ステージおきたま

無農薬百姓33年
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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

まだ行ける!!山形青菜保存漬け

2018-04-20 09:02:03 | 食べ物

 いよいよ心細くなってきたぞ。畑の白菜や茎たちもぐんぐん董立ちして、食べられるの菜の花ばかりになってきた。白菜なんかもう諦めて、株元からごっそり刈り取ってお隣の山羊さんの餌に提供した。

 ビニールトンネルで育つ小松菜と小蕪とホウレンソウ、食べられるようになるにはまだ2週間はかかるだろうし、保存野菜で残るのは、芽が出始めたジャガイモだけ。ここは、ワカメとかひじきとか海藻食べて野菜不足を補うしかないか。心躍る春の訪れは、食にあっては窮乏の時。

 ところがどっこい、未だ元気はつらつ、食卓に彩りを添えてくれているものがある。山形青菜の保存漬けだ。いやぁぁぁ、驚きだねぇ!4月も半ばを過ぎようっていうのに、酢っかくなることもなく、産膜酵母が表面覆うでもなく、冬場のような艶やかな姿を保っている。歯ごたえだって相変わらずのしっゃきり感だ。

 白菜漬けとか、キムチなんかはとうに味が変わり、その季節を終えている。なのに、青菜漬けのこのしぶとさはどうたい!助かるなぁ、ありがたいなぁ!ぱりぱりの茎の方はそのままいただき、葉先の方はこれまでどうり、青菜入り松前漬けにして食べる。

 それにしても、なんなんだろう?この日持ちの良さは。決して塩分が多いってわけじゃない。塩抜きなんてまったく不要な塩分濃度だ。微生物の大好物の糖分だってかなり加えている。調味液について考えられることは、お酢と酒と焼酎だな。酢とアルコール、変敗防止の最強コンビってことなんだろう。

 それだけのことか?違うなぁ。山形青菜の中に、何か微生物を寄せ付けない成分が含まれているんじゃないか。ほら、生じゃとてもじゃないが辛くて食べられないだろ、あの辛味成分、あれが防菌作用に効いてるんだと思う。わざわざ漬けるためだけに育てられてきた菜っ葉。それが山形青菜なんだろうな。奥深い!

 後2週間、畑の新緑野菜が食卓に上がるまで、この渋いべっ甲色の青菜漬けと味わいねっとり松前漬けが、健康を支えてくれるってことだぜ。

 

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嘘と知りつつ本当と信ずる頭脳!ジョージ・オーウェル『1984年』が現実に?!

2018-04-19 07:55:37 | 世の中へ

 また出てきたよ、嘘と知りつつ本当と言い張る人間!昨日辞任した福田財務次官。辞めてやるけど、そりゃ回りが騒いで仕事にならんからだと?セクハラ発言はしていない、だと?名誉棄損で裁判に訴える、だと?辞任会見から5時間後の深夜、テレビ朝日が緊急会見、セクハラ被害が自社記者と発表!

 どうしてこうも、嘘と分かり切ったことに白を切り続ける人が出続けるんだろう。元国税庁長官の佐川さんだろ、柳瀬秘書官だろ、防衛省の幹部連中だろ、そしてどん尻に控けえし大物安部首相、おっと、トランプさんも忘れちゃいけない。こうも続発すると、これはどうも時代の病なんじゃないかと思えてきた。

 実は、今読んでいる小説にこんな人たちが行き着く果ての世界が描かれていた。ジョージ・オーウェル『1984年』。

 言わずと知れた近未来小説の問題作だ。発表されたのは1949年だ。核戦争勃発後の地球、世界は三つの大国に分割支配され、そのどれもが究極の管理社会になっている。家の中はもちろん、街中のあらゆる場所に双方向性テレビジョン、テレスコープが設置され、人々の行動は徹頭徹尾管理されている。そんな強権支配の正統性を維持するために、中枢部の指令のもと、真理省の役人たちは過去、現在、未来の事実の改ざん修正に明け暮れている。

