ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

戸惑いの初舞台:50(歳)を過ぎたら板地獄⑨

2007-08-01 21:21:21 | 演劇

 フレンドリープラザ演劇学校が始まって3ヶ月くらいたった頃かな、グループに分かれて短い舞台を作るってことになった。与えられた課題は「おあややお謝り、・・・」などの滑舌稽古の早口言葉だった。これを使って舞台を作る、言われたのはこれだけ。いやあ、参ったね。

 それまで、舞台作りのことなどまったく勉強していない。やったのは、言葉を届けるってことと発声とダンスだけ。だったら、きちんとした発声で言えば良いってことじゃないの、ってことになった。で、僕たちのグループは、何回か集まってみんなして、大きな声でセリフを言うって練習を繰り返した。なんか、これでいいのかなって不安は大いにあったけど、なんの指示もルールの説明もないからね、それと、それまで、徹底して言葉を届けるってことを教わってきていたわけだし、まっ、これでいいんだと、本番に臨んだ。

 ところが、他のグループはまるで違うことやってたんだ。音響を効果的に使って上手に演出したチームもあれば、簡単な装置まで組んで完全なお芝居にしてしまったグループもあった。で、僕らはまるで、能なし集団、でくの坊チーム、舞台にみんなで突っ立って、セリフを大声でしゃっべって終わり。

 いやあ、恥ずかしかった、と言うより、憤ったね。だって、事前のルールの説明がまったくなしだよ。さらに、もっと非道いのは目的が、不明だったってことなんだ。与えられたセリフを元に一つの見せ場を作れとか、このセリフを効果的に表現する舞台を創作せよ、って言われれば、無能は無能なりに頑張ってない知恵絞ったと思うんだ。なのに、・・・・!今でも、この時の裏切られたって感覚はしたたかに残っているね。

 で、ここからなんだ、今日書きたいことは。つまり、稽古は目的をはっきり示さなくちゃだめだってこと。目的がわかれば、生徒達はそれを目指して努力できる。頑張れる。でも、何を得ようとしているのさっぱわからない稽古、方向が見定められない練習、こいつは滅茶苦茶消耗だってことだ。時間もたっぷりあって、指導者がカリスマで、もう、何が何でも目をつぶってついて行くってチームや劇団ならそれもいいだろうけど、そんなの今どきの若い奴らに通用しないよね。

 それと、目的がはっきりすれば取り組み方のルールも定まる。土俵の境界があいまいなところでどうやって相撲とれって言うの。例えば、押し相撲の力付けるなら、まわしをつかんじゃいけない、とか、投げをうったら負けとか、その目的に効果的なルールが提示できると思う。演劇だって同じだよ。初めに、まず目的をしっかり伝え、その目的に達するために必要なルールをしっかり定める。これが、稽古で一番大切なんだってことを、このグループ発表で学んだんだ。

 だから、僕は稽古では、できるだけ何が目標か、何を目指しているかを説明することにしている。演出でもそうだ。そのセリフ回しが何故ダメなのか、その動きを要求するのはどうしてか、極力説明するようにしている。

 何も枠組みを与えずやらせれば、考える力が身に付くとか、想像力が刺激されるって場合も無い訳じゃないだろう。でも、それは犬棒なんだよ。やたらと歩き回って偶然棒に当たるって奴なんだ。それは本当の思考力でも、想像力でもないと思うんだ。考えるためには枠組みが必要だ。想像力を発揮するにも、大方の方向性ってものが重要なんだと思う。これは、結局、物事を教える時の基本だって思う。

 演劇学校で不満に思ったことの一つは、このことだった。でも、振り返ってみれば、反面教師。このもやもやとした不満から、教える時の大切な心構えってものを学ばせてもらったから、まあ、今は感謝かな?

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする