国立羅州文化財研究所は3日、昨年調査を始めた羅州五良洞土器窯址群(史跡456号)に対して今年2次発掘を実施した結果、窯2基とそれと関連した遺跡3基、そして5世紀中葉以後7世紀初期の間に作ったと推定される古墳10基を確認したことを発表した。
古墳の種類は築造方式や材料で見ると、甕棺墓が1基、石室墳が4基、石槨墓が2基、そして甕棺かけらを利用して墓室を作ったいわゆる甕槨墓が3基。甕槨墓옹곽묘は、大型甕を連想させる甕棺を割って粉々にした後、レンガや石のようにきちんと積んで、墓室を築造した古墳で、初めて確認された。
五良洞遺跡一帯が石材を求めるのが難しい反面、甕棺は比較的簡単に得られたため、石材の代わりに活用したようだと話す。
調査の結果、甕棺のかけらは墓室の4壁面はもちろん、底にも使われていた。特に壁面に使われた甕棺のかけらは、相当数が△(三角)模様である。
8号甕棺墓の底では金で作ったイヤリング1点が発見された。
五良洞遺跡は、去る2001年墳墓公園を作る工事中に無数の甕棺破片と窯遺跡が露出して、本格発掘調査が実施された。 その結果この一帯には19基の窯遺跡が分布するということが明らかになり、東新大博物館がこのうち5ヶ所を全面発掘した結果、内部で無数の甕棺破片が発見されたため大型甕棺を焼いた窯である可能性が台頭し、史跡に指定された。
しかし、窯構造と規模で見ると、甕棺を焼いた施設だと見ることは難しいし、甕棺破片は単純に甕棺底や壁面を積むのに使った建築部材であるという反論もまた侮れない。
研究所は、今年の調査でこれらの論争解明に重点を置いて窯の焼き跡2ヶ所を発掘した結果、2ヶ所皆丘陵傾斜面と直角を成す方向で長軸(長さ10m、幅1m50㎝前後)に設けられた登窯であることを確認し、その内部はやはり多量の甕棺かけらと一般の他の土器3,4点と共に収拾しただけで、ここが甕棺を焼いた所だと確定できなかったと話した。
これらの窯は、断面形状がゆるやかなU字型を形成して、燃料を入れて火をつける入口に近い燃焼部と土器を入れて焼く焼成部の間には段差を用いた構造であることが調査結果明らかになった。
[参考:聯合ニュース]
古墳の種類は築造方式や材料で見ると、甕棺墓が1基、石室墳が4基、石槨墓が2基、そして甕棺かけらを利用して墓室を作ったいわゆる甕槨墓が3基。甕槨墓옹곽묘は、大型甕を連想させる甕棺を割って粉々にした後、レンガや石のようにきちんと積んで、墓室を築造した古墳で、初めて確認された。
五良洞遺跡一帯が石材を求めるのが難しい反面、甕棺は比較的簡単に得られたため、石材の代わりに活用したようだと話す。
調査の結果、甕棺のかけらは墓室の4壁面はもちろん、底にも使われていた。特に壁面に使われた甕棺のかけらは、相当数が△(三角)模様である。
8号甕棺墓の底では金で作ったイヤリング1点が発見された。
五良洞遺跡は、去る2001年墳墓公園を作る工事中に無数の甕棺破片と窯遺跡が露出して、本格発掘調査が実施された。 その結果この一帯には19基の窯遺跡が分布するということが明らかになり、東新大博物館がこのうち5ヶ所を全面発掘した結果、内部で無数の甕棺破片が発見されたため大型甕棺を焼いた窯である可能性が台頭し、史跡に指定された。
しかし、窯構造と規模で見ると、甕棺を焼いた施設だと見ることは難しいし、甕棺破片は単純に甕棺底や壁面を積むのに使った建築部材であるという反論もまた侮れない。
研究所は、今年の調査でこれらの論争解明に重点を置いて窯の焼き跡2ヶ所を発掘した結果、2ヶ所皆丘陵傾斜面と直角を成す方向で長軸(長さ10m、幅1m50㎝前後)に設けられた登窯であることを確認し、その内部はやはり多量の甕棺かけらと一般の他の土器3,4点と共に収拾しただけで、ここが甕棺を焼いた所だと確定できなかったと話した。
これらの窯は、断面形状がゆるやかなU字型を形成して、燃料を入れて火をつける入口に近い燃焼部と土器を入れて焼く焼成部の間には段差を用いた構造であることが調査結果明らかになった。
[参考:聯合ニュース]