 この究極の全体主義国家で中心となる思考形式が「二重思考」。一方で真実を知りつつ、他方でそれとは反対の事柄を事実と信じていく対処の仕方だ。意図的に信じられた真実以外は、急速に抹消・霧散していく。そう、トランプ大統領のオルタナティブ ファクトだよ。この思考形式が、今、政治の世界で一気に蔓延しちまってるってことだろう。福田のセクハラ発言してません、だって、佐川の官邸忖度否定、だって、柳瀬の記憶の限り、だって、安倍の全方位嘘発言だって、最初は自分の嘘に気付いてる。いっくらなんでも頭のいい人たちだ、忘れるわきゃないよ。

 ところが、否定を繰り返し、別の事実を主張し続けていると、次第、次第に、頭の中の真実が嘘に上書きされていって、ついにはそれを本当のことと信じ始めるんじゃないだろうか。それも成り行き任せじゃなく、かなり意図的にすり替え操作をしている。二重思考の見事な活用!だから、ああも堂々と胸を張って、見え透いた嘘を主張し続けることができるんだ。あるにはあるんだと思う、真実の記憶のかけらが。でも、だんだんとぼやけて行って、自分に言い聞かせた内容が真っ当らしく頭脳を占領していく、って仕組みなんだと思う。

 『1984年』では、社会の虚構に違和感を抱いた主人公が、支配機構のインチキ性に立ち向かおうとした途端、秘密警察に連行され、激しい拷問にさらされる。2足す2は4、を否定させ、正答は5、を認めさせようと執拗に繰り返される尋問。たまらんなぁ、そんな世の中!そんな暗黒社会の一歩手前まで行きついてるってことか?

 毎日小学生新聞は、森友、加計問題の解説の末尾に、「一度うそをつくと、うそを重ねないといけなくなる。そして、うそはいずればれるということです。」と書いた。このシンプルで当たり前の教訓が生き延びる社会でありたいよなぁ。

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今宵は帯にて惑いて候!菜の花座新作『予兆 女たちの昭和序奏』

2018-04-18 09:27:30 | 菜の花座

 先週は菜の花座の貴重な財産から着物の選定だった。うーん、まだ不足だなぁ。前回も書いたが、一人4,5着も早変わりするからねぇ。時代も移る、季節も変わる。まさか同じ衣装の着た切り雀はないだろう。

 今週はさらに別の団員が、お祖母ちゃんの着物、っと大量に持ち込んでくれた。でも、お祖母ちゃん、背低いんでいすよぉ、って、うーん、それは残念、今時の女たちには丈が足りないか?だが、待てよ。袴、着けたらどうだ?着物の裾は袴の中、しかもはしっょて着るから短いのは気にならない。そうか、それしかないな。昭和初期、袴姿って珍しいんだが、そこはお客さんにも目をつぶってもらおう。明治末から大正期をないまぜにすることで、なんとなく、時代感を示すことにしよう。幸い、袴は以前『雲雀、はばたきて』という明治の女学生ものを作った時の買い置きがある。それを使おう。誤魔化しって言えば、裄丈が不足で手がにょろりと出てしまう役者は、腕カバーをすることで取り繕うってことにもした。

 どうやら着物が決まれば、今度は帯だ。またまた、菜の花座の財産。

 広げてみて、おっ、これ行ける!死装束にぴったり!銀無地の帯、まさかこんなのあるなんて、大喜びで取り分ける。残りは、うーん、判幅帯が多いなぁ。落ち着いた大人の着物姿にはやっぱり袋帯だしなぁ、どうしよう。田舎娘や、足抜け女郎は判幅でくだけた感じで我慢しよう。それと、ここでも、袴がお助けだ。袴を着ければ、帯は当然、判幅だもの。

 着物に関してはどうにか決まった。あと、問題は羽織だ。昭和初期の羽織って丈が長いんだよ。これがいかにも時代を感じさせるんだが、このひざ丈の羽織てのが全然ない。今の常識は、腿の半ばまでだもの。これについては、極力羽織を着ない演出を試みるとか、割ぽう着で胡麻化すとか、もうやり繰り算段しかないな。

