、生きることに喜びを感じているマリーの心でもあります。


人間って、すごいな・・・。
まさに、感動のストーリー。

「奇跡のひと マリーとマグリット」
2014年/フランス/94分
監督:ジャン=ピエール・アメリス
出演:イザベル・カレ、アリアーナ・リボアール、ブリジット・カティヨン、ジル・トレトン、ロール・デュティユル

満足度★★★★★