本読みを初めてから、そろそろ1か月、週2回の稽古ではなかなか進まない。まっ、いいか、で、どんどこ飛ばせばとっくに立ち稽古に入っているに違いない。でもなぁ、ここで手抜きすれば、底の浅いセリフがそのまんま舞台に上がってしまう、そんな手抜きはできない。
役者の力量アップ、って課題もある。若手にしてもシニアにしても、まだまだ経験不足。台本の読み込みも不十分なら、表現技量も未熟な者の方が多い。さすがに、棒読み一辺倒!なんて者はいないとても、言葉に微妙な情感を込める読みにはなかなか到達できない。特に、名詞や簡単な事実の提示などでは、どうしても感情のこもらぬニュートラルな発語になりがちだ。例えば、「満州事変の勃発」という言葉一つだって、それを発する人物とその置かれた状況で、怒りだったり、喜びだったり、憂いだったり、種々多様に読めるのだが、これが難しい。
もちろん、ワンパターンの自己流から抜け出すのにも苦労する。何年も舞台に上がっている者たちでも、わざとらしい作り物になってしまうことがしょっちゅうだ。自分の持ち物を大切に生かしつつ、様々な役柄を演じ切る、その手助けをする、ってことも本読みの重要な目的の一つだ。
本読みが遅々として進まない、もう一つの理由は、物語の時代背景を丁寧に説明しなくてはならないことだ。昨日は、「満州は日本の生命線!」というスローガンが広がった歴史的事情を解いて明かした。日露戦争での多大な犠牲、それに見合わぬ講和条件、現実の日露の力量差を知らぬ国民の憤激・日比谷焼き討ち事件など。庶民のやり場ない憤懣が底流としてあった上での満州事変だったことと。日清戦争で広がった中国人、朝鮮人への蔑視感情なども、満州=日本の領土、意識を掻き立てた、などということも話した。
さらに、「国民が熱に浮かれれば浮かれるほど、事実をしっかりと伝え、正しき道を指し示す、それが新聞や雑誌の使命なのではありませんか。」という女性記者の発言部分では、当時の新聞がこぞって戦争を煽ったことが大きく影響していたことなどについても説明した。ついでにフェイクニュースが蔓延する現在の危うさについても話した。
セリフの背景をしっかり理解することで、初めてその言葉の持つ意味が分かってくる。また、今、なぜこの作品を上演するかの意義も納得できる。1行、1行、踏みしめる道のりだが、この1歩を疎かにせず着実に進んで行くしかない。これが、本読みってものだ。