 洋服の方も少しずつ決まって行っているのだが、演出のイメージにはしっくりこない。ただ、こちらはハードオフなんかで、それっぽいものを見つけ出せそうな気もするので、先送りだ。

 徐々に芝居が浮かび上がってきている。立ち稽古が軌道に乗る連休明けには、地域メディアの取材も決まっている。その時は、実際に衣装を着けて、味わいのある稽古風景をお見せできるようになりそうだ。セリフの役作りも一歩一歩進んでいる。本番までゆとりのあるうちに、どんどん追い込んで行ってしまおうか。

 

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小さい農家は気晴らし満載!

2018-04-17 08:28:34 | 農業

 農業で食っていこうなんて、大農家って大変だと思う。農産物の価格が安いとか、農機具、資材はどんどこ値上がりしてるとか、経営面での苦労も大きいが、同情するのはそんなこっちゃない。一つ一つの作業が、長く続くことだ。田んぼの耕耘だったら、何日も何日もトラクターで走り続けにゃならん。ブドウ農家だと、デラウェアのジベつけ。種をなくすために、ジベレリンって薬剤に、一房ずつ浸して行くんだぜ、考えられる?ダメ!気が遠なる。とっても堪えられない、まるまる2日も3日もそんなお手上げ作業続けるなんて。

 根気ないからなぁ、飽きっぽいからなぁ!一つ仕事に一心不乱、長時間同一作業、なんて苦手中の苦手、風呂場に現れるゲジゲジ虫といい勝負だ。勤務が数十年も続けられたのだって、農業教員って、広く浅く、あれもこれもって職務内容だったからだもの。ほら、授業は50分の1コマ単位だろ。しかも、普通教科と違って、畑作やったら、食品加工で、それが終われば農業機械とか、次々目先が変わるんだよ。これ、向いてたんだなぁ、今、改めてそう実感する。

 我が家の農業は、当たりきながら、小さい。自給農家だからね。田んぼから野菜畑、ブルーベリーの果樹園、ってほどのもんじゃないが、家畜以外はほぼなんでもありだ。て、ことは、作業の方もこまごまと多種類待ち構えてるってことさ。

 この先、1週間でやらにゃならん仕事、ざっと上げてみると、稲の種まきの準備だろ、大根、ニンジンの種まきだろ、畑の堆肥播きとトラクター耕耘だろ、実取りエンドウ用のトンネルネット張りだろ、すでに発芽したトンネル野菜の間引きや草取り、なんてのもある。面積はどれも小さいから、かかれば1時間もあれば終わるものがほとんどなんだが、もうまるで、有名ラーメン店の順番待ち状態で列をなしている。

 昨日も終わって数えてみたら、五つの作業やっていた。まず、1週間後に迫った稲種まきの準備として、プールの整地と枠作り。

 それが終われば、育苗土に入れるボカシの篩いかけと計量。

 おっと、小松菜、小蕪、ホウレンソウの間引きもして、トマト苗の周囲の草もむしって、まっ、こんなもんか、と見回せば、ブルーベリーの周囲は草が生き生き、そうか、今のうちに耕耘しておくか。

 どうだい、せわしいことじゃないか。面倒なことじゃないか!たった半日作業で、この種類。だが、これが合ってる。気短で飽きっぽい人間にはぴったりなんだ。一つの作業は長くて2時間、短いものは、10分程度、あっち跳び、こっちに動きして、気を紛らわせているってことなんだ。もちろん、その合間、合間に、移植したイチゴ苗の様子覗いてみたり、発芽したメロンの数数えて一喜一憂して気晴らし、本当、落ち着かねえよなぁ。

 でも、これが自給農家の仕事ぶりなんかも知れんよ。さっ、今日は、パイプトンネル立て直して、ネット張って、周囲に堆肥撒いて、耕して、実取りエンドウ種まきか。大根と人参も播きたいんたよなぁ。そうそう、育苗用土もハウスに運んで乾かしたい、それと・・・・。

 

 

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植物男子ベランダ―始まった!で、のっけから”俺”問題?

