奈良県立橿原考古学研究所は14日、平城京(710~784年)跡で太安万侶邸があった、当時「左京四条四坊」と呼ばれる区画から、当時の貨幣「和同開珎」が収められた8世紀半ばの壺が発見されたことを発表した。
見つかった壺の内部には和同開珎5枚と木くずが入っており、ふたは粘土で密閉されていて、一辺約45cmの穴に埋められていた。
家を建てる際の地鎮具か、子供の成長を願い胎盤を収めた胞衣(えな)壺、どちらかの可能性が高いという。
昭和54年、「太安萬侶」と記された銅板の墓が発見され、そこには「左京四條四坊に住み、地位は従四位下」との記述がある。
出土品は、県立橿原考古学研究所付属博物館で19日から開かれる、19年度発掘速報展(9月7日まで)で公開される。
[参考:産経新聞]
見つかった壺の内部には和同開珎5枚と木くずが入っており、ふたは粘土で密閉されていて、一辺約45cmの穴に埋められていた。
家を建てる際の地鎮具か、子供の成長を願い胎盤を収めた胞衣(えな)壺、どちらかの可能性が高いという。
昭和54年、「太安萬侶」と記された銅板の墓が発見され、そこには「左京四條四坊に住み、地位は従四位下」との記述がある。
出土品は、県立橿原考古学研究所付属博物館で19日から開かれる、19年度発掘速報展(9月7日まで)で公開される。
[参考:産経新聞]