ステージおきたま

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れいわのボランティアして気付いたこと、その②!

2022-07-15 14:59:20 | 地域文化
 れいわ新選組が新しい政治の可能性を開いてるって思う理由、もちろん、ボランティアに支えられてるってところは大きい、が、そればかりじゃないぜ。街頭宣伝に多くの人の足をくぎ止めにしていることだ。
 山本太郎が駅前に立てば、常に数百人の聴衆が周りを囲み、彼の話しに聞き入る。前回衆議院選までは、どれどれあのメロリンキューか、って、太郎見たさって面が大きかったけど、今回の参議院選挙では、その他の候補、大阪のやはた愛とか福岡の奥田ふみよとかよだかれんとかも演説で、行き交う人の足を止めるられるようになって来ていた。
 他の党も負けじと街頭に人を集めちゃいるが、ほとんどが動員だよな。あらかじめ行き先の場所と時間知らせて、支援の団体・組織に呼びかける、命ずる?かな。自民党は利権つながりの業界から、立憲、国民なんかは連合の組合員とか。今、世間を騒がせている旧統一教会なんか、さかんに信者を出して自民党に恩を売ってたらしいってことだしな。(参政党にもって話しも聞こえ始めてるが、ここはまだ確証されてはいない。)
 れいわ新選組の場合、組織なんてないし、団体との腐れ縁も皆無、SNSでの告知以外、ひたすら行き当たりばったりの辻説法を試みている。
 れいわの街宣がなぜ通行人の足を止めるのか、話の中身はもちろんあるが、対話が成立しているってことだろうぜ。威勢のいいスローガンや一方的で言いっ放しの主張じゃなく、ビデオなんかも駆使しながら丁寧に言葉を届けようとしていることだ。
 他党の注入に対してれいわは対話。れいわ候補者なら、誰でも行っている質疑応答!このやり方に対話にこだわるれいわの姿勢がよく表れているさ。これって、ほんと、画期的なことだと思う。
 だってそうだろ?どんな質問が飛び出してくるかもわからないんだぜ。答えられない質問もあれば、強烈な反論もあるだろう。悪意に満ちた嫌がらせもあれば、時には酔っ払いが絡んで来ることだってある。山本太郎など、君が代を一緒に歌えと強要されたことさえあった。(この時の返しが実に秀逸だったね。質問者に最後まで歌わせた後、「うーん、75点!(正確には忘れたが)」とカラオケルームに引き込んでいなした。この機転、このユーモア!)
 どんな無礼な質問にも決して声を荒げない。あくまで相手の意見を聞き取ろうとする。相手を言い負かすことを目指さず、そこから、汲み出せるものを常に探している。これがまさしく対話ってものだろう。
 この街宣の形、もっともっと深まり広がって行けばいいよなぁ。候補者も成長できるし、何より聴衆が変わっていく。決めつけず主張を聞き、疑問をぶつけつ、返答を得ながら納得できる地点を探して行く。考え、物言う市民の自己啓発じゃないか。
 ところが、地方じゃ、これがまったく成立しない!
 だってなぁ、人が集まる場所がないのさ。人が通行する道がない。理由は簡単、車社会!通行人はスーパーの店内かせいぜいが駐車場。キムテヨンさんの街宣2度付き合ったが、道路越しに駐車場に呼びかけるしかなかった。
 これじゃあなぁ、誰も聞きゃあしないぜ。もちろん、質問なんて出ようがない。つまり、言いっ放し!手伝いだってビラ1枚渡せず、ただ行き交う車にれいわの看板掲げるしかなかったもの。
 どこか会場を設けて集まってもらう、なんてのは地方選挙じゃやってるが、わざわざ出かけて来るのは支持者だけ、新たな聴衆を獲得するなんてとても無理だ。ここれじゃ対話が成立しようがないんだぜ。
 虚しく看板掲げながら頭に浮かんでいたのは、井上ひさしさんの『イーハトーボの劇列車』ラストシーンの独白だった。
 「ひろばがあればなあ。村の人びとが祭をしたり、談合をぶったり、神楽や鹿踊をたのしんだり、とにかく村の中心になるひろばがあればどんなにいいかしれやしない……。」
 昔は村のお社や鎮守の森が村人が集う広場だった。明治の農民蜂起、秩父事件は椋神社の境内から出撃したように、寺やお社が人々の談合、話し合いの場だった。解決すべき課題があれば、そこに集まって議論を戦わせた。話し合いの末に合議が行われ、掟が作られ、行動の指針が決められた。
 今や、地方に人々が集う場所はない。いや、ある。公民館がある。集会施設がある。でも、それは自由に利用される開かれた場ではない。気軽に集える場所ではない。行き交う人々がふと立ち止まり、挨拶をかわし、情報を交換し、ひと時くつろぎ、しばしの対話を楽しむ場ではない。
 せめて、主張を述べ合い、それに耳を傾ける空間があれば、日本人の政治に対する関心も高まってくののではないだろうか。
 考えられるのは、大規模店の駐車場の一角を解放してもらうことだ。簡単なステージがあり、周囲にベンチが置かれ、横にはキッチンカーが止まっていて飲み物や軽食を提供してもらう。事前に申し込めば、いつでもだれでもどんなアクションにでも利用可能だ。時に大道芸が披露され、時には地元の子どもたちがダンスなど習い覚えた技を見てもらう。もちろん、政治的な意見表明も自由だ。
 こんな自由で気ままな空間があれば、年寄りたちも暇を持ち余すこともなくなるだろう。子育て中の母親、父親も買い物のついでにちょっとした息抜きができるに違いない。
 今、地方は車社会、家と会社と大規模店中心の暮らしになった。住民たちはその流れぐるぐる回って生活している。だったら、それを快適にかつ有意義に利活用する道を探ってみてもいいんじゃないだろうか。
 肩肘張った交流施設も必要だが、こんな街角のカフェのような空間、これを作り出すアイディア首長、出て来ないもんかなぁ。
 あっ、そうだ、明後日の日曜日、新町長の後援会発足式だった。一つ、提案しみるかな、ダメもとで。

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