久しぶりでNetflix以外で映画見た。NHKBSプレミアムシネマ、以前はよくお世話になったもんだけど、Netflixにはまってからは全然。昼1時からって時間帯もちっとなぁ?それに懐かしの名画ばっかしじやん!まっ、昼日中から映画見てる層なんて、人生晩年、思い出に生きる人たちだからか、なぁんて、いけねぇ、俺も最晩年組だった。いいんだよ、いろんな楽しみ方あるんだから。
たまたま目に付いたのが黒沢清監督の『スパイの妻』。
おっ、これは見損ねたやつだぜ、今書いてる台本ともかかわる戦時中の話しだし、この際、見ておかなくっちゃ。せっかく装備した個人用テレビ録画ハードディスクもあることだし、録画しておいてか。
Netflixで見続けていた『スノーピアサー』、最新配信まで追いついちまったから、よしっ、見るなら今夜だ。かなり期待して見たんだよ。だって、ベネチア映画祭銀獅子賞受賞だろ、権威に弱い俺としちゃ一目も二目もおくわさ、そりゃぁ。で、ここからはネタバレ80%!これから見ようって人は、見終わってから覗いてくれ。
てっきりゾルゲ事件を扱った作品だと思ってた。尾崎秀実とその妻の話しだってね。違ったねぇ、なんと満州で細菌戦に備えて人体実験繰り返してた731部隊が題材だった。あっ、731部隊はそんなことしてない。ただの防疫部隊だって偽歴史信じてる人とも、ここでお別れね。
731部隊の非道な行いを知った主人公が、偶然手に入れた証拠文書と映像フィルムを敵対国アメリカに持ち込もうと苦労するってストーリーだ。どちらかって言えば反軍国主義の商社社長が、非人道的実験の生き証人と遭遇する、いや、その過程は描かれていない、ことで人生を賭ける決断に至る、うーん、まっ、そこらは許そうか。でも、秘密文書をアメリカで公にすれば、参戦のきっかけになって、日本はさっさと負けて平和が訪れる、って、はぁぁぁぁ?なに、その安易な発想って。
多くの日本人同胞が苦しむって妻の追及に、僕はコスモポリタンだから、っておいおい、そりゃ根拠薄弱、あまりにちゃちな理由付けってもんだぜ。上手く行ってる商売も、円満な家庭も、祖国さえ振り捨てて命を賭けるってのにさぁ。人間、正義感だけでそうもかっこよく飛び立てるんか?なんかなぁ、甘いよなぁ。
甘いのは主人公ばかりかその妻もだよ。なんと!盗み出した書類持ち込みで憲兵隊にチクっちまうんだぜ。甥っ子だけに罪着せて、夫を救いたいってそんな身勝手な!そんな、日本の憲兵舐めるなよ!
妻の言い分が振るってるよ。国際的犯罪行為の摘発はあなたの大事、私も一緒に果たしたい、っていいところ育ちのお嬢さんみたいな女が、愛の前にはすべてはチャラ、あたしだって命賭けさせて!って、もう、そんなぁ!悩みや不安、売国奴になることへの自己嫌悪とか、山積みだろうが。
悩んだ夫は、アメリカ行き実現のために策略を思い付く。夫婦二人別々に証拠物件を携えて密航を企てるんだ。船員の手引きで貨物船の荷物の中に身を伏せた妻。緊迫の数時間!が、ここにも憲兵隊の手が回り、・・・
ここから先はこの映画の唯一って言い、いいね!押しまくれる展開だから、黙っておこう。ただ、その先は、またまた訳の分からん展開をおっ広げて終幕へ。ラストの字幕でちょっと救いを暗示してっ、って、それも安易だよなぁ。
いやね、何も戦時の題材はシリアスにリアルに描かなくっちゃならん、なんて思わないよ。現実にはあり得ないすっ飛んだストーリーやキャラクターだってありだと思う。夢物語のような冒険談にしたってそれはそれで観客を楽しませてくれるはずだ。
でも、中途半端はダメだぜ。戦時下抵抗は簡単な話しじゃない。戦争に反対する者はすべて抹殺されるか投獄されている。この戦争は負ける、ってつぶやいただけで取っつかまる時代だからな、ここで描かれた昭和15年から終戦までって時期は。どんだけ残虐な思想弾圧が行われたか、どんだけ国民声を合わせて兵隊さんガンバレを叫んでたか、歴史にちょっとでも首突っ込んだ人間ならみな知ってる。こんな甘、甘なおとぎ話は通用しっこないんだよ。いや、思い切って荒唐無稽にすればよかったんだ。
って、ことで、なんちゅう甘い映画なんだ!ってことに尽きるだろうぜ。
あっ、それを象徴する描写、憲兵隊での取り調べシーン、何よ?階段の踊り場でやってるの???あり得ないんですけどぉぉぉぉ!
Netflixのオリジナルシドラマ、1話40分くらいだろ、この短さが、意味深なんだよ。集中力途切れそうになる頃に終わるし、良いものなら次回エピソードへの興味もそそられる。逆にその程度で便所に立ったり、ツイッター覗いたりするようじゃ、次の回を見る必要もない、あっ、こんなもんね、はい、次行こう!と、気楽に見限れる。
だがなぁ、2時間ものの映画となると、こうは気軽に飛びつけない。大丈夫か?最後まで付き合えるか?駄作だぁ!つまらねぇ!で、時間つぶすことになってもぶつくさ言わないか?原則、席を立たない、って、映画館の習性が染み付いちまってんだよな、きっと。
で、『浅草キッド』だ。2時間6分、一本勝負だぜ。
ネトフリ作品って言っても、日本映画だしなぁ・・・日本のドラマ制作力、完全に立ち遅れだし、それは『日本沈没』のたわいのなさで懲りてるからなぁ。ビートたけしの原作本も読んでるしなぁ。あれは良かった、からなおのこと、立ち止まっちまうのさ。
いやいや、浅草ものだろ、ストリップ小屋での話しだろ、浅草のコント芸人の話しだろ、脚本・監督が劇団ひとりだろ、こりゃたとえ期待外れだとしても見なきゃならん映画だぜ。自称コント書きとしちゃ、多くの喜劇役者、喜劇作家を生み出した浅草、聖地のようなもんだからな。コロナでサスペンデッド舞台になってるけど、ストリッパーの物語も書いてる身なんだし。
いや、それだけに心の準備が・・・なんて言ってないで見る、見る。
ビートたけしの修行時代、ストリップ劇場のエレベーター係りから幕間コントの端役、さらに力をつけて漫才ツービートとして世間に飛び出すまでの出世物語だ。大学中退、人生を一度切った若者が厳しい師匠の下で必死で芸を磨き、己の芸風を築き上げ、育てられた場を踏み台にして飛躍して行く。このメインストーリーは、まぁ、よくある話だ。バレーなら『リトルダンサー』とか、タップダンスなら『スウィングキッズ』とかの名作たちにゃ見劣りするよな。社会性の鋭さ深さとか、仕上がり完成度から言ったら、太刀打ちできないよ、残念ながら。ローカルだもの。日本だもの、浅草だもの、コントだもの、漫才だもの。
でもなぁ、視点を芸人深見千三郎に移してみりゃ、なかなか見応えのある映画だったぜ。たとえストリップの場つなぎ芸であろうと、磨きに磨きを掛けて、名人技を誇る師匠・深見千三郎。コントは間合いがキモだ、とか、グロテスクな化粧や演技で笑いをとっても、それは客に笑われたんだ、笑わすのが芸人だ、なんて、そうそう、それよ!って手を叩いたね。
駆け出しの頃のたけしのギャグを見て笑った観客に、深見が舞台上から客に啖呵切るシーン、「こんなくだらねえ芸で笑うんじゃねぇ!こいつの演技が伸びねえじゃねえか」ありゃぁスカッとするよなぁ!俺も一度でいいかに叩きつけてやりたいよ。ダメだ、ダメだ、セリフとちって笑いとって喜んでるようじゃ。
古き良き、そして懐かしき浅草芸人だなぁ。芸にかける意気込みだけじゃない。生き方、暮らしぶり、立ち居振る舞いが、すべて全盛期の浅草を背負っている。たけしの上達したタップダンス見て、シューズをくれてやるシーンでも、「おまえが履いた靴なんて履けるか!」って捨て台詞で靴を与える気前のよさ。でも、そのあとすぐに「500円な」と付け加えざるを得ない、ギャグと恥じらいの感覚、いいなぁ。神さんからなけなしの金せびって、たけしたち若い者を飲みにつれ出すやせ我慢のきっぷの良さ。落語に出て来る江戸っ子のようじゃないか。
