11日出雲市文化財課は、国史跡に指定される田儀桜井家たたら製鉄遺跡(同市多伎町奥田儀の屋敷谷たたら跡)で、室町時代の製鉄炉1基、精錬鍛冶炉3基の遺構が見つかったことを発表した。
田儀桜井家が同地でたたら経営を行う200年前に、同地に別の製鉄集団が存在していたことが明らかになった。
同たたら跡は、田儀桜井家たたら製鉄遺跡の中心で、国史跡の宮本鍛冶山内遺跡の約2.5km東に位置する。発掘調査は昨年10月から実施した。 (同遺跡地は、出雲市から南西方向に約20km、石見銀山跡との中間にある。)
田儀桜井家は、近世出雲を代表する鉄師で、江戸時代初期から明治時代中期までの約250年間、多伎町奥田儀を中心に活躍した。本拠となった宮本鍛冶山内遺跡には、本宅跡や石垣、鍛冶場、製鉄に従事した人たちの集落跡などが残る。
確認された製鉄炉(1号炉)は、本床状遺構と呼ばれる下部構造で幅1.6m、長さ4.8m。採取した木炭を試料に放射性炭素年代測定を行い、15世紀前半と判明した。
精錬鍛冶炉(2~4号炉)は3基で、製鉄炉の東側に1基、地下に2基を確認、すべて1号炉を壊し構築したとみられる。操業は1号炉と同様、15世紀以降と考えられる。
このうち地上の鍛冶炉は、同市佐田町の檀原遺跡などで見つかった炉と同類で、鉄の不純物を流すトンネル状の排滓(はいさい)孔を持つたという。
市文化財課は多伎町小田の多伎コミュニティセンターで調査速報パネル展を開く。7月13日~31日まで。
[参考:山陰中央日報、毎日新聞]
田儀桜井家が同地でたたら経営を行う200年前に、同地に別の製鉄集団が存在していたことが明らかになった。
同たたら跡は、田儀桜井家たたら製鉄遺跡の中心で、国史跡の宮本鍛冶山内遺跡の約2.5km東に位置する。発掘調査は昨年10月から実施した。 (同遺跡地は、出雲市から南西方向に約20km、石見銀山跡との中間にある。)
田儀桜井家は、近世出雲を代表する鉄師で、江戸時代初期から明治時代中期までの約250年間、多伎町奥田儀を中心に活躍した。本拠となった宮本鍛冶山内遺跡には、本宅跡や石垣、鍛冶場、製鉄に従事した人たちの集落跡などが残る。
確認された製鉄炉(1号炉)は、本床状遺構と呼ばれる下部構造で幅1.6m、長さ4.8m。採取した木炭を試料に放射性炭素年代測定を行い、15世紀前半と判明した。
精錬鍛冶炉(2~4号炉)は3基で、製鉄炉の東側に1基、地下に2基を確認、すべて1号炉を壊し構築したとみられる。操業は1号炉と同様、15世紀以降と考えられる。
このうち地上の鍛冶炉は、同市佐田町の檀原遺跡などで見つかった炉と同類で、鉄の不純物を流すトンネル状の排滓(はいさい)孔を持つたという。
市文化財課は多伎町小田の多伎コミュニティセンターで調査速報パネル展を開く。7月13日~31日まで。
[参考:山陰中央日報、毎日新聞]