歴歩

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深谷市・幡羅遺跡 「竈(かまど)神」を描いた人面土製品?を発見

2008年07月05日 | Weblog
 写真は「発掘された日本列島2010」(江戸東京博物館)にて撮影

 深谷市教委は、古代の郡役所跡「幡羅遺跡」(7世紀後半~10世紀前半)で発掘された遺物の中から、かまどの支脚とみられる人面が描かれた土製品が発見されたことを発表した。
 2006年度の第19次調査で大型竪穴建物跡から、高さ7cm、直径6-7cmの円柱の頭の部分とみられる土製の塊が発掘された。水洗いしたところ、焼成前にヘラで刻み付けられた顔のような模様が現れた。全体に漆喰のような塗料で白く塗られている。
 形状や、出土場所がかまどのすぐそばであるため、煮炊きの時に土器を支えるかまどの支脚の一部である可能性が高く、顔は火の神様であり家の守護神として信仰されていた竈神を描いたものとみられるという。
同様の支脚が見つかったのは、千葉県の飯積原山遺跡の出土品(9世紀前半)に次いで全国2例目。
 「竃神」は、家の火の神や家の守護神として祭られ、古事記にも記されている。この地域に竃神を祀る信仰があったことを示す貴重な資料とする。
 この土製品は19日~9月28日、行田市の県立さきたま史跡(行田市埼玉)の博物館で開かれる最新出土品展「地中からのメッセージ」に出品される。 

古事記 上つ巻 大国主命 8 大年神の神裔 より抜粋
大年神、娶天知迦流美豆比賣生子。奧津日子神。次奧津比賣命。亦名大戸比賣神。此者諸人以拜竃神者也。
(訳)大年神(オホトシ)、天知迦流美豆比賣(アメチカルミズヒメ)を娶って、生んだ子は、奧津日子神(オキツヒコ)。次に奧津比賣命(オキツヒメ)。亦の名は大戸比賣神(オオベヒメ)。此は、諸人のもち拜(イツ)く竃神(カマノカミ)ぞ。

[参考:東京新聞、毎日新聞]
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京都府与謝野町 滝谷古墳群 1号墳墓から銅鋺出土

2008年07月05日 | Weblog
 与謝野町教委は与謝野町明石(あけし)の滝谷古墳群の4基を調査中、1号墳の横穴式石室から近畿で8例目の銅製の鋺(口径約8cm、高さ約4cm)が出土したと発表した。銅鋺は全国で約80例出土しているが、大半は関東地方からという。
 1号墳は円形に近い長さ16m。横穴式石室は「中高式天井」構造、全長8.2mで丹後地方でも有数の大きさという。
 「中高式天井」は石室奥の天井を低く、中央部を高くなるようにしているのが特徴で、鳥取県東部に多く見られるが、岡山、兵庫、滋賀県などでも見られる形態。
現地説明会は6日午後2時から行われる。
[参考:京都新聞]
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