右手指先をすべて失った身で、ギターから芝居から、ダンスから何でもござれの芸人深見、浅草で一番のコント役者と羽振りを利かせた深見。時代はすでに、浅草を、ストリップを見捨てて、日劇や新宿に、漫才ブームへ、そして、テレビ全盛の時代への足早に駆けて行く。取り残される深見、変わることのできない頑なな芸人魂。弟子のたけしはその時勢をしっかりつかみ、おのれの才能も発揮して時代の寵児へと駆け上って行く。
これだぜ!時代から取り残される者の悲哀、今と結び合う手がかりを奪われた者の戸惑い、諦め、恨みつらみ、これがなんかすっごく心に響いて来るんだ。精いっぱい肩肘張って、胸をそらせて生きて来た男だから、浅草芸人としての誇りを満身にみなぎらせて闊歩して来た男だから、その凋落は切ないのだ。
同じような設定の芝居を作ったことがあった。戦後、米軍キャンプでは和製のジャズやポピュラーのライブがもてはやされていたが、進駐軍の規模縮小とともに演奏の場を失いミュージシャンたちは職を失う。コンビを組んでリードしてきたギターリストと売れっ子になった少女の歌い手、それそれぞれが別の道を歩み始めるってシーンだ。これ、かなり客席の涙を誘った。
時の流れって奴は、無慈悲だ、非情だ。それまで精一杯生きて来た者を、頂点に立っていた者を、容赦なく振り払い見捨てて行く。波をつかんだ者は、その勢いに乗りさらに遠くへ高みへと上り詰めて行く。いつの時代にも避けて通れぬ光景だ、断絶だ。
『クロスロード』!交差点!そう、これが菜の花座の舞台のタイトルだった。かつて出会い、日々を過ごし、すれ違って別の道を歩んで行く。そこに確実に時代の刻印が押されて行く。
波に乗り切れなかった者たち、置いて行かれた者たち。かつての栄華を懐かしみつつ、ブラウン管に映る成功者、かつての弟子を妬み心と讃嘆の念をない交ぜにしつつ見守るしかないのだ。
出世した弟子と心地よい酒を飲み、俺も今一度!と野望に火を着けたたその晩、燃えたのは己の体だった、って。
「急ぎ過ぎですよ師匠。自分で火つけなくたって、死にゃ焼き場で焼いてくれるんですから」。「得しましたね、師匠。半分焼けてたんだから、焼き場の費用も半額でしょ」。
遺影に向かうたけしの、いかにもらしい痛烈なギャグが見事に最後を締めくくった。
がっかりした、ってわざわざ書くのはなぁ。気に入ってる人、夢中になった人、感激してる人、たくさんいるようだから、わざわざくさして喧嘩売る必要ないんじゃねえか?友人からも、とても良かった!って大絶賛、フル推奨された作品なんだぜ。
昨夜見終わって、やっぱダメだ!って幻滅してから、どこがどうダメなんだ?何が気に入らないんだ?って考え続けてる。勧めてくれた友人に感想伝えるとしても、それなりの理由付けは礼儀だろう。物語作る上での戒めにもなるんじゃないか。いや、それ以上に、このもやもやを抱え込んだまま、Netflix の俺元年を閉じたくない!ああ、もう、『ペーパーハウス』で最高の気分で新年に向かえると思ってたのにぃ。
吐き出しちまうしかないぜ、つまらんものはつまらん!駄作は駄作!って。『地獄が呼んでいる』、これがベスト1になったって???
