歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

白山・横江荘遺跡 周辺から仏具が出土し郡庁跡か寺院跡か確定できず    

2008年07月11日 | Weblog
 9日白山市埋蔵文化財調査委員会において、これまで石川郡庁跡の可能性が大とみられていた横江荘遺跡について、市教委から「仏具の一種とみられる火舎(かしゃ)の破片3点が出土し、周辺でも仏具が見つかっていることから寺院跡の可能性もある」との報告があった。
遺構全体の規模は一般的な郡庁跡と同じ54m四方と推定されていたが、その後の調査で南北方向の一辺は50mだったことが判明。
 また、中心部に幅約6m、長さ約16m以上とみられる掘っ立て柱建物跡が新たに確認され、遺構が郡庁跡だった場合は正殿、寺院跡であった場合は本殿など宗教施設の可能性があるとする。
 このほか、南側に正門、北側に裏門とみられる跡が見つかっており、郡庁、寺院いずれのケースも考えられるという。
 今後、遺構を「回廊に区画された大型施設」と呼ぶことでになった。
[参考:北國新聞、前出]
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守山市 東大久手古墳 円筒埴輪が列を成して見つかる

2008年07月11日 | Weblog
 10日名古屋市教育委員会は、志段味古墳群(守山区)である東大久手古墳と勝手塚古墳で、円筒埴輪23本が、築造された古墳時代当時の並んだ状態で発見されたと発表した。
 円筒埴輪が元の位置のまま大半が残っている古墳は県内でも少なく、当時の古墳を知る貴重な事例という。
東大久手古墳から出土した円筒埴輪(直径20~25cm、高さ15~20cm)は、円墳部分を発掘した4か所で、それぞれ2~3本の円筒埴輪が間を空けずに並んでおり、計13本が見つかった。
 また今年3月に調査した勝手塚古墳でも、1か所から円筒埴輪10本が築造当時のまま、並んだ状態で見つかった。
 数か所しか発掘していないため全体の状況を確認していないが、円筒埴輪が円墳を一周した状態で残っている可能性が高いとする。
 26日午前11時から現地説明会が開催される。問い合わせは市見晴台考古資料館(052・823・3200)。
[参考:読売新聞]

志段味古墳群
 名古屋市の北東端・守山区上志段味に集中する前期~後期の大古墳群。

勝手塚古墳
 全長55m。 前方部長さ15m、幅21m、高さ2.3m。 後円部径40m、高さ7mの前方部が小さい帆立貝式前方後円墳。
 後円部は2段式築造と考えられている。6世紀頃の築造。
 後円部テラス付近には円筒埴輪が列をなし、土偶状の出土物も確認され、くびれ部からは須恵器片も出土している。

東大久手古墳
 全長37.5mの帆立貝式前方後円墳。前後部の境に列石、円筒埴輪が認められており、5世紀末の築造と考えられている。
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後三年合戦関連遺跡発掘調査 現地説明会の予定

2008年07月11日 | Weblog
後三年合戦関連遺跡発掘調査 現地説明会
 横手市教育委員会では、後三年合戦で名高い大鳥井柵跡の発掘調査を行っており、現地説明会を開催する。
今年4月より発掘調査を行っており、大鳥井柵跡は清原氏の拠点のひとつとされ、『陸奥話記』に登場する大鳥山太郎頼遠(おおとりやまたろうよりとう)の居館跡である可能性と指摘されるという。
 四面に庇(ひさし)の付いた格式の高い建物跡などが見つかったという。

平成20年7月12日(土)午後1時30分~3時大鳥井柵跡(横手市新坂町)
集合場所:大鳥公園駐車場
横手市教育委員会教育総務部文化財保護課 Tel:0182-24-3480 発掘調査現場事務所 Tel:0182-36-9177
[参考:横手市文化財保護課]

大鳥井柵は、平安時代・前九年の役の後に奥羽に勢力を拡大した清原氏一族の清原光頼、頼遠(大鳥山太郎)父子によって築かれたとされる。
後三年の役(1083-87)が起こると、清原家衡が籠もった金沢柵と共に源義家、清原清衡連合軍の攻撃を受け焼失したという。

陸奥話記より
(略)正任初隠出羽光頼子字大鳥山太郎頼遠許、後聞宗任帰降由、亦出来了、(略)同六年二月十六日、献貞経清首三級、(略)
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