2018-04-16 08:43:41 | テレビ

 ぬぬっ?!「植物男子ベランダー」再開しとるじゃないか!知らんかったぁ、初回見逃したぁぁぁ、残念。が、なにはともあれ、喜ばしい!しばらくはあの風変わりな笑いとエスプリを楽しめる。木曜の11時15分から30分、ぜひお見逃しなきよう。

 で、再開第2話は、のっけから”俺”問題だ。主人公が語りで自分自身を何と呼ぶかを宣言する。つまり、一人称の選択から始まったってことだ。

「俺は自分勝手に植物を育てるベランダーだ。何故俺が、俺という一人称を使うのか?それは、植物好き=いい人、という世間の誤った認識を正したいからだ。なんせ俺は、世話はいい加減だし、知識も適当、植物なんか水さえやっときゃなんとかなる、がモットーの人間だ。そんな自分勝手な野郎でも植物を愛することはできる。それで俺は、あえて乱暴な俺という言葉を使っているのだ。・・・」

 うーん、やるじゃないかぁ、まずは人称代名詞の選択基準の表明から始めるなんて!こういう知的な遊び心に溢れたドラマなんだよ、この番組は。このせりふにニヤリとできない人は、きっと、なんだぁ?どこがおもしろいのぉぉ?田口トモロウの演技えぐいし、って他のチャンネルに切り替えることになる。それは、主要わき役の松尾スズキの演技を面白いと感じるかどうかって問題でもあるだろう。

 おっとっと、今書きたいのは、「植物男子ベランダー」の番宣じゃない。一人称の問題だ。

 そう、取りあえずは、このブログで自分自身をどの代名詞で表現するかってことなんだ。まず、考えられるのが、オーソドックスに、私、だろう。劇団なんかではほぼこれで行く。歳も歳だし、座長かつ演出って立場もあるからね、そうそう砕けた言い方はできない。

 が、ブログの用語としては、かなりよそ行き感が漂う。目指す文体はもっと力の抜けた茶飲み話風、だったらもっと気軽な感じで、ってことで、僕、か?これなぁ、なんか気取った感じするだろ?お偉いさんの上から目線の嫌味も臭ってくる。だから、「植物男子ベランダー」と同様、俺って書いて進みたいいんだが、こんどは逆に露悪趣味じゃん、へんに拗ねてるみたいだぜ、ってこれまた拒否反応が沸き上がって来る。あっしはヘリ下り過ぎ、俺様ってなに様だよ、手前はやくざ者、どれもみな全然番う。

 実は、一番しっくりくるのは、おいら、なんだよ。おいら、で書くのがこのブログにはお似合いって思えて仕方ないんだ。じゃ、使えばって、そう簡単に言うなって。おいら、を使いにくい理由があるんだ。それは、たけし!おいらって一人称、たけしの専売だもの、おいらって書くたんび、たけしのあのひん曲がった顔が浮かんできちまうのさ。だから、この言葉も使ったことがない。

 いつだって、一人称を書き込まなくっちゃならない文脈じゃ、はたと立ち止まり、唸り声発しつつ、その場回転!多くの場合、一人称そのものを使わずに済むように文章を変えて直前回避する。どうにも抜け道が見つからない時は、ええい!破れかぶれじゃ、目をつぶって、僕、かな。書いたそばから恥ずかしくて消したくなるが、我慢!

 と、まあ、たかだか自分自身を表現する言葉一つだって、苦心惨憺捻り出してるってことなんだよ。だから、「植物男子ベランダー」、俺宣言から入ったことに限りなく共感を覚えたってことなのさ。

 だれか、私に、僕に、あっしに、俺に、おいらに、手前に、拙者に、それがしに、ふさわしい一人称代名詞教えてくれないかい?

 

 

 

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