まず、こういう超常現象もの、オカルト的にして若干ホラー、これ全部苦手、ってこっちの問題もある。が、その扱いがねぇ、なんとも雑!なんだぜ。
天使?の地獄行き通告、それを雪男みたいな魔物が残虐に実践して行く。まず、こんなこと起これば、警察が動くだろうし、世の中その不可解の解明に大騒ぎするはずなのに、さっさと既定の事実として、ただ恐れるばかり、それを利用した新興宗教に利用されて行く、って、リアルさぶっ飛ばしだろ、あんまりだろ。
その天罰思想に迎合した「矢じり」と呼ばれるリンチ集団もほぼ野放し、警察に殴り込み掛けても、警察やられっぱなし?って、はぁぁぁぁ??教団に歯向かった親子を追跡するのに、警察も力貸すぅ?なにぃぃ?完全に治安機関も掌握しちまってるってこと?
予告虐殺の場面、テレビ中継はありだろうけど、特別席設けて新興宗教教団のパトロンたちが見学する、これって、イカゲームのパクリ、ダメバージョンじゃねえの?みんな仮面被ってるし。野次馬に囲まれて、テレビのカメラも回ってるのに、平気で特等席に座って試演見学って!
世の中全体が、神の予告殺人に引き寄せられて、それに歯向かうのはごく少数の被害者の係累グループ。このソドって集団も規模やら実力やらすごく曖昧で、最後は女性弁護士崩れが一人戦ってる。どうしたのよ、仲間は?
その戦いもおよそあか抜けないって言うか、ダサい、上にやたら長いししつこい。以前、地元で低予算映画の撮影があったんだが、そのちゃちな決闘シーンを思い出しちまったぜ。
せめてなぁ、教団幹部の服装どうにかしろよ!作業着ジャンバーはないだろ。それと議長(2代目)も含め幹部たちの低劣なこと!そこらのオッサン、オバハンの集まりだ。国を牛耳り、人々を意のままに扱うほどの組織なら、それなりの厳かさが欲しいぞ。
画質を粗くしたり、懐中電灯当てたような照明で撮ったり、場面に薄汚れた場末の建物使ったり、役者のメイクも汚し加減にしたり、すべて、描く世界のどん詰まりを表現しようとしたんだろうが、ストーリーや伏線やキャラの適当さをみせつけられると、それも、不快感に繋がってしまった。
2つの段落、ほぼ独立の話しになってるんだが、その構造もなぁ。前編でリンチ殺人をしてしまった娘とその父親とのその後についても知らんぷり。半殺しにあった女性弁護士が、戦いのヒーローになってるって、その途中の端折り方!
そうだ、登場人物のキャラクターもしょぼい、悪役もヒロイン。ちょい、ぞくっとしたのは、初代の議長くらいかな。
なんてことを夜中、寝床で、夢の中で、考え続けてきたのさ。
で、結論は二つ。
超常現象のオカルト、ホラーもののは好かん!ってことと、物語は、中心のアイディアに依存しきっちゃならん、ってことだ。いろんな視点に立って、その設定を見つめ直すこと、丁寧に線を張り巡らして重層的な世界を築き上げないと。ウソはまことに立ち上がって来ない。そう、『ペーパーハウス』みたいにち密にな。
ああ、今年もあと一夜を残すだけ、何見るか?う~ん、これは重大な賭けだぞ。