五稜郭・土方歳三
* * * * * * * *
このゴールデンウィークは、函館一泊をしてきました。
函館は子供の頃住んだことのある地であり、
また近年数度訪れてもいるので、すっかりお馴染みではあります。
この度は“歴女”の娘と共に、
ちょっぴり歴史をたどる旅。
まずは五稜郭。
これは、五稜郭タワー。
タワーに鯉のぼりがついていまして、
これはこの時期でなければ見られませんね。
このタワー、史跡のそばに立つのは無粋ではありますが、
しかし、この場合は大変意義があるのです。
これが、タワーの展望台からみた五稜郭。
大変美しい形ですね。
この公園内にいては、この形の全貌はわかりません。
何だか薄ぼんやりした木が生えているのが解りますか?
これは桜の木なのですが、開花まであとほんの少しというところ!!
(5月3日現在)
うーん、残念でした。
この五稜郭公園は、函館市内でも有数な桜の名所なのです。
気の早い花見客がジンギスカンを繰り広げていました。
北海道では花見にジンギスカンが定番なのです・・・。
これは五稜郭の中心部にある「箱館奉行所」。
つい最近、資料を基にして極力当時の技法を用いて復元されました。
ペリーに開港を迫られた幕府は、箱館と下田の開港を決めますが、
そのためにこの奉行所が設置されました。
始めは元町にあったそうなのですが、
港に近く防備上不利なので、この場所に移したのだとか。
五稜郭は、武田斐三郎がヨーロッパの城塞都市を参考にして、この形状としました。
1864年に完成。
しかしまもなく大政奉還により、明治の時代となります。
五稜郭は戊辰戦争で、榎本武揚、土方歳三ら旧幕府軍の最後の砦となりました。
このように、梅はほどよく咲いていました・・・。
それで、ここに土方歳三像があるわけです。
結局土方さんは、この函館で銃弾に倒れ、34歳という短い生涯を閉じました。
今でも人気衰えませんね。
五稜郭タワーしたのホールにはこんなものがありましたよ。
東北地方の震災被害に遭われた方々へ向けたメッセージが綴られています。
ついでと言ってはなんですが、
これは大森浜にある、石川啄木像。
石川啄木は一時期ですが北海道に住んでいたことがあるのです。
ほんの一年ほどですが函館、札幌、小樽・・・
教師をしたり、新聞社に勤めたり
職も住むところも転々とし、正にさすらいの生活
才能はあっても人生なかなかうまくはいかないようで・・・
ご本人はきっと北海道にはあまりいい思い出がなかったろうと思うのですが、
こんな所に銅像ができてしまう。
そんなことを思うとちょっともの悲しいですね。
今はこの像のすぐそばに
「土方・啄木浪漫館」という資料館が建っています。
どうにも、関連のない人物を一緒くたにしてしまうのはいかがなものかと思いつつ・・・
ま、いいか。
明日は、坂本龍馬です。
函館でなぜ坂本龍馬・・・?
* * * * * * * *
このゴールデンウィークは、函館一泊をしてきました。
函館は子供の頃住んだことのある地であり、
また近年数度訪れてもいるので、すっかりお馴染みではあります。
この度は“歴女”の娘と共に、
ちょっぴり歴史をたどる旅。
まずは五稜郭。
これは、五稜郭タワー。
タワーに鯉のぼりがついていまして、
これはこの時期でなければ見られませんね。
このタワー、史跡のそばに立つのは無粋ではありますが、
しかし、この場合は大変意義があるのです。
これが、タワーの展望台からみた五稜郭。
大変美しい形ですね。
この公園内にいては、この形の全貌はわかりません。
何だか薄ぼんやりした木が生えているのが解りますか?
これは桜の木なのですが、開花まであとほんの少しというところ!!
(5月3日現在)
うーん、残念でした。
この五稜郭公園は、函館市内でも有数な桜の名所なのです。
気の早い花見客がジンギスカンを繰り広げていました。
北海道では花見にジンギスカンが定番なのです・・・。
これは五稜郭の中心部にある「箱館奉行所」。
つい最近、資料を基にして極力当時の技法を用いて復元されました。
ペリーに開港を迫られた幕府は、箱館と下田の開港を決めますが、
そのためにこの奉行所が設置されました。
始めは元町にあったそうなのですが、
港に近く防備上不利なので、この場所に移したのだとか。
五稜郭は、武田斐三郎がヨーロッパの城塞都市を参考にして、この形状としました。
1864年に完成。
しかしまもなく大政奉還により、明治の時代となります。
五稜郭は戊辰戦争で、榎本武揚、土方歳三ら旧幕府軍の最後の砦となりました。
このように、梅はほどよく咲いていました・・・。
それで、ここに土方歳三像があるわけです。
結局土方さんは、この函館で銃弾に倒れ、34歳という短い生涯を閉じました。
今でも人気衰えませんね。
五稜郭タワーしたのホールにはこんなものがありましたよ。
東北地方の震災被害に遭われた方々へ向けたメッセージが綴られています。
ついでと言ってはなんですが、
これは大森浜にある、石川啄木像。
石川啄木は一時期ですが北海道に住んでいたことがあるのです。
ほんの一年ほどですが函館、札幌、小樽・・・
教師をしたり、新聞社に勤めたり
職も住むところも転々とし、正にさすらいの生活
才能はあっても人生なかなかうまくはいかないようで・・・
ご本人はきっと北海道にはあまりいい思い出がなかったろうと思うのですが、
こんな所に銅像ができてしまう。
そんなことを思うとちょっともの悲しいですね。
今はこの像のすぐそばに
「土方・啄木浪漫館」という資料館が建っています。
どうにも、関連のない人物を一緒くたにしてしまうのはいかがなものかと思いつつ・・・
ま、いいか。
明日は、坂本龍馬です。
函館でなぜ坂本龍馬・・・?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます