市教委は3日、女郎花遺跡から、奈良時代から平安時代初頭にかけて長期間にわたり地域を治めていた豪族の居館の一部とみられる建物の遺構が見つかったと発表した。
市内で豪族の遺構の発見は初めてで、市内の石清水八幡宮成立(859年)以前の中心地をうかがい知ることができるとしている。
遺跡東端の157㎡を発掘し、3棟の大型掘っ立て柱建物の柱穴(直径0.7~1m)がほぼ同じ場所から見つかった。
最も古い遺構は、南北約5m、東西約7・5m以上(面積37.5㎡以上)になる。
2番目に古い建物は南北約6.3m、東西約4.2m(面積26.5㎡)。
最後に建てられたとみられる遺構は南北約6.3m、東西約4.6m(面積約29㎡)。
居館が建て直されながら奈良時代前半から平安時代初頭まで約100年間続いたことを示している。
柱穴の大きさが古代寺院に匹敵し、遺構の南30mに倉庫跡、南250m地点に奈良時代に権威の象徴として盛んに建立された志水廃寺があることなどから、当地 周辺を治めた豪族ではないかとみている。
これ以後、居館は畑になり、豪族は没落したと推測する。
八幡宮の成立を期に集落域が男山東麓の南端から石清水八幡宮麓の北側に移ったとみられる。
5日午後2時から現地説明会を開く。雨天決行。問い合わせは八幡市立ふるさと学習館TEL075(972)2580。
[参考:京都新聞]
市内で豪族の遺構の発見は初めてで、市内の石清水八幡宮成立(859年)以前の中心地をうかがい知ることができるとしている。
遺跡東端の157㎡を発掘し、3棟の大型掘っ立て柱建物の柱穴(直径0.7~1m)がほぼ同じ場所から見つかった。
最も古い遺構は、南北約5m、東西約7・5m以上(面積37.5㎡以上)になる。
2番目に古い建物は南北約6.3m、東西約4.2m(面積26.5㎡)。
最後に建てられたとみられる遺構は南北約6.3m、東西約4.6m(面積約29㎡)。
居館が建て直されながら奈良時代前半から平安時代初頭まで約100年間続いたことを示している。
柱穴の大きさが古代寺院に匹敵し、遺構の南30mに倉庫跡、南250m地点に奈良時代に権威の象徴として盛んに建立された志水廃寺があることなどから、当地 周辺を治めた豪族ではないかとみている。
これ以後、居館は畑になり、豪族は没落したと推測する。
八幡宮の成立を期に集落域が男山東麓の南端から石清水八幡宮麓の北側に移ったとみられる。
5日午後2時から現地説明会を開く。雨天決行。問い合わせは八幡市立ふるさと学習館TEL075(972)2580。
[参考:京都新聞]