心の流れのままに
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あなたが子供だった頃、わたしはもう大人だった |
川崎 徹 | |
河出書房新社 |
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坂の上り口の桜の老木がある家、
列車目がけて石を投げた橋、
清掃工場の四角い建物から不安定にそびえた煙突、
ボルサリーノを巻き込んだまま走り抜けた列車、
網棚に置き去られた赤ん坊、
山岳部の再興を託された新米英語教師、
写真部で購入した8ミリカメラ。
小説の時間と現実の時間がまざりあう、著者初の書き下ろし長篇。
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何かの書評での推薦作だったと思います。
「あなたが子供だった頃、わたしはもう大人だった」。
老いた平山夫妻が坂の上の家に暮らしており、
妻の方が夫よりも一回り、つまり12歳年上という状況で、
妻が夫によく言う言葉が、これなんですね。
確かに、夫がまだ無邪気に友人たちといたずらをして駆け回っていた頃に、
妻の方は成人していたということになります。
こう言われてしまっては、もう全然妻に対して偉そうなことはいえませんね。
さて、この物語は老夫婦がいわゆる「老人問題」に直面する話かというと、
そうではありません。
元気な妻ではあったけれど、12歳も年上となるとさすがに衰えが目立ってきた。
車もなく、坂道の上り下りは自分でもつらくなってきた。
子供もいなくて、さて、この先どうなることか・・・。
漠然とした不安は持ちながらも、毎日は平穏に過ぎてゆきます。
そんな中で、本作で光るのが、会話とか記憶の流れが実にリアルにそのまま流れてゆくところ。
とりとめもない日常会話。
今「この」話をしていたかと思えば、次には連想で、「あの」話に移る。
しかすまたすぐに「この」話の続きになる。
記憶も同じですね。
いま、このことを考えていたけれど、とりとめもなく思考は飛んでいく。
そして不思議にもすっかり忘れていたような過去の出来事が、
会話していくうちに鮮明に思い出されていく。
記憶はまるでタイムマシンのように、人を過去へ運ぶ。
しかし、時にはその記憶自体が、事実とは異なっていることがあったりもする。
不確実だけれども鮮明で不思議な過去・・・。
様々な過去のエピソードの中で、一つ大きな出来事は、
平山の高校生時代のある教師のこと。
山岳部顧問となったその教師は、それまで未経験にもかかわらず登山の魅力につかれ、
後にヒマラヤ遠征するまでの登山家となるも、あるとき山で行方不明となる。
そしてまた数十年後に、山で遺体が発見されるのです。
それを知った平山の思い。
「わたしはずっと生きていた、先生がそこで死んでいた間。」
時は誰の上にも等しく流れるわけではないようです。
人の思いの中で、自在に時を行き来する記憶の不思議。
・・・それは年齢を重ねれば重ねるほどに厚みを増すけれども、
あるときから急にゆがんで薄まって、消えてゆくような気もします。
出来事としては日常しかないのだけれど、大きなドラマを見たような不思議な感覚に陥りました。
図書館蔵書にて
「あなたが子供だった頃、わたしはもう大人だった」川崎徹
満足度★★★★★